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<29話
十分ほど真面目に、立ち止まらずに登り続けると、ようやく同級生の姿が見えた。ひょろりとした男子が一人、肩で息をしながら、だらだらと歩いている。おーい、と声をかけようとしてやめた。相手が誰だかわかったからだ。
呉井さん、と小さな声で呼び止めようとした。が、先を歩く同級生に聞かれたくないと思うあまりに、小声になり過ぎたようだ。彼女は俺には反応せず、目の前の男子に声をかけた。
「山本くん。大丈夫ですか?」
山本は、億劫そうに振り返る。表情は登山の苦悶のせいだけではなく、険しい。
あちゃあ、と俺は人知れず押さえる。
山本は、万年学年二位のクラスメイトだ。中間テストのときにウザ絡みしていた奴である。ガリ勉のイメージどおり、俺よりも貧弱な肉体に青白い顔、今どき珍しい分厚いレンズと重いフレームの、いわゆる瓶底メガネをかけている。神経質にメガネポジションを直すと、被害妄想を爆発させる。
「僕を笑うために、わざわざ最後に登ってきたのか?」
見かけ通り、彼は俺以上に体力がなく、運動神経も鈍い。タチの悪い同級生は、体育の授業で彼の失敗を嘲笑う。その記憶がこびりついているせいで、呉井さんも同じようにからかってくるのだと、勘違いしている。
「わ、わたくしは、そんな……」
変わり者だと遠巻きにされることには慣れている呉井さんだが、直接悪意をぶつけられることは慣れていない。俺は自然と、彼女の前に進み出た。
「呉井さんは、そんなゲスなことをして喜ぶような人じゃない」
彼女の緊張した息遣いを、背後に感じる。俺も同じくらい緊張しているが、ここで呉井さんを守ろうとしなければ、男が廃るってもんだ。し、仙川に逃げたことがばれたら、殺されるかもしれん。仙川に後で追っかけられるくらいなら、今、山本と対峙して睨みつける方が簡単だ。
「ほら。山本も一緒に登ろうぜ。あと少しだからさ」
肩の力を抜いて、あえて笑って山本に呼びかける。敵対する意志はみじんもない。だが、山本は他人の笑顔に、ネガティブな方向に敏感だった。
「なんだよ。笑ってるんじゃないぞ、明日川。お、お前なんかなぁ、呉井がバックについてるからって、何にも怖くなんか、ないんだからな!」
「はぁ?」
言葉とは裏腹に、山本の声はひっくり返る。メガネに触れる度、先程までは鳴っていなかったカチャカチャという音がするのは、指が上手く動かないせいだろう。俺は山本の顔をまっすぐ見ているのに対し、彼は視線をさまよわせ、目が合うことはない。
山本にとって、自分に向けられる他人の笑みは、悪意を伴うものなのだ。彼にだって友人はいる。他のクラスの秀才タイプの男女と、廊下で話しているのを見たことがある。何か真面目に議論している様子で、談笑するという雰囲気ではなかったが、それでも親しいのだろうことは伝わってきた。
友人たちに真顔以外の表情を向けられることだってあるだろうに、山本は自意識過剰で、被害妄想過多だった。
「おい。俺たちは別に、お前のことなんて……」
これは明らかに、俺の失言だった。おどおどした目を、途端に鋭くし、山本は俺を睨みつけた。
「ほら、やっぱり僕のことを馬鹿にしているんだ!」
「だから、違うって!」
山本が一部の人間からからかわれ、嘲笑されているのは、ガリヒョロのガリ勉くんだからではない。
「僕は本当なら、東京の超有名校に通っているはずだったんだからな」
見当違いのプライドで、同級生全員を見下している山本が、好かれるはずがないのだ。悪意には悪意を鏡のように反射している。山本は自分だけが下に見られ、馬鹿にされていると思っているようだが、本当は自分が、周りの人間すべてを馬鹿にしている。
受験のときにひどい風邪を引き、本命校の受験に失敗した。数人を除いて(山本と似たような境遇の連中だ)、馬鹿ばかりの学校だと思っている。当然、何もしないでも自分が学年一位になれると思っていた。なのに、この学校には、呉井さんがいた。
クレイジー・マッドと遠巻きにされているとはいえ、彼女は山本とは違い、人格者である。学級委員として教師からの信頼も厚い。呉井さんを馬鹿にしている奴もいるが、そういう連中はもれなく、美人すぎる呉井さんをいやらしい目で見ている連中だ。
「もういいよ。俺たちは後から行くから、先に行けよ」
波風を立てないようにしようと、へらへら笑って仲良く一緒に登ろうと提案してみたが、交渉は決裂。俺は山本の肩を叩き、先に行くことを促した。
>31話
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