甘えたDomの背中には(1)

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(どうしてこうなった……)

 目の前でとろけた笑みを浮かべる男は、恋人関係ではない。彼の健康のためにパートナーになっただけだった。自分の抱く想いは別として、名目上は、そういうことになっている。

 桃治とうじが他人に説明したとしても、傍から見れば納得しがたいだろう。そのくらい、男の醸し出す雰囲気は甘い。

 だが、よく見てみてほしい。

 彼の愛情深い視線は、本当に目の前の冴えない男に注がれているだろうか。

 彼が誰もいない中空を見つめていることに、果たして凝視されている当の本人以外の誰が、気づくだろう。

 きっかけは、可愛い姪のお願いだった。

 二十四歳、華の盛りの頃にわざわざこんな場末のSMバーに来なくとも、と思うが、自分に会いに来るためだと思えば仕方ないし、こそばゆくも嬉しい。

 彼女に見つめられると、桃治は弱い。あまりの眩しさに、吸い込まれそうになる。

 逆らえないのは、決して、年の離れた姉に似ているからではない。

 社会人になってから覚えた酒の飲み方は、絡み酒のひどい姉に、本当にそっくりだ。据わった目をして、干支一回り違う叔父相手に、啖呵を切って見せた。

「だーからー、ちょちょいとプレイしてやってって言ってんのよぉー。とーじくん、Subなんでしょー?」

 今日はカウンターに立ち、バーテンダーの隣で真似事をしている桃治の襟首を、躊躇なく掴む。常連とは言わないが、顔を忘れられない頻度で来店する鈴女のことを、店のオーナーも客も、誰も止めなかった。

「グラス拭いてるから危ないって。それに、俺はSubじゃなくてSwitch」

 次のオーダーを誰か早く入れてほしい。そうすればこの場から逃げることができるのに。

 しかし、こういうときに限って、誰も何も注文しない。ニヤニヤと叔父と姪のやりとりを見守っている。

「でもSubもできるんでしょう? だからおねがい! とーじくんしか頼れる人いないの……」

 飴と鞭、北風と太陽。すぐさま泣き落としに切り替えるあたり、我が姪ながら強かであった。目をパチパチ瞬かせても、涙は一切出ていないが。

「ねぇ、俺今めっちゃ鳥肌立ってるんだけど、見る?」

 ちょうど客との一戦を終えて戻ってきた若い男性キャストに、逃避のつもりで話しかけた桃治だったが、当然返ってきたのは「No」だ。

 そんなことより水ちょうだい、と言われて、へいへいとグラスに注いでやる。

「とーじくんっ!」

「あーもう、わかったよ、しょうがねぇなあ」

 三十六にもなって、悪ぶる癖が抜けないのは、まともな昼職に就かずにあっちこっちふらふらしている人間が、真面目なそぶりを見せても嘘っぽいと思っているせいだ。

 SMバーでの勤務だって、所詮雑用だ。独立したいとか、そういう気持ちはまるでない。

 ただ、夜型の自分には向いている。キャストが足りなければ、プレイの代行することもあり、欲求不満も解消できて一石二鳥だった。

 ただそれだけの理由で、ずるずるともう十年近く働いている。

 くだを巻いている鈴女すずめは、仕事帰りのスーツ姿で、どこだったか、ご立派な会社に勤めている。マスコミだか出版社だか、そんなところだ。

 思えば姉も計画的な女で、大学時代に見つけた超優良物件の彼氏と結婚に持ち込み、レトロな言い方をするならば、有閑マダムというやつになっている。

 彼女たちに弱いのはきっと、自分が中途半端だからだろう。そしてそんな自分を叱咤しつつも、最終的には許す姉と姪に、桃治はいい年をして甘えている。

「ありがとっ、とーじくん!」

 酔った鈴女は、チュッと桃治の頬にキスをした。

 鈴女狙いの若い黒服が、ジト目で睨んでくる。

 俺のせいじゃないっての。

 ぼんやりする、だるい、熱がないのにどこか熱っぽい……これらの病気とは言いがたい症状の原因の一部が、ダイナミクスと呼ばれる遺伝子タイプの影響であることが判明したのは、桃治が中学生の頃だった。

 人種に関係なく、人類の二~三割は、遺伝子中に特殊な因子を持っている。彼らはとある行動を本能的欲求として持っており、解消しないと慢性的な体調不良を引き起こす。

 目の前の男は、その特殊因子――Dom型を持つ人間だった。鈴女の隣に座って、へらりと笑う顔は優しげで端正だが、どこかぎこちない。それに、ひどくやつれていた。

 目の下の隈は濃く、今時の若者らしく化粧で隠そうとあがいた跡が見えた。秋に入りたてとはいえ、まだ乾燥の季節とはほど遠い。なのに男の口の端は、少し切れて血が滲んでいる。

 栄養が足りないのか、ケアにまで手が回らないほど疲れているか。おそらくその両方だろう。

 SMバーに定期的に来店する、限界社畜みたいだな、というのが桃治の第一印象だった。

 ブラック企業勤めで、パートナーを作る暇すら惜しむ連中が、こんな顔をして店に来る。

 何も注文せず、従業員との会話を楽しむでもなく、さっと空いているキャストとともに個室にこもり、小一時間ほどですっきりした顔で出てくる。

 店の舞台では、Neutral向けのSMショーも行うが、メインはDomとSub――支配欲を持つ者と被支配欲を持つ者――との一夜を整える場だ。

 近年、マッチングアプリで相手を見つけることが多いが、継続的なパートナーを必要としない場合、手っ取り早いのは昔からある、その手の店だ。

 雇っているキャストにはDomもSubもいて、手首につけたミサンガの色によって見分けられる。赤がDomで、白がSubだ。何もつけていない人間は、プレイに応じることのない従業員である。

 桃治が店でつけているのは、ピンク色の紐だ。慣れている客でも、「へぇ、珍しいね」と言う。店には自分ひとりしかいない、Switchの証だ。

 相手に合わせてDomとSubを行き来する、都合のいい存在。それが俺。

真堂しんどうです。真堂いたる。初めまして」

 弱々しい声音に、はて、鈴女が言うにはこの男はDomのはずだが、これまで相手をしてきた連中とは違い、覇気がほとんど感じられない。

 戸惑いはぐっと飲み込んで、桃治は愛想笑いを向けた。接客業お得意の営業スマイルである。

「初めまして。鷺沢さぎさわ桃治といいます」

 初対面の男ふたり、会話が進むはずもない。間に入った鈴女はといえば、話を回すでもなく、「ほら、とっとと行ってきなさい!」と、喫茶店の隣のビジネスホテルのカードキーを手渡してきた。

 そこまで姪にお膳立てされるのは、多少なりとも恥ずかしい。しかし桃治は、何も言わずに受け取った。

 同期の至をどうにかするために、彼女は叔父の自分に頭を下げた。

『前のパートナーが、年上の男性だったんだって。その人が事故で死んじゃってから、プレイができなくなって』

 結果、体調不良が続き、至は現在休職中であるとのこと。

 どうりで、営業職の割にスーツがくたびれたままだし、シャツのボタンが掛け違っていることにも気づいていない様子である。

 年上・男・Sub(桃治はSwitchだが)という条件は、亡き恋人のことを思い出して辛いのではないかと気を遣った。

 だが、鈴女曰く、

『大丈夫! 桃治くんの写真見せたら反応悪くなかったし!』

 とのことだが、彼女の持っている写真とはつまり、十年以上前の全盛期の写真ではないか。最近は、カメラを向けられることもないし、自撮りをSNSにアップする趣味もない。

 一応客商売のために、髭は毎日剃るし小綺麗な格好を心がけているが、それでもどこかしらくたびれている。鈴女の同期ということは、ちょうど一回り違う。元彼が年上と言っても、そこまでは離れていなかっただろう。

 おどおどとこちらを窺う青年に、哀れみを覚えた。

 こんな青い顔をした最低のコンディションでなければ、このイケメンをフリーのSubが放っておくわけがない。よりどりみどりだろうに、こんな枯れ気味のオッサンを相手にしなければならないとは。

 ま、一発ヤれば元気になるだろうし、そしたらまた、自分好みの相手を見繕ってくれ。

 ふっと息を吐き出して、カードキーを手に、「それじゃあ行きますか」と、桃治は至の腕を引き、立ち上がらせた。

「えっと……」

 ためらいがちに着いてくる青年は、まるで雛のようだった。

(2)

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