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「なぁ、レイノルド」
王都のタウンハウスでも、ベッドはひとつだ。
ちなみに今日の寝物語は、勇敢な王子様が実は女の子だった、という男装の令嬢ものであった。
レイノルドは面白そうに聞いていたが、「男と女では力も体格も、何もかも違いすぎるからすぐにわかる」と言って譲らなかった。
これは物語であって、本当にあったことではないと説得をしてようやく腑に落ち、あくびを噛み殺すようになった頃合いに、ミュートは話しかけた。
「なんだ?」
まだ物語を隠し持っているのか? とワクワク目を輝かせ始めたレイノルドは、本当に千夜一夜物語の王様のようだ。あの話に出てくる王は、娘の夜話の続きが聞きたくて、殺さずに留まっているのだ。相当の夢想家であったのには間違いない。
レイノルドは現実主義者のようで、自分のような庶民に夢を見過ぎている節がある。
「俺、絶対に呪いなんかじゃないと思ってるから」
彼は目を見開いた。つけっぱなしになっていた眼帯を解いてやる。
ああ、やっぱりきれいだ。薄暗い灯りのもとでも、輝きは失われない。
「こんな、赤い目だけで呪いだのなんだのうるさい連中、黙らせてみせるから」
そう強く宣言をする。
なかなか反応が返ってこなくて、「あれ?」と首を捻ると、どしん、と勢いよく胸に飛び込んできた。大型犬にとびかかられたような衝撃に、呻き声を上げそうになるが、どうにか耐える。
「ありがとう……」
胸に頭を預け、レイノルドはそのまま顔を上げなかった。ミュートは彼の気持ちを汲み、見ないようにして、その背を抱きしめるのであった。
「さて、今日はどんな話がいい?」
ベッドの上で、子どもに聞かせるように問う。物語を即興で作る技術もだいぶ上達して、ミュートは昼間の時間を話のネタ作りに終始しなくてもよくなった。王都では少しずつだが社交をするようになり、そちらに時間を取られるようになった、という事情もある。
それこそ、生んだ覚えはないが幼子のように、「今日は少し怖い話がいい」などとリクエストを述べてくるのが常であった男は、ごろり寝返りをうち、ミュートをまっすぐに見つめてくる。ふたりきりの寝室、眼帯はつけておらず、ルビーの瞳が露わになっていて、ドキッとしてしまう。
「今日は、君の話がいい」
「俺の?」
いつも自分が一方的に話している気がするが、どういう意味だろう。
レイノルドは適切な箇所で相槌を打つのが上手で、話をしていて気分がいいし、彼の質問によって話が思ってもみなかった方向に転がっていく。それが傑作になるのだから、レイノルドは現代日本であれば、編集者が天職なのではないだろうか。
首を傾げたミュートの頬を、レイノルドの指がなぞった。突然の戯れに、肩が揺れた。自分の反応を見て、彼はサッと手を引っ込めてしまう。
「そう。いつも君は面白い話をして私を慰めてくれる。けれど、それはすべて、想像のお話だろう? 私は、君がここではない世界でどんな風に生きてきたのか、何を考えている人なのかを、もっとよく知りたいと思うんだ」
ぴしりと笑顔を浮かべた唇が固まる。
そう。確かにミュートは、自分自身の来歴を、レイノルドに最低限しか話していなかった。年齢と、ここではない世界の日本という国で生まれ育ったということ。彼が知っているのは、たった二点である。
逆に、レイノルドのことはいろいろと知っている。
年もそうだし、マージュ侯爵になったのは、両親が早世し、兄弟も他にいなかったからということ。妻を得ても、初夜を迎えると死んでしまうという事件に心を痛めていること。平民たちの味方で、彼らからは「殿様」と慕われている一方で、貴族に対する当たりが厳しいこと。拙いミュートの寝物語を、楽しく聞いてくれていること。
それから意外と甘いものが好きで、渋いお茶は一口しか飲まない。酒はあまり好きじゃないらしく、付き合いで一杯程度だ。
互いの有する情報の差に今さら気がついて、ミュートは唸り声を上げた。自分たちは、男同士にしてはよく喋る方だと思っていたけれど、まさかレイノルドにそんな風に思わせていたなんて、と。
「ミュート? 嫌な思い出しかないのなら、言わなくてもいい、これは私の我が儘に過ぎないのだから」
「そ……ういうわけじゃないんだけど、その、なんかこう」
脳内のストーリーを話すときはスルスルと出てくるのに、肝心な自分の考えを伝えようとすると、ふさわしい言葉が思い浮かばない。どうして自分の話をあまりしないのか、その理由を言えば、笑われるかもしれない。今さら誰にどんなことを言われたって構わないが、レイノルドに冷笑されるのは嫌だった。
しどろもどろのミュートを、レイノルドは辛抱強く待ってくれた。そして、
「なら、私の質問に答えてくれるか? もちろん、答えられない問いは無視してくれて構わない」
なるほど、それくらいならと頷くと、彼はとても嬉しそうだった。
レイノルドの質問は、当たり障りのないことから始まった。
誕生日すら教えていなかったのかと思うと、なんだか申し訳ない気持ちになった。「こちらの世界でのその日付は、とうに過ぎているじゃないか!」と嘆かれると、「ごめん」としか言えない。嫁いできて目まぐるしく過ごすうちに、自分でも気づかぬうちに、二十六歳になっていたのである。
趣味、と言われるとゲーム、アニメの説明を、そのテクノロジーがないこの世界のものに置き換えて説明するのは難しく、無難に小説を読んだり、演劇を見たりするのが好きだった、と言った。アニメを演劇と言い換えるのが適切かどうかはわからない。
「だからさ。いつもレイノルドは俺の話を面白いって褒めてくれるけど、本当は自分で全部考えてるわけじゃないんだ。向こうの世界で俺が好きだったのを思い出して話をしているだけ」
少しの罪悪感から、初めて事実を告白する。レイノルドは軽蔑したり、落胆することがなかった。
「君のいた世界の作家が素晴らしい、ということだろう。それを覚えていて、脚色したりしているのはミュートなんだ。気に病む必要はない」
本物を目にすることはないのだ。興味深い物語を共有してくれてありがたいと思っている、とレイノルドが続けて、「どんな話が好きだった?」と聞かれ、ミュートは調子に乗った。
オタクというのは、えてして語りたがりだ。自分のジャンルについて他人に聞かれたら、「待ってました!」とばかりに、早口で説明を始める。相手の反応などお構いなしに。
ハッと我に返ったのは、長編バトル漫画のストーリーを粗方説明し終わって、各キャラクターの必殺技やベストバトルについて発展させようとしたときだった。
「あ、えっと、俺。ごめん」
途端にしどろもどろになったミュートに、レイノルドは身体を起こす。
「何を謝る必要が?」
「だって、キモイだろ。全然知らない漫画……作品の話、延々されてもつまんないだろうし」
今日はもう寝ようぜ、とさっさと布団をかぶって背を向けようとしたところに、「ミュート」と、優しくも重い声がかけられた。
「つまらなくない。君の好きなものを、私は知りたい。でも、本当はもっと、君の個人的な経験を知りたくもある」
好きな作品の内容だけでなく、その作品を読んだときにどう感じたのか。どんな経験がベースとなって惹かれたのか、そういうところまで知りたいのだとレイノルドは言った。
確かに、乱読派のオタクであっても、好き嫌いの傾向は決まっている。えてしてそれは、自身の体験に紐づいているものだ。
例えば、どんなエログロ作品でも美味しく食べられますよ、と言っていた人間が、恋人を寝取られた経験から、NTR作品だけは地雷になってしまったりだとか。
運動神経が悪くてコンプレックスを抱いていたところに、筋トレに励む主人公の作品を読んで励まされ、自分でもやってみようと前向きになったりだとか。
極端な例だが、オタク仲間の実例である。そしてもちろん、ミュートにも似たようなことはある。
「どうして、そんなの」
オタクは同志であって、友人ではない。同じ作品が好きだというだけの緩い繋がりの相手に、個人の体験談を交えて話すのは、距離なしとして嫌われる。だから、作品のストーリーや簡単な感想を話すに留めるようになった。SNSもほとんど壁打ち運用だった。
「仲良くなりたい相手……いや、好きだと思った相手のことは、何でも知りたいと思うのが、普通だろう」
レイノルドがわざわざ言い直した意図に、ミュートが気がつかないわけがない。ギャルゲーやエロゲも、何本もやってきた。少女漫画もいろいろと読んだ。仲良くなりたい、だけだと友情どまりだが、「好き」と口に出せば、一歩踏み込んだ感情になる。たとえそれが、同性であっても。
彼はミュートの手を握り締めた。強く、けれど握りつぶさないように注意深くそっと。
「それから、私のことも知ってほしい」
レイノルドのまっすぐな瞳に、ミュートは一度、目を閉じた。
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