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「桃治くん、どうしたの?」
店にやってきた時点ですでに飲んでいた鈴女だが、叔父の顔を見て開口一番、はっきりと言った。酔いは一気に覚めた様子で、名前の発音も舌足らずでない。
「んあ?」
なんでもねぇけど、と言いかけた桃治を遮って、鈴女狙いの若い黒服がサッと彼女におしぼりを手渡す。
鈴女はテーブル席に通されており、バンバンと机を叩き、桃治に一緒に着席するように言う。
ちらと窺う上司は、顎でしゃくった。別にかまわない、ということらしい。SMショーや客のプレイ相手を務めるキャストと一緒に飲むのも、この店の特徴のひとつだ。
諦めて彼女の隣に腰を下ろす。
「めちゃくちゃ顔色悪いよ。ご飯食べてる? 寝てる?」
「食べてる寝てる」
適当に返事をしつつ、ポケットからタバコを取り出しかけてやめた。一応は勤務中、酒は客に勧められれば飲むが、タバコはNGである。鈴女はきっと、体調不良が顔に表れている叔父に、酒を奢ってはくれないだろう。
「じゃあ、ダイナミクスの方面?」
食欲と睡眠欲は十分だと聞いて、三大欲求の性欲と深く関わるダイナミクスについて、彼女は尋ねてきた。鋭いのは女だからか、はたまた姉の子どもだからか。
桃治は「そういうのは思ってても聞かないもんだ」と、注意をする。うちの店だからまだいいが、会社の同僚にはやってくれるなよ、と。
「言わないよ。……でも、真堂くんとよろしくやってるんじゃないの? そろそろ復帰できそうって聞いたんだけど」
「ああ。あいつは大丈夫だよ、うん」
相変わらず俺には触れようともしないけれど、彼は命令に従う桃治を見ているだけで、心身の健康を取り戻しつつある。
たとえ真央に囚われたままであっても、プレイを行う相手がいれば、急な不安感や体調不良に陥ることはない。
遠い目をした桃治を、いよいよ鈴女は心配する。
「ねぇ、本当、変だよ。病院、行った方がいいって」
「うーん……夢見が悪い、だけなんだよ」
どんな夢? としつこく尋ねられれば、桃治は口を割ってしまう。姪には弱い。
「同じ悪夢を見るんだ。離れろ消えろって、化け物みたいな声。それで最後に『死ね』って男の声がして、目が覚める」
毎日だったら寝不足でとっくに倒れている。
考えないようにしていたが、夢を見るのは必ず、至と何かがあった日だ。
家に泊まりに来た夜はもちろん、電話で少し話をしたり、外で会う約束をしたり。最近は頻繁に泊まりの催促が来るから、連日連夜になってしまっているだけだ。
「呪われてんのかねぇ」
冗談っぽく言う桃治に対して、鈴女は真剣な顔である。
「ま、なんとかなるって。ただ疲れてんだよ」
頭を撫でようと手を伸ばせば、子ども扱いしないで、と振り払われる。
鈴女は鞄の中から手帳を取り出し、さらさらと何事か書きつけて、一枚破り取った。手渡してくる彼女のメモには、「高月心理相談所」の文字。
「だから俺は医者には」
「医者じゃないよ。カウンセラーの先生」
似たようなもんじゃねえか、と文句を言おうとした桃治を制し、鈴女は声を低める。
「表に看板は出してないけど、心霊現象とか、そういうのも扱ってる先生なの」
「は」
ぽかんと開いた口。賢い大学に通い、手堅い仕事をしている姪がなぜ、眉唾モノとしか思えない怪しい事務所を紹介する?
「鈴女、お前」
「いろいろツテがあるのよ。うち、オカルト方面も扱ってるしね。多少の知識はつくってものよ。もし本当に呪いの類いだったらそっちの世話になればいいし、勘違いなら話すだけでもラクになるでしょう。ねえ、桃治くん、心配なの」
じっと見つめてくる、大きな目。役者を辞めて、一時期荒れていたときも、鈴女はこんな顔で桃治を見ていた。
ああ、と唸り声を上げた。いつだって逆らえない。ガシガシと頭を掻く。
「わかったよ」
「よし。そんなら今すぐこの場で予約するからね!」
「お前がすんのかよ」
さすがに、ごまかされてはくれないか。
鈴女は桃治のスケジュールとカウンセラーの予約状況を照らし合わせ、三日後の予約を取った。もう諦めきった桃治は、結局タバコを口に銜えた。
もう、どうにでもなれ。
「いい? バックれたら駄目だからね!」
「へいへい」
「一緒に行くからね!」
そこまでしなくとも。
俺ってそんなに信用ないのか?
しょぼんと肩を落とせば、「信用してなきゃ、出世頭の同期を任せたりしないでしょ」などと言うものだから、桃治はまた少しだけ至のことを思い出して、切なくなった。
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