クレイジー・マッドは転生しない(84)

スポンサーリンク
クレイジー・マッドは転生しない

<<はじめから読む!

<83話

 楽屋挨拶に行く予定だったが、呉井さんは、「気分が優れないので」と辞退した。誰が見てもはっきりとわかるくらい、真っ白な顔をして涙目になっていたので、柏木は心配そうだ。

「そんなに心配なら、先に呉井さんのこと送ってってやれよ。どうせ舞台の後片付けで、瑞樹先輩は時間かかるだろうし。戻ってきてからでも、じゅうぶん挨拶する時間はあるだろ」

 その後、石けんの販売展示ブースの清掃をする予定だった。掃除自体は山本がいれば事足りるだろうし、呉井さんには椅子に座って休んでいてもらえればいい。それに、柏木がいないうちに、瑞樹先輩と話したいことがある。

 柏木は、「明日川が行けばいいじゃん」という顔をしていたが、俺の表情を見て、何かあると感じたらしい。渋々ではあるが、「わかった」と頷いて、呉井さんの背中を優しく撫でながら、ゆっくりと移動を開始する。

 俺はその背を見送って、楽屋として使われている体育館横の放送ブースへと向かった。

 ちょうど中から出てきた三年生に、瑞樹先輩はどこにいるのか尋ねると、放送ブースは女子ばかりなので、体育館ギャラリーに、裏方担当の男子たちと一緒にいるという。礼を言って、ギャラリーへと向かう。

 階段を登りきると、すぐにドレス姿のままの瑞樹先輩が視界に入る。着替えようとせず、物憂げな表情で体育館を見下ろしていた。おそらく、俺がここにやってくるのも上からこうして覗いていたに違いない。

「お疲れ様です」

 初めて俺に気づいたような顔で、「ああ、明日川くん」と瑞樹先輩がこちらを向く。彼は嘘つきだ。ずっと嘘をついて、彼のお姫様の夢を守り続けてきた。俺が不用意なことをしないように、冷たい感情を向けてきた。

 その厳しさが、呉井さん自身に向けられた。写真の少女そっくりの姿を装うことで。彼にはいったい、どんな心境の変化があっただろうか。

「どうかな? 僕としては、似合うと思うんだけど」

 ドレスの裾を翻し、先輩は回ってみせる。とてもよく似合っている。骨格は紛れもなく男性だが、もともと整った顔立ちの彼が化粧をすると、中性的な危うい魅力を発揮する。

「……俺は、今のあなたにとてもよく似た女の子を、見たことがありますよ」

 瑞樹先輩は、表情ひとつ変えない。

「名前も知ってます」

 るなちゃん。

 呉井さんが呟いたその名前は、彼女だけではなく、瑞樹先輩にも特別なものであるようだ。微笑みのポーカーフェイスが崩れ、彼は目を細めて、少し痛そうな顔をする。無論、痛むのは身体じゃなく、心だ。

「先輩の化粧を手伝ったの、仙川先生ですよね?」

 普通に可愛くするだけの、先輩に似合うメイクをするだけなら、クラスの女子にもできるだろう。でも、それだけでは駄目だった。「るな」に似た顔にするには、彼女の顔を知っていて、かつメイクの腕も確かな仙川にしかできない。かくれんぼのときの仙川は、本当にまるで別人だった。

 瑞樹先輩は首肯した。

「彼女は嫌だって言ったんだけどね」

 直接の主人ではなくても、日向家の人間には逆らうことができなかった。仙川は、瑞樹先輩の希望通りのメイクを施した。

 嫌に決まっている。「るな」は呉井さんの心の微妙なバランスを取っている、要石だ。そこがぐらついたら、呉井さんは呉井さんでいられなくなる。

「どうして先輩は、こんなことを? 呉井さんを守っていたんじゃないんですか?」

 彼はウィッグを取り外した。ネットだけになった頭はドレスとはちぐはぐで、美しい化粧をしていても、彼は彼でしかないのだと、当たり前のことを思う。

「彼女の夢を守り続けることが、救う道筋だと思っていた。でも、僕らは間違っていた」

 このままでは、呉井円香は救われない。

 俺と山本が行き着いた答え。その通りの未来が訪れる。瑞樹先輩の目に滲んだ焦りから推測すると、遠くないうちに。

「時間がない。でも、本当に君が、彼女を救うことができるかどうか。最後にテストをさせてほしい」

 俺は頷いた。いつだってこの人は、俺のことを試すようだった。実際に、試験にかけられていたんだ。呉井さんを託すに値する人間かどうか。俺は彼女のことを気にかけてきたし、出来る限り誠実であろうともした。お眼鏡には適ったようだが、まだ最後のピースを持ち合わせていないらしい。

「僕は『彼女』の名前を教える。できる限り自分で調べて、答えを持ってきてほしい。そうだね……一週間。一週間後、僕の家へ来て。答え合わせをしよう」

 瑞樹先輩の唇が、「るな」の名前を告げる。

「『彼女』は日向ひなたるな瑠奈。……僕の姉だった人だ」

 それは、呉井さんの心に潜む、悪魔の名前だった。

 

85話

ランキング参加中!
にほんブログ村 BL・GL・TLブログ BL小説へ
にほんブログ村 小説ブログ 小説家志望へ
にほんブログ村 BL・GL・TLブログ BL小説家志望へ



コメント

タイトルとURLをコピーしました