次に歌うなら君へのラブソングを(8)

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7話

 花房を見守っていた司だが、そうはいっても、彼もいい年をした成人男性である。当然、手のかかる子どもたちを多数抱えている状況で、そこまで注意していられるはずもない。

 顔を合わせてはちゃんと食べているのか、寝ているのか、休め! と主張する司のことを、花房は「蓬田先生って、たまに母親みたいですよね」と、取り合わない。

 大丈夫だと言う彼の言葉を信用していたが、それが間違いだった。

「司先生、大変大変!」

 通塾している生徒の最年少は、小学校三年生で、早い時間にやってくる。人数こそ少ないが、明るく「こんにちは!」と、司たちに挨拶をして、和ませてくれるのが常だった。

 そんな彼らが騒ぎ捲し立てるものだから、司は慌てて立ち上がった。

「どうした?」

 教室は、駅にほど近い建物の三階にある。エレベーター前には持ち回りで講師が立ち、出迎えをしているから、そうそう問題が起きるとは思えない。今日は花房が当番であった。

「花房先生が、倒れた!」

 男子がわあわあと騒ぐだけなのに対して、一番目端の利く女子が、端的に事実だけを教えてくれる。

 司は彼らとともに走った。ちょうど行ってしまったばかりのエレベーターを待つのももどかしく、生徒たちにはこのまま乗るように言いつけ、自分は非常階段を駆け下りた。

「花房先生!」

 彼はその長身を、エレベーターホールの壁に預けてうなだれていた。駆け寄って顔を見ると、目は虚ろで、微かに開いた口からは、浅い息が吐き出される。額に触れると熱い。

「司せんせぇ……花房せんせ、死なないよね?」

「死なないし、死なせない! 大丈夫だ。あとは先生がどうにかするから、君たちは教室に戻って。ありがとう」

 ちょこまかと動き回る子どもたちにくっつかれては、行動が制限されてしまう。微笑んで安心させ、彼らが再びエレベーターで上がっていくのを見送って、司はもう一度、花房を見た。

「俺がもっと、ちゃんと見ておけば」

 司は呼吸しづらそうな花房のネクタイを緩め、ボタンをふたつ外した。吐き出す後悔は、訪れた梅雨の空気よりも重苦しい。

 休まずに働くことが、心身にどんな影響を与えるのか、自分は誰よりもわかっていたはず。食欲も睡眠欲もなくなり、上司からの叱責や次の日の仕事のことで、頭の中がいっぱいになる。

 司は前の室長と自分は違うと思っていた。部下の体調に気を配り、無理をさせない。谷川と比べても、急激な体重変化などはなさそうだった。けれど、実際、花房は体調を崩し、倒れて生徒にまで心配をかけた。

 花房は自分とは違い、強制されたわけじゃなくて自主的に働いているのだから、と楽観していた節もあった。

 もっと真剣に怒ればよかった。授業前も準備に忙しくしている彼に、「先にメシを食え」と、おにぎりのひとつでも手渡して、食べるところを監視するくらいすればよかった。

「先生の、せいじゃありません、から……」

 かろうじて意識のある花房は、司の手首を掴んで言う。力は弱々しく、大の男とは思えない。司は彼の手を握り返して、「ばか!」と一言だけ叱責した。

 花房をこのままにしておくわけにもいかず、胸の内の後悔については、一度置いておく。反省会はいつでもできる。

「よ、っと」

 少し休んだだけ、もうちょっとしたら立てるという花房の主張は頑として聞き入れなかった。彼の脇に腕を回して立ち上がらせ、そのままエレベーターに乗り込む。

 教場に入ると、生徒たちと事務員が心配そうに駆け寄ってきた。花房は生徒に向けて、「大丈夫だから」と笑うが、顔色が悪すぎて、説得力がない。

「花房先生を寝かせるから、ちょっとどいて!」

 まとわりつく生徒をやんわりと押しとどめ、デスクの奥にある講師用の控え室へと運び込む。ジャケットを脱がせて、年季の入ったソファへ横たわらせた。

「授業……」

 自力で起き上がるのにも難儀する状態の男に、授業なんてできるわけがない。

「俺がどうにかするから、今日は一日そこで寝てろ! 室長命令だ!」

 司は花房や、前任の谷川に対して、圧をかけた命令をすることはほぼなかった。彼らに仕事を任せるときは、意識的に柔らかい言葉を使い、依頼をすることに徹していた。

 前室長の馬鹿みたいな大声に、自分が嫌というほどストレスを感じたからだった。

 だから今、蓬田は初めて花房に命令をした。慣れないことはするもんじゃない。喉の調子を咳払いひとつで調えて、司は花房の穴埋めをするべく、フル回転で稼働し始めた。

9話

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