恋は以心伝心にあらず(14)

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13話

「あ、おい、ちょっと!」

 その後、何度コールしても、幹男は出てくれなかった。仕方なく諦め、千隼はずるずると重い身体を引きずり、寝室に引きこもる。

「どうしたいかなんて、わかるかよ」

 どさりとベッドに倒れ込んだ千隼は、腕で目元を覆った。暗くなる視界の中、思い出すのは九鬼のことばかりだった。

 いつか、こうなる日が来ることをわかっていて、九鬼との関係を続けてきたのではなかったのだろうか。

 ノンケは信用できない。絶対に女を選ぶ。

 幹男にはずっとそう言っていたくせに、全然、これっぽっちも覚悟なんて出来ていなかったのだ。

 本命の恋人ができた時点で自分との関係を断つべきは、九鬼の方。

 ずるずると自分をキープしようという九鬼のやり口に、怒りを覚えるべきなのに、どうしてもそれが、責任転嫁のような気がして、千隼は自己嫌悪とともに、ごろりと寝返りを打った。

 顔を横に向けると、ふと本棚が目に入った。仕事に必要なプログラミング言語のテキストに混じって、漫画の単行本が刺さっている。そのほとんどが、九鬼の持ち込んだものだった。

 彼の勤め先が出版した漫画もあるが、その多くは、彼の趣味である。

 セフレを解消するってなったら持って帰るんだろうから、本棚もスカスカになりそうだな。

 もっぱら最近は、漫画や雑誌は電子書籍で済ませている千隼である。

 のろのろと立ち上がり、本棚を整理することにした。九鬼の私物は、着替えよりも断然、漫画やライトノベルの方が多い。今のうちにまとめておこう。いついなくなってもいいように。

 淡々と機械的に、千隼は漫画を抜いていく。

 本棚整理の大敵である、「読み返したい」という誘惑に駆られることはない。九鬼のことを思い出すトリガーは、少ない方がいいのだ。

「これ……」

 奥から出てきた一冊の漫画に、千隼は胸を掴まれる。

 ふわふわと柔らかい色彩の表紙は、男が手に取るのに少し躊躇する、見るからに小中学生の読む少女漫画だ。

 この本は、九鬼のものじゃない。高校時代、自分が購入したものだ。ところどころ変色したページを捲ると、色褪せない思い出が蘇ってくる。

 漫画を買ったきっかけは、やはり九鬼だった。

 姫扱いに不満を抱く自分を見抜いた九鬼に、礼を言いそびれたことを思い出した千隼は、放課後、彼を探し回っていた。靴箱を確認したところ、まだ帰宅していなかった。

 部活でもしていてくれたら、楽だったのに。

 残念ながら彼は、部活動ではなく、外部の道場で剣道を習っていたため、千隼は校舎中を探すはめになってしまったのである。

 ようやく見つけたのは、図書室であった。真っ先に向かったときには見つけられなかったので、入れ違いになったのだろう。

 閉室間際で、他には誰もいない。司書は準備室に籠もっていて、千隼の入室にも気づいていなかった。

 帰り支度をする素振りもなく、九鬼は黙々と、漫画に目を落としていた。

 千隼が声をかけると、ゆっくりと顔を上げた。長い前髪が目元を隠し、表情が読めない。

 恐る恐る、「今日はありがとう」と言うと、九鬼はそこで初めて、自分に声をかけたのが千隼だということに気づいた様子だった。

 何の反応も見せない九鬼に、自分から話さなければならないと、千隼は焦った。

『その、なんで九鬼は、俺が困ってるってわかったんだ?』

『見ていればわかる』

 理由になってないじゃないか。

 不満そうな千隼をよそに、九鬼は切りのいいところまで漫画を読み切ったのか、帰り支度を始めた。相変わらず、会話を成立させようという気のない男だな、と思った千隼の頭を、ふわりと大きなものが覆った。

 頭を撫でられたのだと気づいたときには、九鬼の手はすでに離れていた。

『お前の周りの連中に、見る目がなさすぎるんじゃないか』

 それだけ言って出て行った九鬼を、千隼はぼんやりと見送った。

 あの日、図書室で彼が読んでいた漫画を、千隼は本屋でたまたま見つけて、買った。少女漫画を買うのは初めてで、無駄にドキドキしたのを今でも覚えている。

 千隼や周りの友人たちが読んでいたのは、少年漫画誌に載っているバトル漫画やスポーツ漫画ばかりだった。たまにエッチな漫画も話題になっていたようだが、姫である千隼の前では、隠して読んでいるらしかった。

 少女漫画は、千隼の知る漫画とは違った。ヒロインの恋愛感情はもちろん、相手の気持ちの動きもまた、細やかな表情や行動で、こちらに伝わってくる。

 きっと九鬼は、少女漫画を読んでいるから、俺の本当の気持ちにも気がついてくれたんだな。

 千隼はそう納得した。ヒーローがヒロインの頭を撫でたときには、思わず、一瞬だけ触れた九鬼の手のひらの重さを重ねていた。

「ああ、なんだ」

 久しぶりに読み返して、ちょうどそのシーンにさしかかったとき、千隼はすべてを理解した。

 あの頃からきっと、自分は九鬼に惹かれていた。だからこそ、童貞であることを悩む彼を、必死で誘惑した。セフレならば、この気持ちを伝えなければ、拒絶されることもない。

 純情なアプローチをできるほど、自分はおきれいな存在じゃないことを、千隼は知っている。

 少女漫画のヒロインとは程遠い、自分の醜さもまた、恋であったのだ。

15話

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