クレイジー・マッドは転生しない(29)

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クレイジー・マッドは転生しない

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28話

「まだ余裕がありますわ」

「あのね」

 呉井さんの体力と脚力なら余裕かもしれないけど、俺! 俺の体力と気力と足が限界なの! なんでこんな情けないことを自分で白状しなきゃならないんだ。そして呉井さんが、「ああ」と納得したような表情を浮かべるのがまた、物悲しいことこのうえない。

 やっぱり体力づくりに何かを始めよう。ゲームや漫画の時間を削るのは惜しいが、少しでも彼女の突飛な行動に追いつけるように……と考えて、自分があまりにも彼女に毒されていることに気がついた。

 俺は仙川や瑞樹先輩とは立場が違う。いわゆる身内という奴ではない。ひょんなことから目をつけられ、望んでもいないのにお気に入りにされてしまった。俺はラノベの巻き込まれ型主人公か、と思わずツッコんでしまう。そして数々の平々凡々で非凡な主人公たちと同じように、俺はとんでもヒロインから逃げる気を、すでに失っている。そういうことだ。

 呉井さんは、完璧な美少女だ。けれど、アンバランスで危うい面もある。オタクでもなければ、現実世界からの逃避を望んでいる節もない。また、転生を夢見る厨二病罹患者は、大抵の場合、転生先での野望を抱いている場合がほとんどだ。俺だって、「もしも転生するなら」と妄想するなら、チート能力を授かって、魔法を使って、勇者になって美人のお姫様と結婚して……と考える。そういう妄想の結果が、転生系小説だ。

 彼女には、何もない。転生をしたい。そのための準備をする。ただそれだけだ。王子様に見初められたいわけでも、内政無双をしたいわけでもない。ただ、誰かからの入れ知恵によって、行動を決めている。そんな風に見える。

 オタクコンテンツに慣れ親しんだ俺や柏木と知り合ってからは、俺たちの言うことに左右されている。地面をじっと観察し、めぼしい植物を見つけたら図鑑を開き、学ぼうとする。俺たちが雑談していなければ、呉井さんは思いつかなかった。

 連休中のかくれんぼは、以前から定期的に行っていたという。仙川はお嬢様命の堅物だ。彼女の命令となれば、なんでもするだろう。いくらでも小説や漫画を読み、勉強する。でも、俺は仙川が転生系の物語に触れるのを見たことがないし、自分からあれこれ提案することもない。呉井さんがしたいことを、彼女が満足するまで行わせる。徹底的に。

 瑞樹先輩も似たようなものだ。にこにこと呉井さんの行動を見守っていて、口出しはしない。止めることもなければ、何か他のアイディアを出すこともない。彼は仙川よりは、物語に親しんでいるようだが、俺には遠く及ばない。

 約二か月の間、俺は最も近い場所で、彼ら三人の閉じた関係を見てきた。それゆえに、ある疑問が浮かぶ。

 呉井さんに、最初に異世界転生のことを教えたのは、誰だ?

 仙川でも瑞樹先輩でもない。まして、呉井さんが自らネット小説をスコップして発見するなんてことはない。以前、何とはなしに尋ねた彼女の愛読書は、海外ミステリや名作文学だった。どこにもライトノベルのタイトルは、出てこなかった。

 誰かが、知識を植えつけたに違いない。そしてその人物は今、彼女の傍にはいない。

 大きなザックが歩いているように見える彼女の背中を見つめる。呉井さんの行く末に、彼女を異世界へ導くその「誰かさん」は待っているのだろうか。

「明日川くん? やっぱり疲れていらっしゃるんですか?」

 振り返る呉井さんの目は、俺を見ている。

「大丈夫。行こう」

 被服室にいたのかもしれない四人目ではなく、今ここにいる、クラスメイトの俺を。

30話

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