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<3話
光希の成績は中の上というところだった。本命の公立高校の合格圏内には入っているものの、海棠高校に受かるためにはまだ弱点が残っている。
連絡先を交換して翌日、早速光希からの泣き言が入っていた。
『学校の先生と塾の先生が海棠の受験を許してくれない』
日程の関係上、受験できる校数が限られている。私立は確実に合格できる滑り止めを受験するのがセオリーだが、光希は最高偏差値に近い学校を受験するといきなり言い出したのだ。中学校も塾も、高校浪人なんて出したくないだろうから、反対は当然だった。
もしも本当に光希が高校浪人してしまうとしたら、その責任は自分にある。言い出したのは自分だ。だから無償で力になれるのも、自分だけだ。
恭弥は光希に塾がない日を尋ねた。予定を合わせて週に二回、自分の家に呼び出して、勉強を教えることにした。
初めて好きな人の家に入るのにそわそわしていた光希だったが、部屋の中に居座っている譲を見て、引きつった笑みを浮かべた。
暗記は苦手じゃないから社会や理科の二分野は得意で、英語は好き。しかし数学や理科の一分野も得意ではない。極め付けは国語である。
「登場人物の気持ちを答えなさい、とか言われても、俺そんな経験したことないし。古文とかもう、何? って感じ」
そしてその国語は、恭弥の一番の得意分野だった。国文学を専攻している以上、どうにかしてみせようと心に誓う。
「まず現代文ができない奴が古文を読めると思うのが間違いだから、古文は単語や文学史覚えて。覚えるの得意だろ? 現代文から詰めていくから」
やるべきことを理屈を含めて順序立てて指示すると、素直な光希はその通りに課題をこなし、飲み込みも早かった。
「すごいわかりやすいです。御幸さん、先生になるの?」
「教職は取ってるけど、ならないよ」
「えっ、もったいない。教えるの上手なのに」
教師になる気は毛頭なかった。あんな大変な仕事もなかなかないだろう。それでも教職を取っているのは、上京に際しての両親との約束だからだ。
そう告げると、「そういえばなんで御幸さんは、和桜大学に行こうと思ったの?」と、光希は質問をぶつけてきた。
「うちの兄ちゃんは、和桜だとモテるから~ってへらへらしてたけど」
恭弥はその質問には答えない。指でトントン、と問題集を指さして、
「口よりも手を動かしな」
とだけ言う。聡い光希はそれだけで、自分の問いが恭弥の鬼門だということを察知して、黙って問題を解き始めた。
好きな人を追いかけて上京してきた。その事実を光希に教えることは躊躇われた。自分のことを慕ってくる子供に、そんな酷なことはできなかった。
しかもその人に少しだけ似ているから構っているんだと光希が知ったら、ショックを受けるに違いない。
一生懸命に難問と向き合っている光希の顔は真剣だ。恋愛目的、いわば不純な動機で難関校を受験しようとしているとは思えない真摯な態度だった。
けれどよく考えてみれば、自分も去年は同じ顔で受験勉強をしていた。千尋に会えない二年間の空白を埋めたくて、浪人など許されないから、必死だった。
実際自分はこうして大学に合格している。恋愛が勉強のモチベーションに繋がるというのは事実だ。光希も海棠高校に合格する可能性は、ある。
合格したところで、今のところ恭弥は光希と付き合う予定はない。次の難題を突きつけるだけだろう。女装した千尋に憤りは覚えたが、それでも彼は、恭弥の憧れの先輩で、光希のことは恋愛対象にはならない。
できた、と光希が言うのと、台所から譲が出てくるのは同時だった。恭弥の家で勉強会をするときには、譲が夕飯を作るのが定番となりつつある。
「お待たせ~。今日はおでんにしたよっ!」
「どうりで、昼間からずっと台所にいると思った」
テーブルの上を片付けて、おでんの鍋を迎え入れる。わぁおいしそう、と言いながら光希は皿を運ぶのを手伝おうと席を立った。
「光希はイイ子だね~。それに比べて御幸と来たら」
「僕は家主で場所を提供しているんだから、いいの」
それに実際に恭弥が立ち上がって手伝おうとしたら「いらないいらない」と断るのは譲の方なのだ。
食事を終えて、少しの間勉強を続け、夜九時にはお開きになる。
「じゃあ、今度は土曜日……」
「あ、あの、御幸さん! 土曜日なんだけど、その、泊まりがけで勉強しに来ちゃ、だめ? 親には許可もらってるんだけど……」
恭弥は譲の顔を見た。譲は唸りつつも、「いいよ」と言った。
「なんで百田さんが応えるんですか……いつも思うんですけど」
「そりゃあ俺は、御幸姫のナイトですからねえ」
光希は納得しかねるという表情で譲を見ていたが、それでも宿泊の許可が出たことを喜んでいた。
>5話
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