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>75話
「ようこそ、皆さん」
洋風建築の屋敷に、呉井さんがドレス姿だと錯覚した。本当は、フリルをあしらったエプロンをしているだけだった。石けんづくりへの並々ならぬ熱意から、彼女は汚れてもいいように、Tシャツとデニムスカートという、今まで見たことがあまりない組み合わせの私服だった。
「お邪魔します」
声を揃えつつ、俺は視線をさりげなく巡らせて、呉井さん以外の姿を探す。残念ながら、誰もいない。
「今日は場所を貸してくれてありがとう。お世話になるから、これ。口に合うかわからないけど」
手土産は柏木に一任した。一般的にはスイーツ系が多いだろうが、山本も俺も、そんな店知らないからだ。柏木は「そんな大役、荷が重すぎるよ!」とぶちぶち言っていた。
呉井さんは柏木から受け取って、パッケージを見た。
「『ブーランジェリー・カシマ』ですわね。ここのアップルパイ、わたくし大好きです」
「あたしも! 自分が食べたくて、アップルパイにしちゃったんだよね~」
どうやら呉井さんも気に入ってくれたようで、ほっとした。「お茶のときに出しますわね」と言って、彼女は俺たちを部屋へと案内してくれた。途中でトイレの場所も教えてくれる。
うーん。ここは、教えてくれない方が好都合だったんだけど。広い家だし、迷子になったは言い訳としては通用するか?
通されたのは、ダイニングだった。すでにボウルなどは用意されている。
「こんにちは」
「あ、先輩。もう来てたんですね」
瑞樹先輩ともここで合流する。先輩もエプロンをしている。当然フリルはなく、シンプルなネイビーの物だ。俺たちも、自分の家から持ってきたエプロンを粛々と身に着けて、準備をする。
「あら。明日川くん、縦結びになってらっしゃいますよ?」
スニーカーの靴紐は見えているからちゃんと結べるが、エプロンは自分の身体の後ろにあるので、ちゃんとできない。数回結び直すけど、どうしても無理。呉井さんがクスクス笑って、「前を向いていてくださいね?」と、俺のエプロンをちょうちょ結びにしてくれる。
「あ、ありがとう」
「いいえ」
微笑む呉井さんは可愛いし、結んでくれたのはありがたいけれど、視線が痛い。仙川の恨みの籠った目と視線を交わしたら、呪われる気がする。俺は彼女の方を見ないようにして、隣接するキッチンを覗く。
そこにいたのは、小柄でふっくらとした女性だった。ばっちり目が合ったので、お互いに会釈する。いかにもお手伝いさん、という雰囲気の女性だ。長いこと務めていそうなので、ぜひともお話をお聞きしたいところ。
だが、ひとまず部活動をしなければならない。
「ハーブティーは濃い目に煮出して……」
レシピの責任者である山本の指示を聞きながら、俺は袖を捲って、気合いを入れた。
<77話
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