次に歌うなら君へのラブソングを(9)

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8話

 自分が入れる授業は入り、どうしても無理なところは今日は出勤していないアルバイトに急遽来てもらい、なんとか事なきを得た。授業中は花房を沢村に任せ、おかげで彼女も残業になってしまった。

 頭を下げると、彼女は司のことを自分の息子に対してするように、「やあねえ。頭上げてくださいよ! 困ったときはお互い様でしょう」と、ポンポン叩いてくる。母親というのは、やはり最強だ。

 生徒を見送り、講師らの報告も受けた司は、ようやく花房のところに顔を出した。

「大丈夫か?」

 ソファに座り、彼はゼリー飲料のパックをちゅるちゅると吸っていた。おにぎりや菓子パンも事務員は買ってきてくれていたが、胃が受けつけないようである。

「はい。だいぶマシになりました。すいません。迷惑かけて」

 そうは言うものの、まだ花房の顔は青かった。

「待ってろ。今タクシー呼んで、送ってくから」

 残った仕事は明日やればいい。勝手に激務を背負い込んで倒れる男が、まともな生活を送っているはずもない。放っておけば、また必ず同じことが起こる。

 花房は恐縮して、「ひとりで帰れますから」と言うが、無視をしてタクシーを呼んだ。

「いいんだよ。俺だってたまには、終電以外で帰りたいし」

 すぐにやってきたタクシーに乗り込んで、二十分余り。後部座席でぐったりとしている花房の世話を何くれと焼いて、「ここの十階です」と連れてこられたマンション。

 肩を貸して入り込んだ司は、気づかれないようにこっそりと、息を飲んだ。

 ミュージシャンとして大成することを望んでいた花房の部屋だ。プロになることは諦めたとしても、きっと大好きな音楽に溢れているのだろう。そう思っていた。

 ところが、初めて足を踏み入れた彼の家は、がらんどうだった。最低限の家具や家電の中に、音楽を聴くための機材はない。いまどきはパソコンやスマートフォンで聴けるのだろうが、彼がそれで満足するとは思えなかった。

 部屋中にくまなく目をやっても、ギターの一本もない。路上で歌っていたときには、何本も使い分けていたはずだった。あれらはいったい、どこへ消えてしまったのだろう。

 捨てた、のか?

 司の心臓が爆発しそうなほど痛む。

 あんなに愛おしげにかき鳴らしていた相棒を捨てられるほど、彼は音楽に絶望したのか?

 嵐のような司の心境をよそに、ソファに腰を落ち着けた花房はそわそわと、「お茶でも淹れましょうか?」と言った。ハッと我に返った司は、彼をベッドに寝るように肩をぐいぐいと押した。

「茶なら俺が淹れるから」

 言いつつ台所へ行ったが、何もない。ポットはあるが、ティーバッグもインスタントコーヒーもない。冷蔵庫をチェックすると、いつ買ったのかわからない開封済みのカット野菜が変色していた。躊躇なく捨てると、ポットで湯を沸かし、適当なカップふたつに注いで彼の元へと戻った。

「何にもないじゃないか。これじゃ、倒れるのも当たり前だ」

 司が白湯を持ってきたのに気づき、花房はばつの悪い顔をして俯いた。

「すいません。上司にまともなお茶も出せず」

「そういう問題じゃない」

 彼の向かい側の床に腰を下ろし、白湯で喉と心を潤した司は、ここでしっかりと話をつけなければならないと思う。

「こっからは、上司と部下の関係抜きだし、お前の血縁関係も考慮しないで、俺が好き勝手に喋るから」

「え?」

 マグカップの中の液体を、しょんぼりした顔で見つめていた花房が、顔を上げた。

 アラサーにしては幼い表情。いいところのお坊ちゃん丸出しで、思わず笑ってしまった。ここに就職するまではフリーターで、就職活動だってコネの苦労知らずだ。

「お前さ、これまでの人生のこと、後悔してない?」

 生まれ育ちにあぐらをかき、夢追い人を気取っていた。彼は今、人生で初めて苦労をしている。

「なんか、生き急いでいるっていうかさ」

「そんなことは……」

「あるよな?」

 テーブルにカップを置き、頬杖をついた状態で、ソファに座る花房を見上げる。司の目はやたら大きくて、無言で見つめると、生徒も途中で音を上げる。「なんか怖い」らしい。

 花房もまた、司の視線だけでの詰問に耐えられなかった。目線を若干横にずらして、渋々、自分のことを話し始める。 

「俺、ほんと今まで何にもしてこなくって」

 適当に相づちをうつのはやめた。聞いているぞ、という意思表示ではなく、同意と取られるのは不本意だ。

 それに、何もしなかったというのは嘘だと思う。

 確かに社会人としては新米だが、彼が「やろう」と一度決めたことには真摯に打ち込む努力家だということは、最近の仕事ぶりからわかる。ストリートミュージシャンをしていたときも、ギターのテクニックや歌声など、素人そのものの聞き手である司を捉えて離さなかったのだから、きっと相応の苦労をしていたに違いない。

 しかし、司は音楽については何も触れなかった。楽器も機材も何もない部屋は、闇だ。そこに切り込んでいくにはまだ信頼関係が成り立っていないと判断したのだ。

「これまで蓬田先生には迷惑をかけた分、取り戻さなくちゃってやる気になったはいいけど、俺は全然ダメで。蓬田先生は同い年で室長なのに、俺は……」

 白湯に口をつけようとしない花房を眺め、司はすっくと立ち上がり、彼に接近する。戸惑っている花房の頬をぐっと両手で掴み、上向かせる。今日は酔っていない。断じて素面である。

 俯いてるから、当たり前のことに気づけないんだろ。

 す、と大きく息を吸い込んだ司は、「ばか!」と、罵倒した。昼間よりも、大きな声で強く。

 本当に、馬鹿な奴。

 司は眉毛をぐにゃりと下げて、花房の頭をよしよしと撫でる。突然の罵声と子ども扱いに、目を白黒させる花房の頭をロックして、ぽんぽん叩く。

「馬鹿だなあ。俺とお前が同じだったら、一緒の教室にいる意味ないだろ。人間、何事も助け合いなんだぞ。それに、俺の方が四年も先に働き始めてんだから、出来ないことがあって当たり前!」

 つーか、そんなにすぐに追いつかれたら俺が泣くわ!

 言葉通りに泣き真似を始めた司を、花房は呆然と見つめるばかりだ。顔を覆う両手を少し外してちらっと覗き込むと、彼は我に返って、「でも!」とさらに言い募る。

「でも、あんたはあんなにボロボロになってたのに……俺はまだ足りないんです。早く一人前になって、あんたの役に立ちたい、いや、立たなきゃならないのに!」

「花房……」

 彼の言う「ボロボロの姿」とは当然、前の室長がいた頃のことだ。花房が路上でギター片手に歌い、その観客という関係だったときのこと。

 やっぱり覚えているんだ。

 裏切った、という痛烈な批判を以前聞いたときからわかっていたけれど、しっかりと、今の司と重ねられるくらいに記憶しているのだ。

 司は微かに唇に笑みを上らせた。

 それは嬉しいことだったけれど、今はあの頃の思い出話をする場面ではない。

「確かに、俺は一時期ボロボロになった。めちゃくちゃやつれて、お化けみたいだって、生徒たちからも陰口叩かれてたよ」

「……」

「でもな、それは俺が自主的にやったことじゃない。当時の俺の上司がな、ほんっとうに嫌な奴でさ。湧田先生と違って、尊敬できるところなんて、これっぽちもなかった……俺は、ああいう上司になりたくなかったよ」

 花房は、司の言わんとしていることを正確に理解して、顔色を変えた。

「ちが、俺は……!」

 立ち上がりかけた彼を手で制す。

「わかってる。でも、お前がそうやって無理するのを止められなかったのは、やっぱり俺の責任なんだ」

 手本も指示もなく無理難題を押しつけて、できなければ当たり散らすのも、目を配っている気になっているだけで、部下の体調の変化に気づけなかったり、「なんとかなるだろう」と楽観視しているのも、上司としては等しく無能なのだ。その点において、自分は前室長と変わらない。

「俺ももっと頑張るからさ。花房にも頑張ってほしいと思うし、同時に無理をさせたくないとも思ってるんだよ」

「……はい」

 すっかりしょげ返った花房は、カップにほとんど口をつけていなかった。テーブルの上に置きっぱなしになったそれを、飲み干した自分のものと一緒に台所へと片付けにいく。

 食器を洗って戻ってきた頃には、花房はうとうとしていた。寝るならベッドで寝ろ、と揺り起こし、寝ぼけ眼を擦りながら、彼は寝室へふらふらしながら入っていった。

 司の心配も、彼はわかってくれたはず。明日からは無理せず行動してくれるに違いない。司は生まれ変わった花房のことを、信じたい。

「さて」

 終電には間に合うが、司は帰る気にならなかった。明日の体調次第では、彼をもう一日休ませなければならない。

 同い年の男に対して、少し過保護かもしれない。だが、それだけ花房のことが気にかかるのだ。

「そうだ。買い物でもしといてやるか」

 空っぽの冷蔵庫を思い出し、深夜営業のスーパーへと向かった。

 

10話

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