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<28話
「お前を混乱させないために、出会ったときの夢を見せていたから……気づかなかっただろう」
小さい頃のお前も可愛いな、と彼は言う。間に挟まれた「も」という文字の意味に一瞬遅れて露子は気がついて、頬が熱くなった。咳払いをしてごまかす。
「……なんで、言ってくれなかったのよ……夢なんて朧気なものじゃなくて、直接自分が俊尚だって言ってくれても……」
そう呟くと、俊尚はふと真顔になった。
「秘密を知る者は、少ない方がいい。お前の父が何かを企んでいることは、すでにわかっていたからな……それに、言ったところで、お前は信じたか?」
いいえ、と露子は首を振った。今でこそ怪奇現象に見舞われて、それを特殊な術を使って解決した俊尚を見ているから、彼の言葉を信じようという気になるけれど、露子は結局、自分の目にしたものしか信じない。
「ごめんなさい。こんな女で」
思わず謝罪すると、俊尚は目を丸くした。それが従者・烏として振舞っていた頃のことを思い出させる。
「別に構わない。お前はそれでいいんだ。自分を信じろ、とも俺はあのとき言っただろう」
自信を持て、と励ましてくれる俊尚は、親よりも雨子よりも、露子のことを認めてくれている。
「あ、あとそうだわ。翡翠のことだけど……」
「翡翠?」
あなたにもらった猫よ、と露子は言った。
「あのとき助けに来てくれたの、翡翠よね?」
悪鬼と化した桜花から、露子を守ってくれた巨大な化け猫。その目は見覚えのある、緑色だった。
問いに対して、俊尚は首肯する。お前の護衛だが……怖くなかったか、と聞かれ、「全然」と首を横に振った。
「可愛くて強いなんて、最高じゃない。悪い奴だってあれなら油断するわ。護衛としてとっても理想的」
露子の言に、俊尚はお前らしい、と苦笑する。
取り繕わない自分を、「らしい」の一言で認めてくれる人なんて、今まで一人もいなかった。お前はそれでいいんだ、と言ってくれる人がいるだけで、こんなにも気持ちが楽になるのだと、露子は知った。
俊尚様は奥方様を愛しています、と使いの童のフリをして、俊尚は自分の本心を伝えていた。こっそりと護衛をつけて、守り通したいと思ってくれている。そのことが露子の胸に喜びをもたらす。
父にすら愛されなかった娘を、夫となった男は心から思ってくれていた。
けれど露子には、もう一つ、確かめたいことがあった。
「……愛してると言いながら、あなたは私を利用したのね?」
俊尚ほどの術者であれば、露子の着物に結界破りの刺繍が施されていることにも、気がついたはずだ。桜花への文だって、露子は烏に託していたのだから、盗み見ていたに違いない。
それなのに彼は、桜花のところへ行き、帝と謁見しようとする露子に、何の手も打たなかった。黙って泳がせて、実際に何かが起こるまで待っていた。
「私だけじゃないわ。女御様も利用した。それに、何も知らないだろう帝も」
すべては、そう。
「……摂関家のために」
俊尚は苦渋の表情で頷いた。
「私は彼には、逆らえない。弟でさえも、そうだ」
帝は関白の言いなりで、兄である俊尚も、彼らの意向に逆らうことは許されていない。それこそ、兄弟ともども暗殺されてしまうに違いないからだ。
俊尚は露子を見つめた。
「関白の地位を守るため、弟である帝すら、妻のお前すら、危険に曝す……俺はこんな男だ。これからもそれは、変わらない。人はそんなには簡単に、変わることはできない」
現に露子は、あれだけの恐怖体験をして、俊尚の陰陽師としての力や悪霊、呪いの存在は信じることにしたが、暦に従う生活に関しては未だに理解できず、拒絶している。人はなかなか根本の部分は変えられない。
「それでも露子、お前となら……呪いにも、誰かの悪意にも立ち向かえるような気がするんだ」
そっと、俊尚は露子の手を掴んだ。小刻みな震えが伝わってきて、今彼がどれだけ緊張しているのかを教えている。
「だから……改めて言う。お前を愛している。俺の妻になってくれ」
飾り物ではなく、信頼関係で結ばれた真の妻として、支えてほしい。俊尚は真剣に言葉を選び、紡ぐ。
求婚のやり直しに、露子は目を閉じて考える。
結局のところ、女は道具だ。自分だけではない。母も、桜花も。それに帝や俊尚自身も関白に利用されている。ひょっとしたら関白自身もまた、大いなる「何か」に利用されているだけなのかもしれない。なんて、らしくないことを考えた。
同じ利用されるなら、自分を愛してくれる人のために。
露子は目を開けて、俊尚の手を今度は自分から握り直した。そうすると彼は心の底から幸せそうに微笑んだ。
ああ、この人の想いは本当だ。信じられる。
露子はそう思い、微笑み返した。
(終)
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