<<はじめから読む!
<(10)
どうにかレイノルドとのダンスもこなし、その後、彼の方は何人もの女性に誘われていたが、ミュートは望みどおり、立派な壁の花となった。
当然である。海のものとも山のものとも知れぬ男に誘われて嬉しいご令嬢・ご婦人方はいないし、ついさっきまで、レイノルドのリードで女性パートを踊っていた身である。そもそも、男パートが踊れるのかという疑念が付きまとっている。
何人かの好奇心旺盛な女性たちが、きゃあきゃあひそひそと、こちらを見て何事かはしゃいでいることには気づいていた。
あれは腐女子だ。俺にはわかる。
きっと今頃、彼女たちの中では、「レイノルド様が他の女性と踊っているのを見て、『本当に自分なんかが嫁でいいのか』と、憂いを帯びた表情を浮かべる男嫁」という物語が展開されているのだろう。残念ながら、ミュートはレイノルドに釣り合う絶世の美少年ではないが、萌えに美醜はあまり関係ないらしい。
時折、牽制のために彼女たちに笑みを向ける。あまり勝手な妄想で、レイノルドに迷惑をかけてくれるなよ。自分のその願いは伝わっているだろうか。直接はっきり言わなければわからないだろうな、と黄色い悲鳴を上げて離れていく女性陣を見送った。
大広間にいるのは、基本的には大人の貴族だけだ。けれど、うろちょろと走り回っている子どももいる。あれは、王家に連なる家の子だと、レイノルドが教えてくれた。
いわば王家のスペアという立ち位置である。継承順位は低いが、万が一、ということもある。流行り病や災害、戦争。考えたくもないことだが、大勢の人間がいっぺんに死ぬ可能性はゼロではない。
確か、王の弟が興した公爵家のひとつだったはず。レイノルドが嫌そうな顔をしていた。
公爵本人は、悪い人ではないという。ただ、孫に甘いという一点を除けば。そしてその息子嫁が、自分の子どもを楯にして我が儘放題をしていなければ。
本来は、マナーをわきまえていない十歳未満の子どもは立ち入り禁止である。だが、彼の母親であるところの次期公爵夫人は、「今から城に少しでも慣らしておくべきですわ、お義父様。ほら、この子もお城のパーティーに参加したいと言って……」などと言い、公爵の了承を勝ち取ってしまったのである。
こういう場所に子どもを連れてくるのなら、それ相応の対応が必要だ。親は自分の子どもから目を離してはいけない。何かあったら金銭含めた謝罪をしなければならないし、即退場。子どものいないミュートでもわかる。
しかし、公爵家のお歴々は、自分たちの社交に夢中であった。特に母親は熱心で、息子がぐずって「お腹空いた」と抱き着いたのを、邪見にした。まったく、両親も祖父母も、そろって幼い子どものことをトロフィーか何かだと思っているんじゃないか。
ミュートはハラハラしながら、子どもの行く末を見守っていた。そんな義理は一ミリもないのだが、性分である。教会の孤児院を手伝っていたときも、十歳未満の子は、元気も有り余っているし、確か向こうではギャングエイジなんて呼ばれていたんじゃなかったか。
突拍子のないこと、危険なことをたくさんするし、悪いイタズラもたくさんする。せっかくいい雰囲気のパーティを壊すのは忍びない。
案の定、子どもは親が構ってくれないと諦め、会場内を走り始めた。裾の長いドレスの女性ばかりである。踏まれて汚れるのは序の口、踏まれていることに気づかずに一歩踏み出して、転んでしまったばかりか、ドレスが破れてしまった若いご令嬢もいる。
彼女は泣いたし、その両親や祖父らしき人物は慰めているが、子どもを咎める人間はいない。皆、彼がどういった家の人間なのかわかっているのだ。
ああ、よくない。悪いことをしても叱られず、すべてを赦された子どもが、まともな大人になれるはずなんてない。
「あっ」
泣いている娘に意識を取られていたら、子どもの姿を見失った。すばしっこい奴め。慌ててきょろきょろと探すと、彼の姿は果たして、広間から直接いける中庭にあった。
まずいな、と思った。中庭にはもちろん、警備の人間が立っている。けれど、彼らもまた貴族の端くれであったり、将来の出世を夢見ている連中だ。意識はパーティー会場に向けられていて、子どもの脱走に気がついていない。
ミュートが追いかけても、警備の人間は気に留めなかった。マージュ侯爵の嫁であることを公表されたのはつい先ほどで、まだ見慣れていないからかもしれないし、ミュートが貴族らしくないからかもしれない。
とにかく、男児を気に留めているのは、ミュートだけであった。
庭園は、王宮の中庭であるから植物園ほどは広くない。迷子になることはないが、小さな子どもは何をするかわからずに厄介だ。薔薇だということを知らずに突進して、棘が刺さって痛い思いをすることもある。
暗い庭、走り回る子どもを目視するのは大変だった。きれいに刈り込まれている植え込みであっても、進行方向にあれば邪魔になる。何度か舌打ちをして、遠回りをせざるをえない場面があった。子どもがひとりはしゃぐ声を頼りにそちらに向かっていると、「あっ!」という小さな悲鳴とともに、水音が聞こえた。
「!」
嫌な予感に、それこそ薔薇の棘が刺さるのを厭わず、最短距離を突き進むことに決めた。あとでレイノルドのところに修繕費用が請求されるだろうが、知ったことではない。
何事もなければよいのだが、ミュートの勘は、悪い方に働く。先ほどまでしていた声が聞こえない。
音の発生源は、庭園に造られた噴水であった。ごく浅い槽だが、足を滑らせて驚いた男児は、そのまま水を飲み、パニックに陥って顔を上げることもできなくなり、溺れてしまったのだ。
慌てて駆け寄り、救護する。かなり水を飲んでしまっている。
ミュートは「誰か! 子どもが溺れた!」と、大声を張り上げて人を呼ぶ。会場の中までは聞こえなくても、見張りには届いただろう。
子どもの意識はない。ぐったりとしている彼の口から、水を吐かせるがほとんど出てこない。飲み込んでしまっている。
「息、してない……」
このままだと、死んでしまう。
ミュートはひとつ深呼吸をすると、現代日本でのことを思い出し、救命活動を行った。
(心音確認……気道の確保……心臓マッサージは、子どもだから加減をして……)
ライフセーバー、救急救命士が主人公の漫画にハマったことがあった。文系であったし、ヒョロヒョロもやし体型のオタクだから、どうあがいてもそれらの職業に就くことは難しい。
ならば、と救急救命講習に積極的に参加して、担当者に様々な質問をした。実際に使う機会はなかったが、何度も習ったので、覚えている。
心臓マッサージを三十。一定のリズムで押して、人工呼吸で息を吹き込むこと、二回。それを繰り返す。ひとりでやるのは大変だったが、この世界ではこうした技術は発達していない。自身でどうにかしなければならない。
ミュートが懸命に人命救助を行っていると、ようやく兵士や、男児の親がやってきた。
「ああっ! へインツ!」
母親が駆け寄り、息子に不埒な真似(傍から見たら、キスをしているようにしか見えない)をしているミュートを引きはがそうとする。だが、目の前の命を救うことだけを考えているミュートは、彼女を無視した。
周囲が鬼気迫るミュートの姿を見て、女を止めてくれた。
(戻ってこい、戻ってこい……)
おそらく、子どもの魂はあの世へと導かれている。かろうじて細く繋がっているだけの糸を、切れないように手繰り寄せている。
汗が噴き出す。諦めてしまいたい。けれど、助けられる可能性が少しでもあるのは、自分だけなのだ。
苦しさ、真剣さがごちゃまぜになり、ミュートの顎を汗が伝い落ちる。
まさにそのときであった。
「ごほ……ッ、げほっ!」
水を吐き出して、男児が息を吹き返した。咳き込んでいる彼を転がし、背中をさすってやる。心臓マッサージのし過ぎで、骨が折れてやしないだろうな、とひやひやしたが、幸い無事らしい。
「もう、大丈夫だ……」
泣きながら咳き込む男児に言い聞かせ、ミュートは身体の力を抜いた。ぶっつけ本番だったが、上手く行ってよかった。
尻もちをつくと、拍手の音が聞こえてきた。いつの間にか、野次馬が集っていたのである。ああどうも、なんて照れ笑いで会釈をしていると、肩にドシンという衝撃が。
「私の息子になんてことするのよ!」
女が突き飛ばしてきたのである。ずぶぬれの息子の身体を抱きしめ、「あんたのせいなんでしょ!?」と、言いがかりをつけてくる。ハァ? と、ミュートは険しい表情を作った。
こっちは、親のお前らが注意して見ていなかった子どもを追いかけて、助けたんだぞ!
反論しようと口を開きかけたときだった。
「私の夫を侮辱しないでいただきたい」
凛と張る声に、辺りが静まり返る。群衆を割ってやってくるレイノルドを見て、モーセみたいだと、場違いにも思った。
「でも!」
と、言いつのろうとする母親を手で制して、レイノルドは、
「そもそも、子どもを連れてくるのが間違っている。王家の子どもたちですら、今宵は乳母と留守番をしているのだ。どうして、公爵家の幼子がここにいる?」
と、誰もが疑問、または憂慮していた事実を突きつけた。口ごもる女に、一気に畳みかける。
「百歩譲って、連れてくるまでは許すとして、連れてきた大人が責任をもって監督をしなければならないのではないか? どうお考えですか、公爵閣下!」
可愛い孫息子が溺れ死ぬところであった公爵は、自分の方こそ死にそうな青い顔をして、ミュートたちのことを凝視していた。レイノルドに話を振られ、「あ」とか、「う」と、呻くことしかできなくなっている。
孫可愛さに連れてきて、そのうえでの監督不行き届きを、自分よりもずっと若いレイノルドに詰められている。大勢の前、しかもその中には王太子や他の王族もいる。
「で、でも、その男がうちの子を誘拐して殺そうとしたかもしれないじゃない!」
そんなことするか! と大声を上げかけたが、ミュートはレイノルドの冷え冷えとした表情を見て、口を噤んだ。余計なことを言わない方がいい空気を察したのである。
「……ミュートは、こちらの世界にやってきてから、ずっと教会の孤児院で子どもの世話をしてきた人間だ。ひとりでうろうろしている子どもがいたら、面倒を見なければならないという気持ちに駆られる」
そうだろう、とこちらに目を向けてきたので、何度も頷いた。
「ひとりで外に出てったから、心配で……」
「そんな心優しいミュートを、誘拐犯? 人殺し? お前たちの大切な子どもの命を救ったのは、異世界人の叡智によるものだ! ミュート以外の誰も、その子を生かすことはできなかった!」
わぁわぁ、とそれまでとは違う調子で泣き始めた子どもは、嗚咽交じりに「ごめんなさい」を連呼した。
「つ、つまらないし、ママも、だれも……ぼく、ぼくぅ……!」
子どもの涙は、決定的であった。女の言い分は棄却された。子どもを抱き上げ、城から逃げていく。もちろん公爵も、それからその息子も。後に残されたミュートは、レイノルドの手を借り、ようやく立ち上がった。
「おっと」
人口呼吸で男児に一生懸命酸素を送り込んでいたら、自分の方が足りなくなっていた。立ちくらんだのを、レイノルドが支えてくれる。
「もう帰ろう。疲れただろう?」
そう囁かれて、頷いた。重たい身体を引きずられ、夜会の会場から立ち去る。
このときのミュートは、疲れすぎていて、この後の展開を予想することなど、到底不可能であった。
>(12)

コメント