クレイジー・マッドは転生しない(92)

スポンサーリンク
クレイジー・マッドは転生しない

<<はじめから読む!

91話

「僕はそんな姉さんを不気味に感じて、子供ながらに距離を置くようにしていた。母も同じだ。自分がお腹を痛めて産んだ子が、なんだか不気味で仕方ない。そう感じてしまう罪悪感で、次第に心を病んでいった」

 父は娘の操り人形となり、母は日に日に衰弱していく。子供の頃の先輩は、どうすることもできなかった。当たり前だ。彼はそのとき、まだ小学校に入学したばかりの頃だというのだから。

 その後、母が病気で亡くなった。姉は殊勝にも涙を零していた。その姿を、先輩は不安に思った。

「葬儀には呉井家の人々も来てね。まどちゃんもいたんだ」

 呉井さんはこのとき、人の死に初めて触れた。

 おばさまはなんで動かないの。おばさまはどこへ行くの。

 湿った葬儀場に無邪気に響く言葉に、故人を偲ぶ人々は大いに涙したという……一人を除いて。

「姉さんは、まどちゃんに言った。私のお母様はね、遠い世界へ行ったのよ、と」

 何も知らない無垢な幼児は、瑠奈の格好のおもちゃだった。間違った知識に狂った価値観を植えつけることが容易だからだ。その日から瑠奈は、呉井さんに教育を施していった。

「やめなよ、と言ってもどうすることもできなかった。姉さんは、外面は出来のいい自慢の娘だったからね。呉井のおじさんが、自分の娘とぜひ遊んでやってほしいなんて、免罪符を与えてしまった」

 瑠奈と呉井さんを引き離そうとしたら、先輩が悪者にされた。

 それは仙川も同じだった。幼い頃から呉井さんの傍についていた仙川が、自分より年下の瑠奈に注意をするも、常に言葉でやりこめられた。雇い主の呉井父に話が及んでしまえば、呉井さんの傍にいられなくなる。結局、仙川も口を噤んでしまった。

 瑠奈は呉井さんをすっかり魅了してしまった。高校のときのクラスメイトなど、比ではない。何年もの長い間、呉井さんは日向瑠奈にべったりだった。洗脳は深く、呉井さんの心に根を張って絡みついている。

「そしてあの日が来た」

 その場には、瑠奈と呉井さんの二人しかいなかった。だから先輩も、その日姉が、何を呉井さんに言い聞かせたのかは、わからない。

 この世界すべてに飽き飽きしていた少女は、その日突然、何の前触れもなく、命を絶った。自分を慕う妹のような子供の目の前で、自らトラックに突っ込んでいった。

「きっとそれは姉にとって……いや、あの女にとって、最後の実験だった」

 自分のたった一人の姉のことを、「あの女」と表現した先輩の心情は、どれほどのものだったのだろう。

「自分の死によって、まどちゃんがその後どんな人生を送り、破滅していくのか。見届けることはできないけれど、それでいいんだ。他人のことなんて、どうでもいいと思っていたんだから」

 呉井さんの異変に気づいたときには、すでに遅かった。事故直後には、言葉を話すことさえできなくなっていた彼女だったが、しばらくすると、異世界への憧れを口にし始めた。それまでは、ファンタジー小説を読むことはあっても、彼女は現実を見つめていた。

 瑠奈は死んだのではない。魂は遠い異世界へ飛んだ。自分も彼女の元へ行けるんだ。

「十七歳になったら、って」

 十七歳。日向瑠奈が死んだのも、彼女の十七歳の誕生日だった……。

「呉井さんの誕生日って……」

「十一月十日」

 あと少しじゃないか。それまでに俺は、どうにかして異世界転生なんてできないと、死んでも無駄だと、呉井さんを説得しなければならない。

「明日川くん。僕たちが頼めたことではないのは、重々承知している」

 立ち上がり、瑞樹先輩は俺を見つめる。その隣には、うっすらと目に涙を浮かべた仙川。

「……円香様は、私たちの言葉を聞き入れない。瑠奈様と二人きりでいた時間が長すぎた。その間に、何か言われていたのだろう」

 先輩たちが何か言ってきても、それは間違っている。そう思い込まされている。

「君が本気で、まどちゃんを助けたいと思っていて、行動に移す勇気もある人だということは、今回よくわかった。だから、申し訳ないけれど……彼女のことを、助けてほしい」

 二人に揃って頭を下げられると、なんだかこちらが恐縮してしまう。顔を上げてくれと言うと、仙川の目からは、とうとう涙が溢れた。

 過保護なまでに、主人のことを敬愛している彼女のことだ。呉井さんが、その根っこの部分で信頼してくれていないということを、どれだけ辛く思っていたのだろう。彼女の涙を見ていると、長年の苦労が偲ばれる。

「申し訳ないなんて、思わないでください。呉井さんを助けたいのは、俺だって同じです」

 呉井さんは、大切な友達だから。もっと一緒にいたいと思うから。

 俺が頑張る理由なんて、ただそれだけだ。それだけでいい。

93話

ランキング参加中!
にほんブログ村 BL・GL・TLブログ BL小説へ
にほんブログ村 小説ブログ 小説家志望へ
にほんブログ村 BL・GL・TLブログ BL小説家志望へ



コメント

タイトルとURLをコピーしました