気持ちのいい風が吹いている。雲ひとつない快晴を見上げて、しみじみと「嫁入り日和だな」と呟いた男に、ミュート――菅原美勇兎は、胡乱な目つきを向けた。
――何を言っているんだ、このオッサン。そもそも俺が嫁入りすることになったのだって、あんたの策略だろうが。
よっぽど罵倒してやろうかと思ったが、ミュートの足元には、わらわらと子どもたちが集まっている。教会が運営している孤児院の子たちで、ずいぶんと懐いてくれていた。ぎゅっと脛に腿に抱き着いては、
「ミュート、ほんとうに行っちゃうの?」
「おとのさまのいるところって、とおいんでしょ?」
教会に拾われ、雑用係として過ごすこと、約一年。孤児院の世話に行くのは三日に一回、それも数時間だけのことだというのに、子どもたちは泣いて別れを惜しんでくれる。その姿にぐっときて、ミュートも泣きそうになるが、こちらは二十五歳の立派な成人男性である。なんとか堪えて、
「旦那様が許してくれたら、孤児院にお土産いっぱい持って帰ってくるから、それまで待っててくれよ」
と、軽い口調で答える。
子どもたちは現金なもので、あれこれと土産のリクエストをしてくる。しんみりした空気は霧散して、ミュートは「はいはい」と、ひとりひとりの頭を撫でていく。
「でも」
孤児院には様々な年齢の子どもが保護されている。中でもそろそろ自立の話が出てくる年の少女だけは、本当に泣きそうな顔をして、スカートをぎゅっと握っていた。
ああ、全部知っているんだな、と思った。
「も、戻ってこられるかどうか、わからないじゃない……」
声を震わせて、ミュートの行く末を案じる少女に、幼児たちは彼女とミュートの顔を交互に見やり、不安げにしていた。ネガティブな空気がこれ以上伝播するのを防ぐため、大股で少女に近づいていき、わしゃわしゃと少々乱暴に、髪の毛を乱す勢いで頭を撫でてやる。
あれ? これってセクハラか? 女子中学生に頭なでなではまずいか? まぁいい。
「だーいじょうぶ。俺、丈夫なことには自信あるんだ。だって、異世界から落っこちてきても、無事だったんだぞ?」
大きな声で言い放ち、彼女にだけ聞こえるようにして、「俺は死なないよ」と、囁いた。ハッと目を見開き、少女は唇を尖らせ、「うん」と頷いた。
そうだ。死なない。死ぬわけがない。
たとえ、この十年余りで七人の妻を娶り、その全員が初夜の翌朝に死んでしまったなどという、いわくつきの領主のところに嫁ぐとしても。
そもそも自分が男である以上、「初夜」なんてものは成立しない。よって死なない……はず。
気を取り直し、ミュートはいよいよ馬車に乗り込む。その際に、最初に余計なことを呟いた司祭が、祝福を与えてくれるという。
「……ミュートのこれからの日々に、神の御加護がありますよう」
頭を下げ、閉じていた目を片方だけ開けて、子どもたちに向けた。舌を出すと、クスクスと笑っている。
孤児院で直接世話にあたっているシスター先生たちのことは大好きでも、時折やってきては口うるさく説教ばかりしてくる司祭に、彼らもいい印象を抱いていないのであった。
司祭を小馬鹿にした態度をとると、子どもたちは喜ぶもの。祝福の挨拶をいかに劇的に、素晴らしいものに演出するかに腐心している司祭は、おちょくる空気に気づかない。
祈りが終わり、ミュートは馬車に乗った。窓から身を乗り出しながら、手を振る。
「みんな、元気でいるんだぞ!」
「ミュートもね! おなかひやしちゃダメだよ!」
口々に健康について叫ぶ彼らに、「お前らは俺の母ちゃんかよ」と、苦笑した。本当の母親には、生涯二度と会うことはない。
「ミュート! ……ありがとう!」
最初から最後まで泣きそうだった少女は、勘づいている。
ミュートが嫁に行くのは、自分の身代わりであると。
司祭はもともと、十三、四歳にしかならない彼女のことを、呪われた領主のもとにやるつもりでいたのだと。
死なないと自信たっぷりに言い切ったのが、ミュートの虚勢であることも、何もかも。
元の世界じゃ関わることもなかったが、この年頃の女の子というのは、勘がいいものである。
慣れない異世界生活の中で、ミュートはそう知ったのだった。
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