カット、の声がかかるまで一瞬たりとも気が抜けない。まるで息を止めているような気持ちでビデオカメラが止まるのを待つ。ようやくそのシーンの撮影が終了して、ふぅ、と貴臣は息をついた。今日の撮影はこれで終わりだ、と「お疲れ様でした!」と共演者やスタッフに声をかけ、スタジオに用意された控室へと向かう。
その矢先、声をかけられて振り返った貴臣は、声の主を認めてにこりと笑った。お愛想でも社交辞令でもない、本心からの微笑みだ。
「すーちゃん」
可愛らしいあだ名とは裏腹に、彼は背がひょろりと高い。顔立ちは可愛いと言えないこともないが、明らかに男であることはわかる。ぎょろっと大きい目は愛嬌があって表情をくるくると変えるのがチャーミングだと貴臣は思っている。
「ちょっとそのあだ名やめろよ」
嫌そうな顔をしながらすーちゃん、こと神矢昴は貴臣の額をぺちん、と叩いた。痛いよ、とくすくす笑う貴臣に、自然と昴の方も笑顔になる。
「だってすーちゃんはすーちゃんだろ」
「ファンにそう呼ばれるのはしょうがないけど、お前までそうやって呼ぶ必要ないだろ」
「えっ、俺だってすーちゃんのファンなのに?」
「訂正。女の子のファンに、な」
「ひどいっ! ファン差別!」
対等に話すことができるようになった喜びで貴臣は胸を熱くする。本当に昴のファンだったのだ。
子役上がりで演技もできる若手イケメン俳優としての人気を確立した昴を初めて見たのは己もまだ子供のときだった。あれは小学校の二年生のときだっただろうか。熱を出して休んだ日、母親が仕事に行く前に置いて行った昼食をもそもそと食べながらぼんやりとテレビを見ていたとき、彼はそこにいたのだ。
昼の帯ドラマで子役として出演していた彼は、当時まだ四歳か五歳。本当に可愛らしい顔立ちで、貴臣は昴のことを女の子だと信じて疑わなかった。帰宅した母にねだって毎日録画をしてもらい、彼の姿にドキドキしていたのだ。
それは彼が男の子だと知っても同じだった。思えば昴は貴臣の初恋だったのだ。神矢昴という名前を知ってから「すーちゃんすーちゃん」と毎日学校にも彼の切り抜きを下敷きに入れて持っていっていたのだから筋金入りだ。
いつか会って話したい。中学生になって高校生になって、貴臣もたくましく成長したけれど、昴もにょきにょきと背が伸びて女の子には到底見えなくなってしまった。それでも貴臣は彼のことが好きだった。大ファンだった。
だから高校三年に上がる直前の春休み、街をふらふら歩いていてスカウトされたときには神様がくれたチャンスだと確信した。俳優になれば、同じステージに立つことができる。大学進学を望んでいた両親をなんとか説得して、貴臣は芸能界へと足を踏み入れた。
昴との共演の夢が叶ったのはそれから五年が経過した今年のことだった。昴が主演を務めることになったマニアックな深夜特撮ドラマのサブ主人公に貴臣が選ばれた。決まったときは嬉しくて泣いたし、初めて挨拶をして握手をしたときも何も言えないでぼろぼろ泣いてしまったほどだ。そのとき昴に引かれなくて本当によかったと思っている。俺が長年好きだった子は優しい子だぞ、と声を大に叫びたいくらいだった。
「で? 何の用? すーちゃん」
「ん? ああ、明日オフ?」
年下のかわいらしさを全開に首を傾げる――すでに彼の方が背が高いのだが――昴に、「暇暇! ぜんっぜん暇!」と言いかけて、貴臣ははたと明日の予定を思い出す。
「あー……ごめん。すーちゃんと遊びに行きたいのはやまやまなんだけどさ、俺明日、エステの予約入れてもらっちゃったんだよね、マネさんに」
「エステぇ~? 何それ貴臣、女の子みたい」
げらげらと昴は笑うが、二十歳を過ぎて男も何もしないと肌がぼろぼろになるんだからな、と貴臣は胸を張る。すーちゃんだってまだ二十歳前だからそんなぴちぴちなだけで、何にもしてなかったら大変なんだから! と。
「一回行ってみるとリラックスできて癒されるし、心も身体もリフレッシュできるよ」
ふぅん、と昴はそっけない。これ以上エステの話をしていても仕方がないと貴臣は考えて、「今度のオフのときはまた遊んでよ」と微笑んだ。
>2話
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