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<22話
中間テストが終わり、五月の末。学校指定ジャージで登校した俺を待ち構えていたのは、妙に張り切った様子の呉井さんだった。
「おはようございます!」
爛々と瞳が輝いている一方で、下の瞼はうっすら隈ができている。呉井さんの美貌に影ができたのを初めて見て、俺はぎょっとして、挨拶するのを忘れた。
「呉井さん。もしかして、昨日、あんまり寝てないんじゃないか?」
「えっ」
呉井さんは俺の問いかけに、もにょもにょと「そんなことは……」と反論しかける。いつでもはっきりきっぱり物事を言う彼女にしては、歯切れが悪い。呉井さん、と再び呼びかけると、彼女は深く溜息をついた。
「どうしてわかりましたの?」
一目瞭然だよ、と俺が答えるより先に、彼女は素晴らしい回転速度を誇る頭脳で、答えを弾き出した。
「はっ。もしや、わたくしの記憶を読み取る能力が明日川くんに芽生えたのでしょうか……」
うん。てんで明後日の方向だったけどね。
「違うよ。目の下に隈できてるから。寝不足なんじゃないのって」
とんとん、と自分の下瞼を叩いて場所を示すと、呉井さんは下げていたサコッシュから小さな鏡を取り出すと、自分の顔をまじまじと見つめた。
「あら、本当……」
呉井さんは、化粧をする必要がないからしない。さらさらの髪には、ほとんど寝癖もつかない。朝の支度はごく短時間で終わり、鏡を見る時間が、他の女子に比べて極端に短いのかもしれない。全部俺の想像だけど、あんまり間違っていない気がする。
だって、隈を気にすることなく、鏡をしまって、
「遠足、楽しみですわね!」
と、にこにこしているんだから。
「楽しみで寝られなかったの? これから登山だから、寝不足だったら、ケーブルカー乗った方がいいんじゃ」
初夏の陽光は、まさしく遠足日和である。そして山に囲まれた土地柄、市内の小中学校・高校において遠足といえば、イコールで登山だ。
これからバスに乗って向かうのは、南度山という、標高五〇〇メートル強の山である。「なんど登っても楽しい」を謳い、市民であれば幼稚園の頃から何度も登る機会のある場所だそうだ。
呉井さんも、生まれも育ちもこの街だ。飽きるほど登っているはずなのに、何がそんなに楽しみなんだか。
それに。
「ずいぶん荷物が大きいな……」
彼女が背負ってきたのは、ショッキングピンクの巨大なザックだった。本格的な登山に使用するもので、このまま山小屋に宿泊できそうな装備である。学年ごとに決まったカラーのジャージ、俺たちはエメラルドグリーンなのだが、その色と相まって、絶妙にダサさを引き立て合っている。
それでも呉井さん自身の美貌は少しも損なわれていないのが、いやはや。
南度山には途中までケーブルカーも走っている。気軽に観光登山が楽しめる山として、人気があるのだ。なお、今回は麓から自分の足で登って下りてくるのだが、バス酔い等の理由で体調が優れない生徒のみ、ケーブルカー利用が許可される。
「何が入ってるんだ?」
秘密です、と呉井さんはものすごく楽しそうだ。
>24話
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