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菅原美勇兎は今でこそこじらせたオタクで、親しいオタク友達なんて必要ないと思っている人間だが、学生時代は交流を積極的に行っていた。
端的に言えば、彼女が欲しかったのである。
もちろん、非オタの女子たちに声をかけることは憚られた。オタク趣味を公表しているアイドルや俳優がいて、彼らは受け入れられているけれど、それはイケメンだから、早口オタクトークとのギャップが受けているのだ。
ごく平凡な男であり、トーク力もない美勇兎は、「キモイ陰キャオタク」と斬って捨てられるのは、目に見えていた。
だから、淡い期待を胸に参加するのは、オタク男女の交流会であった。合コン、という名前で開催するのもなんだか嫌らしい感じがする、という理由でそう呼ばないあたり、主催者もなかなかにこじらせている。
美勇兎はその輪に混ぜてもらった。きちんと美容院に行って、服も量販店のものだが、マネキンのコーディネート丸ごと購入して、そわそわと準備をした。
その甲斐あって、いい感じになった女性がいた。彼女は別の女子大学に通う同い年で、とてもオタクには見えなかったが、好きな作品はそこそこマニアックで「熱い!」と、勇気を出して自分から交流を持ちかけたのだ。
「えっ。菅原くん、あの先生の作品好きなの?」
「うん。めちゃくちゃ好き。三巻のさ、主人公の演説シーン、丸暗記して全部言えるくらい」
漫画史に残る長ゼリフの実演は、美勇兎の持ちネタであった。身振り手振りまで完璧にやれる。少しだけ披露すると、「やだ! すご!」と、楽しそうに笑ってくれて、その笑顔が可愛くて好きになった。
連絡先を交換して、何度かふたりで遊びに行った。
彼女の方は一般女子大生への擬態が上手かった。周りと馴染む服を着て、イマドキのヘアセットとメイクをしている。美女と野獣なんて言われないように必死だった。
見た目を取り繕うのがそれほど苦にならなかったのは、ふたりきりの場所では、彼女もオタクトークに興じてくれるからだった。ピンクのぷっくりとした唇から、「えぇ~。わかる! 〇〇ちゃんは俺の嫁!」なんて、男オタクとの間でも昨今やらないやり取りがまろび出ると、嬉しくてニヤニヤした。
何度目だっただろう。たぶん、両手の指には届かないくらいのデートだった。
映画を見て、カフェに入って感想戦をしようとしていた。
美勇兎はすでに三回見ていて、初見の彼女と意見交換をするのに準備も万端だった。大きな鞄の中には、これまでの考察をまとめたレポートの束が入っている。
注文したコーヒーを一口飲み、口を開こうとしたところで、彼女に遮られた。
「ねぇ、映画の話もいいけどさ、もっと菅原くんの話が聞きたい」
今ならわかる。その日の受け答えや、会話の持って行き方によって、彼女は自分と付き合うかどうかを決めようとしていたのだ。
オタク仕草で一方的に話すのではなくて、きちんとコミュニケーションができるかどうか試されていたのだ。
結果、美勇兎はやりすぎた。作品の感想を語るときと同じようなテンション、早口でまくしたて、最初はニコニコと笑って聞いていた彼女が、スマホを取り出してポチポチといじりながら「へぇ」「ふうん」「そう」という相槌しか返さなくなっても、まだ喋っていた。
彼女の立派だったところは、そのままフェードアウトしてもよかったし、そうすべきだったところを、しっかりと美勇兎に釘を刺して終わりにしたことだった。
「菅原くんってつまんないね。オタ話封じたら、何にもないじゃん。なのに同じ調子で喋ってて。もうちょっと相手の反応とか見ながら話したほうがいいよ」
と。
自分のことを知りたいと思ってくれた女の子に、呆れられるくらいのつまらないエピソードしかないし、気を遣うこともできなかった。美勇兎はショックで塞ぎこみ、以降、オタク話しかしないようになった。それすらも、「本当は嫌がられているんじゃ?」と疑心暗鬼になり、SNSでも独り言を発信し、もらったリプライには返事をするが、自分から話しかけることはやめてしまった。
「つまらない俺の話、それでも聞きたい?」
ベッドの中でレイノルドに聞かせてきた刺激的な物語とは正反対の、平凡でつまらない生い立ちだ。語るべき内容などないと、何度も強調して尋ねる。
彼はごく真面目な顔をして、「聞きたいに決まっている」と、答える。それじゃあ、と恐る恐る自身の名前の由来について話をした。
オタク同士の自己紹介をする機会があったときには、必ず話していた。作品まで共有されているから、笑ってくれる相手もいた。彼女もそうだった。
だが、レイノルドは元ネタを知らない。ミュートは一生懸命、彼にも伝わるように言葉を選んだ。寝物語をするときには悩まずに出てくるようになったのに、しどろもどろになる。
へたくそな話だ。面白さの一ミリも伝わらなかったに違いない。落ち込むミュートに、レイノルドは言う。
「君の国の名づけは興味深いな。文字のひとつひとつにも意味があるのか」
ミュートの話の中心になっていた、「オタク母マジきつい」という点ではなく、もっと本質的なところに関心を寄せたレイノルドに、目を瞬かせる。
「今の説明だと、ミュートは美しくて、勇ましい子どもになるようにと願いを込めてつけられたんだろう? その、物語の中の好きな登場人物の字を最後に使ったのは、母親のこだわりというだけで、願いは別にある」
「あ……」
これまでに考えてもみなかった指摘に、胸が詰まる。母が一生懸命に、名づけ辞典に向かい合い、どんな子どもに育ってほしいか、赤ん坊の自分を眺めながら考えていた姿が見えるような気がした。
「君はその願い通りの人間だよ。強くて優しくて、美しい」
ぶわり、涙が滲んだ。そんな風に愛し、育ててくれた母とも、もう二度と会えない。これまでごまかしてきた寂しさが急に押し寄せてきて、目から雫がとめどなく落ちる。
レイノルドは自分の胸に、ミュートを押しつけた。彼の寝間着が、ぐいぐいと水を吸い取って、濡れる。
「君を日本に帰す技術が発見されればいいんだが……いや、そんなものがあったとしても、私は君を帰せないだろう」
すまないと謝られ、驚いて彼の顔を見上げる。
「私の赤い目を見て、きれいだと言ってくれた君が好きだ。呪いなんて存在しないと言い切った君を、愛している。だから、手放したくない」
逞しい胸板に抱き込まれ、ミュートはその日、眠れぬ夜を過ごしたのだった。
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