甘えたDomの背中には(4)

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(3)

 桃治は人の買い物に付き合うのは、苦にならないタイプだ。こういうのは慣れであり、年の離れた姉に散々振り回され、鍛えられた。

 鈴女もよく桃治を誘う。あっちがいいとかこっちがいいとか、彼氏相手よりも的確なコメントをくれるから、信頼できるのだという。

 気難しい親族の女相手に慣れているから、男同士の買い物なんて楽勝だと思っていたが、桃治の目は現在、死んでいる。

「桃治さん、どうでしょうか」

 試着室から出てくる至の私服候補たちは、ことごとく似合っていなかった。彼のスタイルを殺し、全体的に野暮ったく、端的に言えばオッサン臭かった。

 三十六のリアルオッサンですら、「それはない」と言い切れる洋服を手に取る至に、元彼の苦労が偲ばれる。

 どうして脚が短く見えるデザインのパンツを穿く?

 お前の世界には黒とブラウンとグレーの三色しかないのか?

「桃治さん?」

 無言のまま乾いた目を向ける桃治に、至は不安そうだ。

(ああ、もう!)

「他の店に行こう」

 さっさと試着を終えさせて、彼の手を引いた。

 大股で連れていくのは、この日のためにリサーチしていた、若者向けブランドのブースである。

 自分より若いキャストに、値段がそこそこでシンプル、カジュアルだけどだらしなく見えない服が揃う店を、いくつかピックアップしてもらっていた。

 至は休職中とはいえ、大手企業の社員だ。実家も太いらしいし、聞いた予算はTシャツ一枚、一万円までというから、そこそこ金をかけるタイプだ。センスがないのだけが残念なところである。

「形はシンプルでいいけど、もっと明るい色が真堂くんには似合うよ」

 これから涼しくなるとはいえ、まだまだ夏物が活躍する季節。秋をほんのりと取り入れたカラーのシャツやカーディガンなどがいいだろう。

 手持ちの白や黒のTシャツの上に、そういうのを羽織るだけで様になる。だけどブラウン、てめぇは駄目だ。まったく似合っちゃいない。

 適当な白Tシャツを着せ、オレンジがかった色の麻のシャツを着せる。パンツは太すぎず細すぎず、タックのつかない柔らかな生地だ。色はベージュ。カーキやもっと鮮やかなグリーンもいいかもしれない。

 試着室から出てきた至は、上品でありながら、年相応の遊び心を持っていそうな、有り体に言えばこれまで以上にモテそうな男だった。髪をセットすれば、もっといい。

 自分好みの格好に満足し、うんうん頷いて、「似合うよ」と言えば、自信がなさそうにしていた至は、へらりと笑った。

「真央さん、趣味変わったんですかねぇ」

 真央、というのが彼の元パートナーの名前だということを、最近知った。至がぽつぽつと話す真央とやらは、姿かたちはどうやら、桃治とは正反対らしい。

 線が細くて、病弱で、いつも儚げな男であった、と。いつ死んでもおかしくなさそうな雰囲気を漂わせていたが、本当に死んでしまうとは思わなかった、と。

 真央の情報は、なるべく記憶に留めておく。何せ、自分は彼の幽霊が見えることになっているので。

 発言に齟齬が出ないようにするためには、情報はいくらあっても足りない。

 桃治は少しだけ口元を引きつらせた。

「もしかして、さっきまで試着してた服って」

「ええ。生前の真央さんが似合うと言ってくれていた系統の服なんです」

 あのオッサン服が? 趣味が悪いにも程がある。

 口にしそうになって、やめた。あー、と唸り声をあげて、

「生前とは好みも変わるもんなんじゃないか?」

 と、適当なことを言った。

「そうですか」

 微笑はポーカーフェイスによく似ている。至の本当の気持ちを読み取ることはできない。桃治の嘘に気づいているのかもしれず、にわかに緊張した。

「そんなに似合うなら、これを買おうかな」

 店員にもお世辞じゃなく、本気の「お似合いです!」のお墨付きをもらい、至は購入を決めた。

「ん。あ、俺も少し出そうか?」

 意中の相手に意識してもらいたくて、服を買うことは結構あった。自分好みの格好をしてもらうのだから、それが当たり前だとすら思っていた。

 至は首を横に振る。

「いえ。真央さんにも買ってもらったことはありませんし、自分で払えるから大丈夫ですよ」

 ここでしつこくしても、逆効果だ。桃治はそうか、と引いた。会計に向かう彼の背を眺める。

 きっと、真央が至に似合わない服を着せるのも、自分が彼に似合う服を着せるのも、同じ理由なのだと思う。

 年下の男が、自分の色に染まっていくのが楽しい、嬉しい。

 買い物デートの日時が決まってすぐ、桃治はネットショップの写真を見ながら、彼の姿を夢想していた。

 DomとSubの関係は、支配/従属という関係から、Dom側に主導権があると思われがちだが、実際のところは少し違う。

 本当に無理だと思ったときに発するセーフワードをSub側に設定し、その言葉を聞いたDomはストップしなければならないように、プレイはSubを中心に回っている。

 両方を行うSwitchの桃治だからこそ、思うのだ。

 独占欲を抱いて、本当にがんじがらめに縛ってしまいたいと願っているのは、Subの方である、と。

 似合う服を着せて見せびらかしたい桃治と、似合わない服を着せて自分のものだけにしておきたい真央は、どちらも別のベクトルを向いているだけで、根っこの部分は同じだ。

(これは……完璧に惚れたか?)

 実のところ、心よりも体の方が正直なのが、桃治という男であった。

 Switchという相手に合わせて行き来するダイナミクスを持つためか、理性で恋を自覚するよりも、本能が先に相手に合わせ始めるのだ。

 至と出会ってからというもの、Neutralの状態に戻すことが難しく、ずっとSub優位のままだった。

 そろそろプレイをしなければ、体調が悪くなる頃だった。だが、彼以外のDomの前に跪いても、桃治は満たされない。

 好きなのかもしれない、と自覚する頃には、とっくに体は落ちている。

「お待たせしました」

 時間がかかっていると思ったら、買った服にその場で着替えていた。自分の選んだ服を着こなす美青年に、ぞくりと体の奥が疼いた。

 ああ、この男と身を委ね合うことができたのなら。

「どうですか。真央さん、喜んでますか?」

 幽霊という媒介なしでは、至は自分とこんな風に楽しげに喋ってはくれないだろうことが、その言葉から理解できてしまって、桃治は落ち込んだ。しかし、昔取った杵柄によって、表情は笑顔に固定して、至には知られないようにする。

「ああ、喜んでいるみたいだ」

 なんて、真央が本当にこの場にいたら絶対に怒るだろう嘘をついた。

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