次に歌うなら君へのラブソングを(4)

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3話

 二十四歳。新卒一年目はどうにかなった精神力は、二年目になって急激に摩耗していた。何もかもが初めてだった新卒時よりも、勝手がわかってきてからの「なんかこれ、おかしくない?」の方が、辛い。

 別に、やりがいや夢を求めて塾に就職したわけではない。朝が弱く、大学では一限に講義を入れないという方針で、早起きとは縁遠くなっていた司にとって、九時五時の勤務はもはや不可能だった。かといって、夜勤はしたくない。

 消去法で選んだ就職先だから、未練はない。いつ辞めてもいいのだが、司はすでに、転職する気力さえなくしていた。

「はぁ……」

 重苦しい溜息とともに、今日の出来事を思い返す。

 月末恒例の退塾表明が続き、そのうちのひとりを任された。授業後に面談をして、どうにか考え直すように説得をした。幸い、素直な生徒は聞き入れてくれたものの、問題は帰宅が遅れたことに腹を立てた親だった。

 もちろん、相手は中学生。あまり遅くなってはいけないのは、重々承知しているのだが、そもそも「塾をやめたい」と言い出すのが期日ギリギリ、授業後なのだから仕方ない。粘ったことを、室長は最初、褒めた。どうにか退塾も止まるだろう。そう思っていた。

 けれど、帰宅が遅くなった子どもの親は、盛大なクレーム電話をかけてきた。激怒した母親は、司の謝罪をまったく聞き入れずに、「とにかくもう、やめさせますから!」と、宣言した。

 もう二度と教室に足を踏み入れたくないから、届けは返信用封筒と一緒に郵送しろと言われた司は、その通りに準備をしていた。すると、室長に椅子を蹴られた。

「お前、何やってんだよ」と。

『俺たちは目に見えるモノを売ってるわけじゃない。生徒ひとりひとりの授業料が売り上げだろうが』

 身も蓋もない言い方だった。塾への就職は前向きな理由ではなかった司ですら、生徒のことを数字としてしか捉えない室長の言い分に、絶句した。

 新卒で右も左もわからない状態の司が、一通りの業務をこなすことができるようになったのは彼の指導のおかげだが、ここまで築き上げてきたはずの信頼は、ガタガタと音を立てて崩れ落ちた。

 憂さ晴らしとばかりに最後にもう一蹴りして、室長は先に帰っていった。司は半泣きになりながらも謝罪の手紙を書いた。チェックしてもらっていないけれど、もうどうでもいい。

 ポストに投函して、帰路についた。とぼとぼと歩みは進まず、酒でも買って帰ろうかと、ぼんやりと駅前のコンビニを見つめる。終電まで、あと十五分あった。

 そのときだった。

 耳を心地よく撫でていったのは、風に載る歌声だった。初冬の乾ききった空気を震わせる心地よさに、つい視線が向いた。

 司を惹きつけたのは、声の次はその指だった。

 ギターをかき鳴らす指遣いは優しい。大きな手、関節がごつごつと骨張った指は、男らしさの象徴であると、司は常々思っている。

 楽器を大切に抱えている彼は、きっと恋人も同じように扱うのだろう。ああ、でも右手の爪が伸びすぎなのは、危ないかな……。

 歌そっちのけで彼の手指に注目し、男に腰を抱き寄せられて密着する自分を妄想する。

 マニキュアで保護された爪は、司の身体を容赦なく刺すに違いない。Mの気はないが、ぞくっと首の後ろに鳥肌が立ったのをきっかけに、司は我に返り、己の妄想癖を嗤う。

 欲求不満にもほどがあるな。

 ゲイである司には、現在決まった男はいなかった。ワンナイトの駆け引きを楽しむ余裕すらなく、休みの日も出かけようという気にならない毎日。性的欲求すら忘れかけていたのに、目の前で歌うストリートミュージシャンを見て、むくむくと湧き上がってくるのは、紛れもなく、「この手で鳴かされてみたい」という欲望だった。

 司の妄想をよそに、男は曲を終え、前髪を掻き上げた。無造作に伸びた明るい金茶の髪の奥から現れた目は、キラキラと輝いている。

 司は思わず空を見上げた。星の淡い光が映ったのかと思ったが、今日は曇天で、月すら見えない。

 次の曲に行く前に、男は観客の存在に気がついたらしく、司に一礼した。ワンテンポ遅れて返すと、彼は嬉しそうに笑った。そしてギターのイントロが流れ出す。

 流行りの歌は、よく知らない。だからこの曲が、一般的に評価されるのかどうかはわからない。ただ、楽しそうに、自分の夢を一生懸命に歌い上げる姿は誰よりも美しく、気高い。

 自分とは正反対だ。

 司は自分自身のことを振り返る。

 毎日の仕事で精神をすり減らし、ただ流され生きているだけの自分が、猛烈に嫌になった。恥ずかしくなった。生徒たちには夢や目標を持って勉強しろと言っているくせに、自分は彼らを指導できるような人間じゃないことを、思い知らされる。

 とっくに終電が終わっていることに気がつきながらも、司はその場から動けなかった。男の歌声が心に響き渡り、司を捉えて離さなかった。

5話

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