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<56話
「呉井さん? 具合悪いの?」
俺の言葉に、瑞樹先輩に合宿の案をべらべら喋っていた柏木が、口を閉ざす。振り向いてぎょっとすると、呉井さんに、「今ならまだ、保健室開いてると思うけど……」と声をかけた。
「あ、あの……いえ、なんでもありませんの」
弱々しく微笑んだ呉井さんは、ついさっきまでと様子が違いすぎて、なんでもないようには見えない。
こういうとき、真っ先に口と手を出して休むように言うのが仙川のはずなのだが……。ちらりと彼女を窺うと、痛ましい表情で、呉井さんを見つめている。その手を瑞樹先輩がぐっと掴んでいるから、本当は駆け寄りたい気持ちでいっぱいなのだろう。
瑞樹先輩の行動は、よくわからない。過保護な仙川を止めて、呉井さんの自立を促しているのだろうか。それならもっと早くからそうすべきだと思うし、別に呉井さんは仙川べったりじゃないと、何もできない子ではない。
「合宿、嫌だった?」
一人ではしゃいでいた柏木が、しゅーんと肩を落とした。呉井さんは、「違います」と即答する。
「合宿は楽しそうだから、ぜひやりたいと思います。けれど……」
「けれど?」
呉井さんは瑞樹先輩を窺う。先輩は、何も言わない。表情ひとつ変えずに、ただ呉井さんを見ているだけだ。
「その、場所は瑞樹さんの別荘じゃなくて、わたくしの家の別荘を、使ってほしいのです」
ちらちらと自信がなさそうに瑞樹先輩を見る呉井さんは、いつもの威風堂々とした様子がなく、ただの少女のようだった。
日向家の別荘を使うのが嫌な理由については、踏み込めない。これだけの人数がいるところで、呉井さんを追いつめるわけにはいかない。
「呉井さんちの別荘にも、これだけの人数泊まれる?」
「ええ、それはもう」
「なんならうちよりも、まどちゃんちの方が広いよね」
おお、さすがは本家。学校にまで配下の人間を押し込めるだけの財力は、伊達ではない。
「それなら俺たちはどっちでも。なぁ?」
柏木に同意を求めると、彼女はうんうんと頷いて、
「じゃあ合宿は決まりってことだね!」
と、日程やら何やらをすっ飛ばして、内容の取り決めを行おうとする。呉井さんも初めてのイベントに頬を紅潮させて、どうやら最低限のことはこちらで決めなければならないようだ。
俺の希望は、お盆明けなんだけど……瑞樹先輩はどうだろう。
「お盆中は、まどちゃんも僕も、家の都合があるからね。それが終わってからの方が、思う存分楽しめると思う」
やった! 戦利品を読む時間は短くなりそうだけれど、それでもコミケに参戦できるだけいいとしよう。当たり障りのない同人誌は、持って行ってこっそり読めばいいや。
「そうなんだ! じゃあ肝試しとかもできる?」
「ええ。やったことはありませんが……」
「昼はテニスもできるし、近くの美術館に遊びに行くのもいいよね」
スマートフォンを覗き込み、呉井家の別荘近隣をチェックしている柏木の提案は、だいたい外に行くようなものである。
「え、テニス……?」
「そういえば、瑞樹さんはお上手でしたよね。久しぶりに恵美との対戦が見たいです」
どうやら完全なるインドア派は、俺だけらしい。まずい。数の差で、のんびりすることは許されなくなるぞ。
「あ、あのさ」
俺は挙手をして、きゃっきゃとはしゃいでいるみんなに発言の許可を求める。
「もう一人、誘ってもいいかな?」
俺と一緒に、いや俺以上に、頑なに外に出たくないと頑張ってくれる奴を、召喚する。
>58話
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