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次の日、ミュートは料理人や給仕の人間のところへと向かったが、怒り狂って追い出された。
こういうとき、コミュニケーション能力の不足を思い知らされて嫌になる。
馬鹿正直に、「レイノルド様の食事に、混ぜ物ができるとしたらあなた方以外に誰かいる?」なんて尋ねるものだから、鬼料理長には、麺棒でぶん殴られそうになった。
何かうまい聞き出し方があったのかもしれない。うーん、と唸りながら廊下を歩いていると、「ミュート様。支度はお済みですか?」と、ジェイクに声をかけられ、「あっ」と思い出した。
今のミュートは、ごくつぶしの居候ではない。細々とではあるが、マージュ侯爵のパートナーとして、社交に励んでいるのだ。
公爵の孫息子の命を救い、メディア王太子妃の覚えも愛でたいミュートには、多くの招待状が舞い込んでくる。レイノルドも忙しく、すべてをチェックしてはいられない。
そこで、メディアが貴婦人会を発足させた。そのメンバーは、王太子妃の眼鏡にかなった貴族の奥方やご令嬢ばかりである。ミュートの社交とはすなわち、彼女たちの会に参加することなのである。
基本的には、お茶を飲んでお喋りに興じるレディたちを眺めているだけなのだが、あれこれと質問を受けることもある。
ミュートが日本で詰め込んできた知識の中には、この世界のご婦人方が興味を抱くものもある。
具体的に言うと、ハーブやスパイス、アロマについてである。花壇の隙間に植わっている、雑草扱いしてきた素朴な草花が、美と健康に寄与する可能性があると知った彼女たちは、食い気味にミュートを質問責めにした。
検定を受けて合格はしたものの、精油やらなんやらを作る技術はミュートにはない。高貴な身分の人たちばかりだから、それぞれに研究者を召し上げ、競い合って開発するであろう。金儲けにもなるし。
妊婦には使ってはいけないだとか、ペットを飼っている家ではアロマを焚かないだとか、そういう禁忌については徹底して教え込み、あとはミュートが積極的に関わることもなかった。
「メディア様も、一緒に参加したかったとおっしゃっていましたわ」
今日のホストは、王太子妃腹心と言われる伯爵夫人であった。手土産を渡し、他愛ない会話とともに入室したミュートの目に映ったのは、初めて見る女であった。
王太子妃の呼びかけによって集まった貴族女性たちである。伯爵家以上の出で、身なりも皆、それなりだ。何度も会った人もいるが、毎回違うドレスを着て、髪の毛は丁寧にセットされている。それがこの国の貴族の当たり前だ。
初めましての女性は、周囲と比べて、肌はくすんでいるし、黒く陰になった目元はどんよりとしていて、自信なさげにきょろきょろと辺りを見回している。
着ているものも、街の娘たちの方がよほど洗練されたデザインのドレスを纏っているくらい、野暮ったい。
ここにいるということは、メディア妃が認めたということなのだろうが、落ち着きがなさすぎるし、仕草が幼い。うーん、と悩んだ末に、ミュートはとりあえず、声をかけてみた。
「あの、初めまして」
驚いた女性は、悲鳴を上げた。何もしていないのに。困ってしまって伯爵夫人に目を向けるが、他の客の相手をするのに一生懸命であった。
手違いとかじゃないだろうな、あるいは勝手にやってきたか。おどおどした様子からはそんな図太さは感じられないが、演技かもしれない。
「マージュ侯爵のところで世話になっております、ミュートと申します。お名前を伺ってもよろしいですか?」
ナンパしているみたいだな、と内心冷や汗をかく。
いや、今の自分は、対外的にはレイノルドの嫁であり、ここは貴婦人会。自分は男扱いされていないし、されたいとも思わない。
おとなしく女性同士の噂話に耳を傾けて、レイノルドの役に立つのがミュートの使命である。今のところ、有用な話は一切出てきていなかったが。
女性は、ガルム男爵の妻だと名乗った。ガチガチの階級社会であるこの国で、高位貴族の女性たちに囲まれれば肝が冷える。日本の一般庶民代表であったミュートは彼女の困惑と緊張を理解した。
「彼女にお茶を用意してあげて」
ようやく使用人を使うことにも慣れてきた。自由に話ができるようにと、食事の置いてあるテーブルと、それを喫するテーブルとが分かれている。
他の女性たちは皆、ミュートがレガーロから取り寄せた焼き菓子を眺め、あれもいい、これもいいと選んではしゃいでいる最中であった。
「ありがとう、ございます……ミュート様」
震える指先でカップを落としそうになりつつも、なんとか彼女は温かい茶を腹に入れ、ようやく人心地ついた。顔色も、微かに赤みがさしてよくなった気がする。
ミュートも茶を飲みながら男爵夫人を観察していると、ホストである伯爵夫人が、彼女に声をかけた。
「ガルム男爵夫人は、ミュート様にお会いするのは初めて? でも先日、領地には侯爵と視察に行かれたのですよね、ミュート様?」
「え……あ」
はい、と単純に頷きかけて、ハッとする。視察に行った領地には、代官として男爵が派遣されていた。レイノルドに叱責され、辛そうな顔をしていた男である。レイノルドはクビにすると息巻いていたが、ミュートが宥めてその件は保留になっている。
彼が、ガルム男爵なのか?
予想は果たして大当たりで、「男爵夫人。何か言いたいことがあれば、この機会にミュート様にお話をされては? 大丈夫。この方は、優しいお方ですよ」と言いながら、伯爵夫人が目配せしてくる。
ああ、そういう意図であったか。すべてはメディアの采配である。
レイノルドのいとこである彼女は、マージュ侯爵家と下級貴族たちとの間に、軋轢が生じていることに、心を痛めていた。そこにミュートがやってきて、レイノルドの冷えた心を溶かしていると知り、相互理解のきっかけにしようと画策したのである。
ミュートにとっても、あの視察で見たレイノルドの姿は驚きで、改めてほしいところである。渡りに船であった。
早口になりすぎないように気をつけながら、ミュートも男爵夫人にアピールをする。
「私もずっと、気になっていたんです。レイノルド様は、もっと自分を支えてくれる皆さんの方を向いた方がいいと。けれど、マージュ家にやってきたばかりの自分では、限界があって……」
ミュートは頭を下げた。
「どうか、教えてください。あなたの旦那様やあなた自身が、侯爵について思うところを。あなたから聞いたとは言いません。私は、レイノルド様が変わるきっかけを作りたいのです」
貴人たちの注目を浴びて、ガルム夫人はおろおろしている。伯爵夫人が肩に手を置き、大きく頷いたことで、ようやく彼女は落ち着いて、言葉を選びつつ、話をしてくれた。
その内容といえば、聞けば聞くほど頭の痛いもので。
「領民たちは徴収される税金が少なくて、殿様に感謝をしております。ですが、私たち代官を務める家は、もう限界なのです」
少しでも高く税を取れば、領民たちに文句を言われ、レイノルドにも叱責を受ける。
とにかく男爵家には金がない。ガルム男爵は、領地を治めるための予算に手をつけるような男ではなかったが、生活は苦しくなるばかり。
「レイノルドは、代官の手当をケチっているのか……?」
ミュートの独り言に、彼女は首を横に振る。
「いいえ。お手当はいただいております。しかし、国が徴収する税率が上がっても、マージュ侯爵領での税率は同じ。侯爵は我々に、民を虐げてはならない、身銭を切るのも我ら貴族の務めである、とおっしゃって……」
「それは……」
ひどい。ひどすぎる。
ミュートは自分の着ているものと、彼女のドレスを見比べた。丁寧にケアをされたシャツと、数着を着回し、修繕も間に合わないドレスとでは、明らかに見栄えが違う。
下の人間に我慢を強いて庶民の人気取りをして、自分ひとりだけ贅沢をしている、というのが下級貴族たちのレイノルドへの印象のすべてである。
本当は、いつも新品のオーダーメイドを着ているわけではなく、アクセサリーや髪型を変えて印象操作をしているのだが、傍からはそうは見えない。
ミュートは立ち上がり、ガルム男爵夫人に深々と頭を下げた。
「申し訳ないことをしました、夫人。侯爵に代わり、お詫び申し上げます……あの、他の方にも話を聞いてみたいのですが、あなたからお声がけをいただけますでしょうか? 少なくとも奥様方は、王都にいらっしゃるのですよね?」
呪いの謎を解くよりも先に、現実の人間関係をきちんとしていく方が先決であると、痛む頭を押さえ、頼み込むのであった。
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