甘えたDomの背中には(10)

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(9)

 心霊相談を兼ねた心理相談所は、周辺地図を見たところ、電車よりも車で行った方が便利そうだった。幸い駐車場もあるようで、姉の家に車を借りに行く。

 鈴女そっくりな姉は、「ちょっとやだ。あんたひどい顔よ?」と、眉間に皺を寄せて、背の高い弟の前髪を分け、顔をよく見えるようにした。

「子ども扱いすんなよ」

「これは子ども扱いじゃなくて、弟扱いです~。あんたは一生、私の弟なんです~」

 そう言われると、桃治は黙るしかなかった。

「鈴女は?」

 行き慣れている姪が運転すると言っていたのだが、姿が見えなかった。

「それが、急な出勤になったから、別の人に任せるって」

「はぁ? 無責任なやっちゃ……」

 初対面の他人と車で行くくらいなら、迷ってでもひとりで行った方がマシだ。

 そのとき、タイミングよくチャイムが鳴った。はいはいと応対しに行く姉の後ろをくっついていくと、そこには招かれざる客がいた。

「え? なんで至が?」

「山森……鈴女さんに、頼まれまして」

 いまだ休職中で、暇を持て余している至が、鈴女の代役としてやってきた。

 聞いてない。

 桃治がスマホを確認すると、「ごめーん。真堂くんに頼んだから、あとよろしく!」と、ふざけた顔をしたスタンプとともにメッセージが送られてきていた。まったく悪いと思っていないことだけ、よくよく伝わってくる。こんなもの、既読スルーに限る。

「早く行かないと、予約時間に間に合わなくなってしまいますよ」

 促され、スマホをポケットにしまった桃治は、彼の後ろにくっついて車に乗り込む。

 会いたくなかった。すべてを解決し、大手を振って、彼にはいい顔だけ見せたかった。

 念のためにとカーナビに住所を入力する至に、「道、大丈夫なのか?」と聞いた。スマホの地図で確認した感じだと、結構奥まった場所だったから、ナビがあっても迷いそうだ。

 もたもたと慣れないナビへの入力を済ませた至は、シートベルトをしながら、請け負った。

「たぶん大丈夫です。僕も山森さんの推薦で、一時期通っていましたので」

「……へぇ」

 妙な間が空いた。助手席に座った桃治は、至の顔を見ずに、窓の外を眺める。

 そりゃあ、当然か。Domとしての本能を満たすことへの忌避、親しいパートナーを亡くした喪失感。それらすべて、精神科医やカウンセラーの領分だ。

 加えて、鈴女のツテのそこは、心霊相談も請け負っている。至が真央の想いを少しでも感じたいのならば、そういう場所を頼るのも頷けた。

 無言で車を走らせること三十分、予約時間の少し前に、相談所へと着いた。

 医療に近いことを行う機関だが、外観はそうは見えない。ただの一軒家で、周辺の住宅にすっかり溶け込んでいる。鬱蒼と庭に茂った木は、明かりを取り入れつつも室内を覆い隠す。

 外観で普通の家と違うとわかるのは、力強い筆文字の看板が下がっていることだった。ただし、「高月たかつき心 事務所」となっている。一文字消えてしまっているのだ。そこにあった文字が、「理」なのか「霊」なのか、巧妙にわからなくなっている。あるいは最初から、どちらも書いていなかったのかもしれない。

 知らず、唾を飲んでいた。至の手が背中に当てられる。

 落ち着いて、そう、ゆっくり。

 まだ予約時間まで五分ある。深呼吸をして、桃治はチャイムを鳴らした。

「高月千和せんわです」

 受付もカウンセリングもすべて、そう名乗った男性がするようだ。他には一人もいない。職員も、患者も。

 知る人ぞ知る、というやつだろう。一日に三組しか受け付けていないそうだ。三日で予約が取れたのは、幸運だった。

「お久しぶりですね、真堂さん」

 眼鏡の奥の目を細めて、高月は至にも挨拶をした。頭を下げられた彼は、少し緊張した面持ちで、会釈を返す。

「では、鷺沢桃治さん。カウンセリング室へどうぞ」

 ちらっと振り返る至は、待合室に残るらしい。当たり前だったが、なんとなく心細くもあった。

 高月は中性的で、どことなく得体が知れなかった。幽霊や呪いについての相談も随時受けているというのも、納得できる風采である。

「どうぞ、そちらへ」

 応接室に置いてあるソファに腰を下ろす。高月は向かい合う、少し離れたデスクに着いた。観察されている居心地の悪さに、桃治は座り直す。

「それで。山森さんからは、悪夢を見続けていると伺っていますが、もう一度、ご自身の口から説明していただいてよろしいですか?」

 桃治は悪夢について話をする。高月はさすが、聞き上手であった。桃治が忘れていたような些末な事項まで、彼の質問に沿って回答をしていくと、輪郭がはっきりとしてくる。

 やはり、あの声は真央の声ではないのかと。

 確かめる術はないが、他に恨まれるような、「あの子は俺の子だ」と主張されるような覚えはない。

「なあ、先生」

 カウンセリングとは、一方的なお説教でもされるのかと思い込んでいた。それか、役にも立たないアドバイスをされるのか、と。

 けれど高月は、尋ねてばかりだった。じっと桃治の目を見ている。その心の深淵を、覗き込むように。

「なんでしょう」

「先生は、幽霊が見えるんでしょう?」

 高月は口元に微笑をたたえるだけで、是とも否とも言わなかった。桃治は肯定と受け取って、話をする。

 この男には、きっと、本当は自分が見えていないものも見えている。そうに違いないのだ。

「だったらあいつの、至の背中に、幽霊が見えるとかって……」

 いるのなら、代わりに聞いてもらいたかった。怒っているのか、恨んでいるのか。

 彼のことを、結局あんたはどう思っていたのか、と。

 至が語る真央の像に違和感を覚えたのは、彼らのなれそめを聞いたときのことだった。

 いつから真央とはパートナーだったのかと問えば、至が小学生のときだったという。

 中学三年生の遺伝子検査で、ダイナミクスはおおよそ特定される。DomやSubと診断された生徒たちは、欲求に振り回されない方法や、パートナーとのコミュニケーションについて学ぶ。

 小学生の保健体育では、そういう因子が存在するのだということしか習わないはずだ。検査もしていないから、ダイナミクスも確定できない。

 なのに、至は小学校に通っていた頃から、真央を慰めていた。

『真央さんが、俺のDomになってくれって言うから』

 はにかみ笑いを浮かべた至は、彼とのことを、きれいな思い出だと思い込んでいる。

 けれど、それは許されない。まだダイナミクスが確定していない子ども相手のプレイの強制は、法律で禁止されている。元々の因子を歪めてしまったり、正しいプレイを覚える前に、癖がついてしまうと、成長後にその子が困る。

 現に、至は苦しんでいる。

 彼らの間にあったのは、果たして愛だったのだろうか。

「いませんよ」

 眼鏡を外し、手元のハンカチでレンズを拭きながら、高月は静かに告げた。

「いな……い?」

 虚を突かれ呆然とする桃治をよそに、きれいになったレンズに満足げに微笑みながら、高月は眼鏡をかけ直す。

 細い目をうっすら開けて、彼は桃治の中のぐちゃぐちゃになった気持ちまでもを読み解いていくように、薄く笑むのだ。

「ええ。真堂さんにも最初の診療のときに尋ねられて、いないと断言してあります」

「でも」

 反論はしかし、見開かれた高月の目の色にあっと驚かされて、封じられる。彼の虹彩は、先ほどまではよくある焦げ茶だったはず。なのに今、最大限大きく開いた彼の瞳は、左右で赤と青、違っていた。

 ただの人ではない。

 桃治は身震いしつつ思い知る。

 ならば、いったいどういうことだ。

 至は桃治と知り合う前から、自分に真央の幽霊が憑いていないことを知っていた。なのに、薄ぼんやりと背後の壁を見ていただけの桃治に、「あなたには見えるんですね」と言った。

 現実逃避の苦し紛れ、高月に見えずとも誰かには見える。そんな期待をしたのかもしれない。

 それっぽいものが見えると嘘をついた自分の浅はかさ、愚かさを呪い、桃治は頭を抱えた。

「あなたに必要なのはまず、彼との話し合いではないですか?」

 おっとりとした口調に顔を上げれば、カウンセリング室の扉は開いていた。

「至……」

 立ち上がった高月は、「首尾よくやりなさい」と言うように、すれ違う至の肩を叩き、出て行った。

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