オメガに説く幸福論(9)

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(8)

 番う寸前のカップルがちらほらと現れてきたのを見て、リッカはあと少しで自分の役目も終わると、大きく背伸びをした。

 問題があるとすれば、シャルル国王の件だ。

 やはり王の番となると、アンジュしかいなかった。何度か茶会や酒の席を設けようとしたが、「忙しい」の一言で、切って捨てられていた。

 きちんと話をすれば、いいところが見えてくるかもしれない。何せ、エドアールが慕っているのだから、何もないなんて、そんなことは。

 けれど見直す機会すら与えられていない現状、リッカの中でシャルルの印象は最悪なままであった。

「さてと」

 今日のリッカの仕事は、机に齧りついて頭を悩ませたり、アルファ候補とオメガの仲を取り持つのに奔走したりすることではない。

 内心のワクワクした気持ちが外に漏れていないかどうかを鏡で確認しながら、出かける支度をする。

 ここに来たときは、まだ秋の初め。今はだいぶ深まり、森の恵みが溢れる季節となっている。木の実やキノコもそうだが、動物も冬を前に肥え太っている時期で、弓を主な武器とするエルフたちは、猟の腕前を競う。

 外套をしっかりと着込み、リッカは離宮の外へと向かう。朝の時間帯、騎士たちは鍛錬をしているはずだから、邪魔をしたくない。ひとりで行って帰ってこようという算段であった。

 今日の仕事は、抑制剤の材料となる薬草の収集と、下処理である。薬としてすでに出来上がっているものにはまだ余裕はあるが、なくなったときにわざわざ国から送ってもらうほどのものではない。

 世界樹を中心としたエルフ国は森の国だ。王宮付の薬師に確認をすると、材料の中に、この森で採れないものはないという。

 発情抑制剤は、オメガにしか作れない。秘伝というわけではない。レシピは公開しているのだが、なぜか正しい手順で調合をしても、効果を発揮しないものが出来上がる。

 薬師は大いにオメガの抑制剤に興味を持った。材料が揃ったら、一緒に作ってみる約束をした。リッカ自身、オメガ以外の者が作っているのを直接この目で見たことがないので、より詳しいことがわかるかもしれないと、期待した。魔力を持つエルフなら、正しい作用のものができる可能性もある。

 それに、交換条件を出せば、あの研究馬鹿とも言えるエルフなら、リッカの知りたいことを教えてくれそうな気もした。今はまだ、心を許してもらうところまではいっていないから、今日の採集ついでに、彼の欲しがっていた素材を渡し、懐柔してみよう。

 エルフの国では、森と居住地の境目は曖昧だ。ここからが森、と明確に分けられていない。エルフはまさしく森の民なのだな、と、世界樹の前で立ち止まった。

「リッカ!」

 名前を呼ばれただけなのに、リッカは肩を大きく揺らした。

 まるで自分がやましいことをしているみたいじゃないか。

 ごほん、と咳払いをして、振り返る。

「エドアール様。おはようございます」

「ああ、おはよう……じゃなくて!」

 律儀に挨拶を返してくれるあたり人がいい。エドアールは首を横に振り、「どこへ行くつもりだ?」と、尋ねてきた。

「どこって、森へ薬草を採りに」

「ひとりで!?」

 ええ、と頷けば、エドアールは「うう」と、唸り、しゃがみ込んだ。腹でも痛いのかと心配になって触れようとすると、がばりと起き上がる。

「俺も行くから、ここで少し待っていろ」

「でも」

 騎士団長様は、お忙しいのでは?

 遠慮しようとしたのを見透かされ、

「いいな! 絶対に、動くな!」

 と、指で地面を指してまで止めてくる、念の入れようだ。さすがに無視するわけにもいかず、リッカはおずおずと頷いた。

 すぐに戻ってきたエドアールは、騎士の軽装をしていた。鎧や冑すべてを身につけるのではなく、エルフの紋章である世界樹の葉を刻んだ革の胸当てを着用し、帯剣する。最低限の武器防具を身につけた身軽な状態である。

「森へ行くんですよ?」

 リッカが持っている採集した薬草を入れる籠とは違い、やや重そうな袋を持っているのは、さらに武器が入っているのか。それとも食料や何やら、便利道具が入っているのか。

 薬師の説明では、森の最深部まで行く必要はない。中盤の開けた場所でほぼすべての材料は揃うだろうとのことだったし、地図だって丁寧に書いてもらったものがある。

「わかっている。だが、森には人を襲う獣もいる。それに、オメガにつきまとっている野郎は、まだ捕まっていない」

 彼らしくない粗野な言葉選びが、苛立ちを如実に表していた。

 一応は護身術も習っているし、アンジュほどではないが、運動神経も悪くないと自負している。エドアールには自分がいない間、年下のオメガたちを守ってほしかったけれど、彼は話を聞いてくれそうにない。

「俺が君を守る。そう決めているんだ」

「そう、ですか」

 ならば勝手についてくればいいと、リッカは身を翻す。

 どうしてこうも引っかかるのか。もしも護衛についてくるのがエドアール以外の騎士であれば、リッカはありがとうと言って、手伝ってもらっただろう。

 エドアールは、最初からオメガのことを弱者だと見なしている。見下しているわけではないのは、わかっている。実際よりも高いところに置いて、大切にしなければならないと彼は思っている。宝物が、汚れたり、傷ついたりしないよう、しまっておくみたいに。

 オメガは彼の思っているような、崇高なものではない。かといって、下劣なものでもないが。

 良くも悪くも、俗物。エルフや他の種族と同じだ。

 オメガというひと括りにできるものでもないし、罪を犯さない清廉潔白な者ばかりとは言えない。数は少ないながら、喧嘩や窃盗などの軽犯罪、強盗や殺人もまれに発生する。

 アルファ因子を持つエドアールに子どもができたら。しかもそれが、オメガだったのなら。

 きっと、彼は下に置かぬ扱いをする。それがいいこととは、到底思えない。オメガは、ひとの子は必ず、挫折して苦い経験をする必要があるからだ。

 何も喋らないリッカに、エドアールも黙ってついてくる。

 いい秋の日和に、いったい何をしているんだか。無言でいるのは、雰囲気が悪い。

 我ながら呆れたリッカは、渋々ではあるが、エドアールに話しかけた。湿っぽい雰囲気に、これ以上耐えられなかったのである。

「エドアール様は、オメガのことを、殊更にか弱い存在だと思っていらっしゃる」

 この際だ。はっきり言ってしまおう。 

 少し突き放した、改まった言葉遣いをしたリッカに、エドアールの瞳は揺れた。一度目を合わせてから、足下を探り、目当ての薬草を摘む。葉しか必要でないものは、葉を間引くように採集する。根が必要なものは、持ってきたスコップで、傷つけないように掬い上げる。

 見よう見まねで採集活動を手伝ってくれたエドアールは、「そんなつもりはないのだが」と、独り言のように漏らした。

「そりゃあ確かに、僕らには発情期というものがありますよ。けれど、身体は健康な男です。エルフには劣るかもしれませんが、僕だって、人間族の男と同じくらいの体力はありますし、戦うことだって」

「リッカ」

 エドアールは首を横に振る。厳しい瞳である。

「……剣を持って戦うのは、やりませんけれど……」

 唇を尖らせるリッカに、エドアールは「何が不満なんだ?」と、突っ込んでくる。

「僕は、女ではないのです。女の人を見たことはありませんけれど、本の中に出てくるお姫様のように、あなたは僕を扱います」

 リッカは見つめるを通り越し、エドアールを睨み上げる。

「同じ男なのに、一方的に守られるのは、僕は嫌です」

 最後にじっと凝視してから、リッカはさっとしゃがみこみ、再び薬草を掻き分け始めた。

 紛れもなく本心だが、こんなところで、駄々をこねるみたいになってしまった。

 エドアールに背を向けていると、彼はぽつりと言った。

「女扱いをしているとしたら、そうなのかもしれない……君は、どこか母に似ている気がするから」

 リッカは手を止めた。振り向くと、離れたところでエドアールは作業をしている。こちらを見ずに、ぷちぷちと草を抜いている。

「俺の母親が、踊り子をしていたのは前に言ったな。多種族の旅芸人の一座に加わって、あちこちに出向いていた」

 排他的で、あまり外の世界に出ようとしないエルフにしては珍しく、エドアールの母は好奇心旺盛だったようだ。きっと、美しいダークエルフの踊り子は注目を浴びただろう。

 凱旋帰国した母親は、国王のお目通りに叶った。ダークエルフは差別されていたが、外国の話に興が乗った父王は、踊り子を抱いた。

 たった一度で子を成すはずがない。長寿の種族は得てして、繁殖力は高くない。何度も何度も枕を交わして、ようやく妊娠するものだ。

 なのに、よほど相性がよかったのか、タイミングがよかったのか、一度きりの情けによって、エドアールの母は国王の子を孕んだ。つ国で産んだ息子にエドアールと名づけた彼女は、エルフの国に戻る。

 この子は国王陛下の子だ!

 王城にやってきては、門前払いを食らう。それでも母親は諦めず、幼い息子を抱いて、城の門の前で毎日朝から晩まで、座り込みをした。

 そのうち、門番の兵士たちは絆される。ダークエルフの女は、旅芸人との放浪の人生で、自分がどう見られ、どう演出すれば思い通りになるのか学んでいた。世慣れていた。強かであった。

 徐々に味方を増やしていき、最終的には王と懇意にしていた魔道士に、「この子と陛下の魔力を見てください。絶対に同じ部分がありますから!」と主張し、鑑定をさせた。確かに王家の者にしかない魔力の色や形が見えたために、エドアールは第四王子として認知された。けれど母親自身は、寵姫と認められることはなく、離ればなれで暮らすことになってしまった。

 ――二百年以上前の、リッカにとっては歴史や伝説と言ってもいいほどの昔話だったが、エドアールにとっては、紛れもなく現実だ。

「俺にとっての女は、母のことだ。女は強い。身体じゃなくて、心が」

 エドアールは静かに問う。

「子を産むのは、想像を絶する苦痛が伴うらしいな」

 自身は妊娠、出産を経験していないリッカだが、毎年のように各種族・各国の要人との繋がりを得るために妊娠し、子を産む義務を負う母のことをずっと見ていたから、頷いた。

 古い文献に描かれた図を見れば、女の場合、伸縮性が高い膣を通って子どもが産まれる。オメガの男よりも、はるかに出産に適した構造だ。それでも当時、子をその腕に抱くことなく、産褥死する女が絶えなかったという。

 エドアールは、そうやって女の腹から産まれた、最後の世代だった。

「オメガも、俺たちよりもずっと強い。特にリッカは、俺たちにも物怖じせずに接するし、賢くてしっかり者で、年下の世話を焼いている姿も頼もしい」

「ちょ、ちょっと待って……」

 オメガの仲間たちの世話を焼くのは、年上としても王族としても当たり前で、褒められるようなことではない。

 なのにエドアールは、手放しでリッカのこれまでの生活を褒めそやす。

「それでもやっぱり、人間族とほぼ同じリッカを見ていると、どうしても守りたいという気持ちが生まれてくるんだ。難しい顔をしていれば、一緒に解決したいと思うし、悲しそうにしていれば、花を贈って慰めたいと思う」

 言いながら、彼は咲いていた野の花をリッカに手渡した。反射的に受け取ってしまう自分に、リッカは戸惑う。

「どうか、俺に守らせてはくれないだろうか。君を、君の仲間たちを、傷つける者から」

「エドアール様……」

 見つめ合う時間は長く感じたが、実は一瞬だったかもしれない。先に逸らしたのはリッカだった。くるりと彼に背を向けて、森の入り口へと歩き出す。

「もう、十分集まりましたので……」

「そうか」

 後をついてくるエドアールの足音が、どうも寂しく聞こえるのはなぜだろう。落ち葉を踏みしめ、枝がポキリと折れる。そんなの、自分の足下からも同じ音がしているはずなのに。

 どんな顔をして、彼は歩いているのだろう。知りたいと切望する自分自身に、振り返ってはいけないと、リッカは戒める。

 振り向いたらきっと、自分は絆される。オメガの最後の誇りをぐずぐずに溶かして、依存していく未来しか見えない。

 強いと言ってくれたひとは、初めてだった。彼の前で弱い自分を晒してはならないと、腹に力を入れて歩く。

 森から出ると、エドアールはすぐに呼ばれて行ってしまった。騎士ではなく文官だったので、おそらくは王族としての呼び出しであろう。

「また薬草を採りに行くときは、必ず顔を出してくれ」

 彼は言い残し、慌ただしく城へと戻っていった。

 手伝ってくれた礼すらまともに言わなかったことに思い当たり、なんて恥知らずなんだ! と乱心したのは、採取した薬草の根を水で洗っている最中のことだった。

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