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それから普段着をいくつか見繕った。大きな紙袋はかさばり、桃治は至と分けて持ったまま、駅へと向かう。
「今日は本当に、ありがとうございました」
「いいや。俺も楽しかったから」
自分では着ない系統の店に入り、ああでもないこうでもないと話をするのは偽りなく楽しかった。今度はもっと高いブランドの試着に行くのも面白そうだ。品のある彼の佇まいには、プチプラよりもハイブランドの方が似合う。
次は冬服を買うときにまた付き合うよと言えば、至は微妙な顔をする。
おや、嫌だったのかな。まあ俺、普通のオッサンだしな。
なんと言えばいいのか逡巡した桃治の服の袖を、至はそっと摘まんだ。
「買い物だけじゃなくて、また誘ってもいいですか?」
いじらしく、かわいい仕草だ。きゅんきゅんする。
一瞬で撃ち抜かれたことを悟らせずに、桃治は微笑み、頭を撫でた。
まったく、どちらがDomだかわかりやしない。
「もちろん」
へにゃりと微笑みを浮かべる至の目は、相変わらず桃治の視線とはかち合わない。じゃり、と口の中で砂を噛むような悔しさが広がる。
そうだ。いくら至が自分に甘えているように見えても、彼の本命は自分じゃない。勘違いするな。俺なんて、幽霊が見えていないとばれれば用済みだ。
「真央、さんと一緒に行きたかったところとか」
桃治は付け足した。至は「そうですねえ」と言って、黙ってしまった。
どこへ行こうか考えている様子に、いつかは真実を告げなければならないんだろうな、と桃治はぼんやりする。
そのいつかを決めるのが、難しいわけで。
男ふたり、駅のホームに並んで沈黙する。幸いなことに、電車はすぐにやってきた。空いていて、座ることができる。
車内はそもそも大きな声で喋る場ではないから、少しだけ肩の力を抜いた。
そんな桃治の視界の端に、妙なものが映った。至もまた、視線を追って気がつく。
車両の前方で、男が釣り革を掴んで立っている。その足下には、跪き許しを請う格好の女。彼女の首にはチョーカーというにはゴツい、首輪が巻かれている。
DomとSubによる、プレイだ。
桃治は眉根を寄せた。
公共の場所でのプレイは、性的なニュアンスがなくとも避けるべきである。Domが怒鳴ったりSubが泣いたり、Neutralには事件にしか見えないことが多いからだ。条例違反になる場合もあるし、何よりも見苦しい。
だが、公開プレイを好む連中がいることも確かである。何かのきっかけで、Domが恫喝を始めたのだろう。土下座をしているSubは、必死に彼の足下にすがりついている。
みっともない。人前でそういうことをしたいのならば、うちの店のステージに上がればいいのに。興味のあるNeutralや、同じ趣味のDomやSubにいくらでも見てもらえるし、野次も飛んでくる。公開プレイを好むSubは、パートナーのDomだけじゃなくて、外野からの言葉責めを好む者も多い。
「おい、俺が怒ってる理由、わかってんのかぁ?」
男は女の頬を靴で撫でた。プレイを行っている最中の男の持つ空気感は、恐ろしい。決して大きな声ではないのに、ビリビリと感じる。あっと思ったときには、桃治の体は震えて止まらなかった。
(まずい……っ)
Domの不機嫌なオーラ――グレアは、周囲の無関係のSubをも威圧する。
車内には彼のパートナーと桃治以外に、Subの因子を持つ者はいないようで、誰も気づいていない。
眉を潜め、黙って車両を移っていく者。音漏れをするほどの音量で音楽を垂れ流し、スマホしか目に入っていない者。反応はさまざまだが、Domのグレアに気づいている部外者は、桃治しかいなかった。
床に這いつくばる女は、完全に恐慌状態に陥っている。あまりいいパートナーシップとは言えない。はやく解消した方がいい……などと、冷静なことはもはや考えられなかった。
「桃治さん?」
Sub優位のままの桃治もまた、グレアに当てられる。直接浴びている彼女ほどではないが、このままだと自分もまた、パニック状態に陥りかねない。
吐き気がして、口元を押さえた。背中を丸くしていると、至が抱き締めてくれる。
「次で、降りましょう」
返事をする余裕すらなく、桃治はひたすら、こみ上げてくる嘔吐感と戦った。目を閉じたら楽にはなるのだろうが、きっと気絶する。
必死にこじあける目からは、涙がぼろぼろと零れた。
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