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国王主催の夜会にて、人命救助に成功したミュートにとって、想像していなかったことがふたつある。
ひとつは、自分宛の手紙が増えたことである。
ただの時候の挨拶に終始するものもあれば、ご機嫌うかがいの贈り物攻撃に遭うこともあった。ガーデンパーティや茶会、社交場への誘いはひっきりなしで、ミュートは戸惑いを隠せない。
中には、医師からの救急救命法をぜひとも教えてほしい、という熱心な依頼もあって、ミュートはそういう場所には、即決で行くことにしたが、医者以外では、レイノルドの助言が必要である。
「公爵家の子どもを救った君は、英雄なのさ」
あんな連中でも、現王とは最も血が近い家である。
ひどい口ぶりだったが、その後の公爵家のますますの人望低下を耳にすると、不満を抱いているのは彼だけではない様子であった。
「それで、他にもいろいろと招待状をもらっているんだけど……」
ミュートは手紙の束をひらひらさせながら、レイノルドをちら、と見上げた。
もうひとつはこれだ。レイノルドがどこか、よそよそしい。
親切なのはずっと変わらない。ただ、目が泳いでいるというか、ミュートがしっかりと視線を合わせようとしても、微妙に合わないのである。今も、ミュートの持っている手紙に焦点を合わせているようだ。
面白くないと思ったが、すぐに考えを改めた。
レイノルドは、外にいるときにはずっと眼帯をしている。周りの人間と違う、片方だけ赤い目はどうしても敬遠されがちで、円滑な関係を築き上げるためには仕方のないことだ。
機能面では問題がないのに、左目を隠した生活を強いることは、すなわち視力の低下に繋がる。
目が合わないと感じるのは、自分の主観の話。実際には、単にピントが合わないだけなのだ。
ミュートはそう言い聞かせた。
もしも本当に、自分が何かやらかして彼の機嫌を損ね、注意もしてもらえないほど信頼を壊したのならば、震えがくるほど恐ろしいからだった。
別に、人間関係に重きを置いてきた人生じゃない。オタクというのは、仲間がいれば楽しいけれども、ただ漫画やアニメ、ゲームを楽しむのなら、ひとりだってじゅうぶんに活動できるものだ。つかず離れず、来る者拒まず去る者追わず、そうやって生きてきたのに、レイノルドのことは、引き止めてでも傍にいてほしいと思う。
これは依存だ。
ミュートは断じる。
教会以外で受け入れてくれた、初めての人。連続で花嫁を初夜で亡くしたかわいそうな侯爵は、生き延びたミュートのことを、大切な友であると言ってくれた。ここを追い出されたら行くところがないという現実以上に、ただ彼の力になりたいという気持ちが強いことを、自覚する。
レイノルドは、ミュートの手から招待状の束を取り上げた。素早く目を通して、一通だけ差し戻す。他は不採用か、もう少し吟味が必要という判断に違いない。
送り主の名前を見て、ぎょっとした。
「なぁ、この人、いや、この方って……」
封蝋は、初めて参加した夜会の封筒を閉じていたものと同じ紋章である。すなわち、王家のものだ
レイノルドは何事もないかのように頷いた。
そりゃ、あんたは気心知れた相手だろうけどさ! と、ミュートは手紙の中身を読む。
流麗な女の文字は、読みやすかった。難しい(いわゆる貴族らしい、という奴だ)言い回しがなくて、助かった。
夜会の招待状もそうだったから、気遣いに優れているのが、王家の人間というものなのかもしれない。ニュベール王国はこれからも安泰そうで何よりだ。
それから、「レイノルドは一緒に来ては駄目よ」と、添えられた追伸の気安さ。
「大丈夫だ。彼女は今、実家のタウンハウスにいる。妊婦だから、そう長い時間にはならないだろう」
二度目の社交にはぴったりだとレイノルドは請け負うが、とてもじゃないがミュートは、そんな風に楽観視できなかった。
――だから、王太子妃とサシでお茶するなんて、俺には荷が重いってぇ……!
レイノルドの親戚である、ギリアス侯爵家の門を叩いた瞬間から、胃がシクシクと痛んだ。手紙に書いてあったとおり、レイノルドの同行は断った。
彼は不満そうにしていた。だが、いくらいとこといえども、相手は王家に嫁入りした人間である。いち侯爵に過ぎないレイノルドが、彼女の意向を無視することはできなかった。そのため、本日の訪問の供は、ジェイクであった。
彼は主人の信頼を裏切ってはいけないと、背筋をいつも以上に伸ばし、張り切っている。嫌味ったらしい態度も、少しは鳴りを潜めてくれればよいのだが、とミュートは思った。
「先日の夜会では、ずいぶんとご活躍だったと伺っておりますわ」
レイノルドよりも、確か年下で、自分よりは上。締めつけのないゆったりとしたドレス姿で優雅に一礼して出迎えた王太子妃・メディアの言葉を、ミュートは素直に聞いていいものかどうか、悩んだ。
要するに、「調子に乗るなよ」と、釘を刺されているのかと。これがもしも、ジェイクの口から出てきた言葉であれば、百パーセント褒め言葉ではない。完全に皮肉である。
しかし、血縁関係にあるレイノルドとは正反対の柔らかな印象を与える彼女の表情は、心からの賛辞を述べているのだと、素直に信じることができた。
ミュートは恐縮し、頭を掻きながら何度も下げる。
「いえ。たまたまです……僕は医者でもなんでもありませんし」
医師や騎士団の人間に乞われて、救急救命講習を行う予定だが、少し不安である。教本があるわけでなく、すべて自分の頭で記憶していることが基本となる。ひとつでも間違えれば、取り返しのつかないことになるかもしれない。
「それでも、目の前の命を救おうと勇敢に立ち向かったあなたは、英雄ですわ」
ミュートはそこでようやくハッとして、「妊婦さんを立たせたまんまじゃ駄目だ!」と思い当たり、しどろもどろになりながら、彼女に着席を促した。その様子が微笑ましかったのか、メディアは嬉しそうにしている。
彼女が手元のベルを鳴らすと、すぐに給仕係がやってくる。最低限しか音を立てずに茶器を扱うのは、王太子妃の側近として仕えている侍女であろう。もちろん面識はないが、どうしてそう確信したのかといえば、こちらを胡散臭そうな目で見てくるからだ。
生粋の貴族ではない、どころかこの世界の人間ですらない自分に向けられるものとしては妥当だったので、ミュートは何も言わない。しかし、侍女の視線に気がついた女主人は、厳しく叱責した。
「エリー。あなた、いつになったら私の話を理解してくれるのかしら? 私、噂話と見た目だけで偏見を持つ、あなたのそういうところが嫌いよ」
本気で言っているのがわかるから、侍女は青くなった。先ほどまでは上手に淹れていたものだが、手が震えてしまい、ポットの注ぎ口とカップがぶつかり、音を立てた。
「……お待たせいたしました」
中身が零れそうになっている。このままだと、この女はクビになる。王太子妃に「駄目な侍女」と烙印を押されては、今後の再就職先も決まらないし、おそらくこの年なら既婚者であろうから、夫からもグチグチ言われ、離縁される可能性も考えられる。
ミュートはできる限り、優しい笑みを浮かべた。
「大丈夫。気にしていませんよ。僕は確かに、この世界の人間じゃありませんし、大切な王太子妃様を守りたくて、警戒していただけですよね?」
エリーは、目を見開いた。そしてコクコクと何度も頷くと、深く頭を下げて、謝罪をしてくれた。ミュートは「許します」と宣言をしてから、メディアに目を向けた。
「僕は彼女のことを気にしません。ですから、寛大な処置を」
懇願に、王太子妃は小さく溜息をつくと、笑い始めた。
「まぁ、あなた。それはそれは、あのいとこ殿が気に入るはずだわ」
と、楽しげに。
和やかに進む茶会の話題は、ふたりが共通して知っているものに自然と限られていく。だから、ほとんどがレイノルドにまつわる話である。
メディアからは幼い頃の彼の話を聞き、その正義感と言葉の強さから大人にも恐れられていたと聞き、今と変わらないな、と思う。ミュートからは、夜寝る前に聞かせている物語を、彼がどれだけ楽しみにしてくれているかを語った。
「あのレイ兄さんが? 嘘でしょう?」
と、絶句するほどには、作り話を聞いて大笑いするレイノルドというのは、珍しいらしい。
「いえ、本当ですよ。僕だけじゃなくて、ここにいるジェイクも聞いています」
な? と、話を振ると、置物のように突っ立っているだけであったジェイクは、わかりやすく狼狽えた。すべての支度はギリアス家の人間が整えるし、今日は、ミュートが何かしでかしたときだけ後始末をするのが自分の仕事だと思っていたのだろう。
不意打ちを食らい、彼は珍しく口ごもり、「は、はぁ……そうですね」と、要領を得ない返事をするのだった。王太子妃を前に、有能さをアピールできなくて、彼は歯噛みしているが、気にしない。
ミュートが、彼が一番気に入っていた改変桃太郎の話を披露すると、いとこ同士、笑いのツボも似たようなところにあったのか、ころころと笑い転げる。
王太子妃がこんなに無防備に笑って果たして大丈夫なのかと心配するほどで、メディアは目元を拭い、「あ~、おかしかった」と、ようやく静かになる。
が、どうも様子がおかしい。笑いすぎで涙が出ることはあるけれども、少し拭えば消えてなくなるくらいのものだ。なのに彼女は、ずっと目元を隠し、しまいに侍女がハンカチを差し出していた。
「あの、殿下……」
女性が泣いている場面に出くわしたことは、ほとんどない。その少ない経験も、映画で感動して喋れないほどだとかそういう理由だし、自分だって同じくらいぼろ泣きしていた。こんなときに慰める言葉を、ミュートは持たない。
「あのね、ミュート様」
「はい」
真剣な声だったから、ミュートは居住まいを正して返事をした。生真面目なところは、レイノルドと一緒ね、と彼女は微笑む。
「よくぞ……よくぞ、生き延びてくださいました」
深々と頭を下げられ、にわかパニックになる。立ち上がり、両手を振ってあわあわと、「頭! 頭上げてください! 私は何にもしていません!」と、王太子妃に頭を下げさせた男という不名誉な称号を授かりたくない一心で、説得をした。
「いいえ。あなたが生きていることで、どれほどレイ兄さんが救われたことか」
王家に嫁ぐ前は、頻繁に行き来があった親戚同士だ。メディアは、レイノルドの結婚式にも参加し、祝福していた。
レイノルドは侯爵家の当主としては、まだ若い。若すぎると言ってもいい。三十になる前に継いだということはすなわち、父親が早くに死んでしまったということとイコールである。
「レイ兄さんはひとりだったわ。だから、結婚することで新しい家族ができるのを、喜んでいたの。奥様が嫌がるから、家の中でも眼帯を外さないようにしなければ、と笑っていた。そういう気遣いのできる、優しい人」
けれど、その彼のもとに嫁いだ花嫁は、全員が初夜で命を落としている。ミュート以外は。
メディアがまっすぐに見つめてくる。深い信頼を寄せられているように感じて、居心地が悪くて身体を揺らした。
「葬儀の度に、泣くのを我慢している兄さんを見てきたの。どうか、お願いします。あなたは、あなただけは、呪いに負けないで……」
その言葉を聞いた瞬間、ミュートの中でカッとくるものがあった。
呪い? 呪いだって? それは、彼の赤い目がもたらすと信じられているものじゃないか。常に左目を隠すことを強いられている生活がどれほど辛いか、ミュートがきれいだと褒めたときに、彼がどんな顔をしたか、知りもしないで。
彼女を責めるための言葉が、零れ落ちそうになった。ミュートは慌てて茶に口をつけて、一緒に飲み込む。
「わかりました。決して、呪いなんかに負けません」
そもそも呪いが本当かどうか、誰も確かめたことがないのではないか?
最初のうちは真面目に捜査していたかもしれないが、七人も連続して花嫁が亡くなれば、呪いによって発狂した女たちの自殺であるとまとめるのが、ラクだ。
果たして、本当にそうだろうか。
ミュートは調べてみる価値があるな、と考えた。
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