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<76話
石けん作りは楽しかった。捏ねて、精油やはちみつなどの素材を入れて、さらに捏ねて成形する。
「なんか、幼稚園のときの粘土遊び思い出すよな」
「そうですわね」
呉井さんも同意をしつつ、石けんを形作っていく。小判型にしようとしている心意気は買う。ごつごつした石にしか見えないけれど、呉井さんが小判だと言うなら小判なのだ、これは。
一通り出来上がったところで、俺は手を洗い、今度はソープカービングで盛り上がる場を抜け出した。山本に目配せするのを忘れない。彼は小さく頷いた。
先程のお手伝いさんは、キッチンから移動していた。お嬢様の交流を邪魔しないように、他の部屋の掃除だとか、別の仕事をしているのかもしれない。彼女に話を聞くのがベストだ。その直感を、俺は信じる。
他の人間に見咎められたら、トイレの場所を忘れてしまったということにしよう。ただ、その場合は探索も終了となってしまう。何度も使える言い訳ではない。誰も通りかかりませんように!
祈りは通じたのか、部屋を出た俺が最初にエンカウントしたのは、目的の人物だった。
「あら。どうされたんですか?」
にこにこと人好きのする笑顔に、俺は肩の力を抜いた。聞いたらなんでも快く答えてくれそうな雰囲気がある。
「あの。えっと……俺、明日川っていいます。呉井さんのことをあなたに聞きたくて」
目をパチパチして、驚いているようだ。それに多少の警戒心も。
当然だ。お嬢様である呉井さんの個人情報を、根掘り葉掘り聞こうとしている男なんて、怪しい以外の何者でもない。
でも大丈夫。言い訳はすでに、山本と相談して決めてある。良心はチクチク痛む。目の前の人のよさそうな女性を騙すなんて。俺は心の中で呉井さんに「ごめん」と謝りながら、つっかえつっかえ、口にした。
「その、俺……呉井さんのことが、す、好きなんです……! でもどうしても自信がなくって……呉井さんの家の人なら、彼女のこといろいろ知ってるんじゃないかなって、探してたんです」
若干の後ろめたさから、彼女と視線を合わせることができない。
嘘でも「好き」と、呉井さん本人に対してじゃなくても言葉にすると、なんだか本当に、自分が恋をしているような気持ちになってくるのもあって、俺は拳をぎゅっと握る。
その様子が功を奏したのか、俺はどこからどう見ても、恋に一生懸命な男子高校生だった。
「まぁ。まぁまぁ……!」
顔を上げると、女性の表情は綻んでいた。頬に両手を当てて、驚きを表現しているのはどこか芝居臭く見えるが、本気である。掌に包まれた頬がほんのりと染まっているのは、少女めいていた。
「円香さんにも、ついに青春が……!」
女性は「私、静香と申します」と俺に丁寧に頭を下げた。
「円香さんのこと、よろしくお願いいたしますね」
いたく嬉しそうな彼女に連れられたのは、書斎だった。どう見ても、呉井家ご当主のプライベート空間といった風情である。こんなところに、赤の他人である俺が入ってもいいものだろうか。
というか、掃除目的以外で静香さんも入っていいのか? 重要なもろもろがたくさんありそうな雰囲気なんだけど。立派なデスクの上にはデスクトップパソコンが置いてあるし。
あまりそちらばかり見ていると、怪しまれそうだ。存在感の塊であるデスクから視線を外して、俺は本棚を漁っている静香さんを眺める。
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