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「レイノルドはどうして、庶民びいきなんだ?」
先にベッドにもぐりこんだミュートは、入ってこようとするレイノルドに問いかけた。わざと軽い調子で、世間話をしようという雰囲気に持ち込むが、実のところミュートは、かなり怒っている。
ガルム男爵夫人やメディア王太子妃の伝手を辿り、ミュートはマージュ侯爵家に尽くしてくれている下級貴族・騎士爵家の女性たちと話をした。話し合いではなんて可愛いものじゃない。つるし上げ、糾弾の場であった。
嫁いできて間もない、政治の場にはほとんど関わりようのないミュートに、自分の夫が、父が、兄がどんな扱いを受けているのかを、涙ながらに訴える。
その中には、王宮の夜会でデビュタントを迎えた少女の姿もあった。
新しいドレスを買うことはできず、遠い親戚のお古を譲り受け、サイズを直して参加せざるをえなかった。親類というのも若い娘ではなく、数十年前に一度着たドレスの保存状態は悪かった。
泣きながら、「私がどんなに惨めだったかわかりますか」と訴えられたときには、謝罪の言葉が空虚に聞こえてしまいそうで、ミュートも泣きたい気持ちになった。
ああいうときに、言葉を尽くして「レイノルドにもいいところが」「それにはこういう意図があって」と説明をすることは、余計に悪印象を与える。ただひたすらに、頭を下げるしかなかった。
惨めだとは思わなかった。現在、彼女たちやその家族が置かれている状況に比べたら、全然。
マージュ侯爵家に入って間もない、しかも異世界から飛ばされてきた男が一生懸命に謝罪しているのを見て、年かさの、レイノルドのことを子どもの頃から知っている女性たちの態度が緩和していった。
まぁ、あの方もよく頑張ってはいらっしゃるの。わかっているわ。けれど、もう少し、私たちのことも理解していただきたいの――……。
もっともなことである。だが、ミュートがそのまま伝えても、効果は薄いだろう。どころか、「誰からの入れ知恵だ?」と、さらに自分の部下たちにきつく当たる可能性すら否めない。レイノルドのことは尊敬しているが、下級貴族の扱いに関しては、信用できなかった。
「領地の人たちもそうだけど、何もできない俺のことも受け入れてくれただろう? 貴族にしては、庶民に優しいよなぁって思って」
軽い調子で、しかし慎重に尋ねた。ミュートの問いに、彼は至極当然という顔で、「平民は貴族と違い、心がきれいだろう」と言う。
背筋がゾッとした。
マジで言ってんのか、コレ……ああ、マジだ。
レイノルドは、普段ミュートのお喋りの聞き役に回ることが多いが、自分から話すという行為自体を苦手に思っているわけではない。ミュートが興味を持って自分のことを尋ねてくれているのが嬉しいのか、勝手に自身の体験談について教えてくれる。
「私の両親は、絵に描いたような政略結婚で、そこに愛はなかった」
冷え切った仲の夫婦の間に生まれた子どもに、彼らは侯爵家の跡取り以上の感情を寄せなかった。必要なのは躾と教育で、愛情ではない。孤独な子ども時代を思うと、ミュートも同情してしまう。
親代わりに、レイノルドに愛情を注いでくれたのが、使用人夫妻であった。
下働きのメイドと、馬小屋掃除を生業とする中年の夫婦は、幼いレイノルドが寂しがって外に出たのを見つけると、必ず声をかけてくれた。なけなしの給料からおやつを買っていてくれて、屋敷のお抱えパティシエが作るケーキよりも、レイノルドにとってはごちそうだった。
「そんな風に私によくしてくれた人たちを、父は解雇したんだ……」
拳を震わせるレイノルドに、ミュートは「ちょっと待って」と制止する。
「不当解雇ってこと?」
「さあ。でも、彼らは私に優しかった。あのふたりが侯爵家に仇なすようなことをするはずがない」
いささか盲目的すぎやしないか。子どもや老人、判断力が足りない人を懐柔して味方につけておいて、実際は悪いこと(例えば泥棒だとか横領の類)をしていたなんて、古今東西、よく聞く話だ。
レイノルドの思想の根底にあるものは、今の話でじゅうぶんにわかった。
平民は金銭的に裕福ではないが、心根が清い。貴族はクソ。
偏った思考の癖の理由が見えてくる。
ミュートを見る目も、時折フィルターがかかっていると感じることがあったが、そういうことか。
「……俺は、そうは思わないよ」
ミュートは率直に告げた。レイノルドの赤い目が見開かれる。夢を壊してしまいそうで申し訳ない気持ちを抱きつつも、しっかりと言っておかなければならない。
「貴族にも嫌な奴はいっぱいいるだろうけど、庶民にはもっと多いよ。俺は日本でもずっと庶民で、上流階級の人たちのことなんか知らないし、こっちに来てからも教会で、一生懸命に働いてきた。だから断言できる」
まず、貴族に比べて平民は絶対的な数が違う。悪い奴が混じっている確率は同じでも、母数が大きくなればなるほど、人数が多くなるのは当たり前だ。
裕福な貴族は余裕があり、おっとりしているが、庶民は生活が苦しいことの方が多い。また、今はよくても将来どうなるか不安な人間が多く、周りを出し抜かなければ生きていけないという強迫観念に駆られている者もいる。金は多くても少なくても、人心を惑わすのである。
「レイノルドが、領民に負担がかからないように一生懸命にやってるのは知ってるよ。領税をほとんど取っていないのに、マージュ侯爵領が円滑に回っているのは、節約と投資で稼いだ分で回しているからだって。でも、それをみんなは知らない」
レイノルドに代わって領地のあちこちで領民との折衝を行う代官たちも、殿様殿様と慕ってくれる領民たちも、そこにどれほどの苦労があるのかを知らない。決算書を公開することがないため、誰もレイノルドのやっていることを知らないのだ。
屋敷の維持費も、使用人たちも最低限で回している。時には屋根の修繕に、レイノルド自身が駆り出されたりもするのだ。本人は気にしていないけれど、その姿を見た人が、どう思うかを考えてほしい。
「子どものレイノルドに、その使用人夫婦がよくしてくれたのも本当。でも、前侯爵が彼らを解雇したのも本当。たったそれだけの話なんだよ」
悪人は常に悪事を働くものではない。逆もまたしかり。
ミュートの話に、レイノルドはじっと耳を傾けている。思い当たるところがあるのか、それとも「自分の考えを否定するな」といらだっているのか、傍目には判別がつかない。
彼が黙っているのをいいことに、こうなったら最後まで言ってしまおうと、ミュートは言葉を重ねる。
「代官として働いてくれている下級貴族が、あなたの命令に従わなかったり、横領したりするのは、彼らが貧しい暮らしをしているからだよ、レイノルド。自分たちには節約を言い渡しておいて、あなただけ悠々自適に暮らしているように見えるから、反感を買うんだ」
「ミュート……私は」
実際の生活は地味だが、彼らは立派な装いのレイノルドしか知らない。新しい宝石などひとつも身に着けていなくとも、丁寧な保管によって服や貴金属が新品の状態をキープできているからそう見える。
「今ならまだ、間に合う。レイノルドの仕事ぶりについては、代官の奥さんたちも評価してくれているんだ。きちんと説明をすれば、領民だって多少の負担の増加は許してくれる」
足りないのは対話である。きちんと話し合えば、魔眼の領主と畏れられるレイノルドが普通の人間で、いかに神経をすり減らしているのが、すぐにわかるだろう。
ミュートは彼の頬を、両手で包み込んだ。
「なんでもひとりでやろうとしないで……俺がいる」
ずっと張りつめていたのだろう。両親が急に亡くなって、悲しみの癒えないうちに、侯爵としてあらねばならなかった。年若い当主は、舐められないようにするのが精いっぱいで、子どもの頃優しくしてくれた人たちのことを思い出しては、心を慰めていた。
難しいことは、この国の仕組みにまだまだ疎い自分にはわからない。けれど、貴族女性の心を掴むことに成功した自分には、彼女たちにレイノルドの人となりを伝えることができる。
「俺も、あなたのことが、好きだから。だから、ひとりで無理してほしくない。周りの人に嫌われてほしくないんだ」
ミュート、と名前を呼ばれた。伸びてきた指が、唇に触れる。伊達にオタクをしてきたわけではない。経験はなくとも、今がどういうシーンなのかわかる。漫画だったら、見開きぶち抜き一コマだ。
なんて、茶化していないと頭が沸きそうだった。レイノルドに顎を取られ、彼の美しい顔が近づいてくる。そうだ、目を閉じなきゃ。口は、どうしたらいい?
むぎゅう、と力いっぱい目を瞑った。口は彼を迎え入れようという意識が働きすぎて、ついつい突き出してしまう。緊張しつつキスを待ったが、全然触れてこないので、「おや?」とうっすら目を開けた。
レイノルドは、腹を抱えて笑いをこらえていた。
「ちょ……失礼すぎ! 人のキス待ち顔で大爆笑するなんて……!」
頬を膨らませ、キスなんか絶対するもんか! と肩を怒らせたミュートに、目元を拭った(泣くほど笑ったのか!)レイノルドが、「すまない」と、軽い調子で謝ってくる。
「もっと自然でいい。私にすべて、任せてくれ」
ミュートはじっと彼を見つめ、それから目を閉じた。首に彼の手がかかり、そのまま引き寄せられて、熱が触れる。
「……これだけ?」
拍子抜けするくらい、一瞬のことだった。子どもでも、もう少し長く口づけると思う。不満です、というのをわかりやすく伝える目をして、ミュートは彼の袖を引いた。レイノルドは困ったように笑って、
「これ以上触れていると……歯止めが利かなくなりそうだから」
と、言った。彼の言葉の意味するところを悟ったミュートは、ぼん、と頬を真っ赤にして、
「フーン。ソッカ。ソウダヨネ」
と、不自然な硬い動きで、ベッドに横たわった。
歯止めが利かないとはつまり、そういうことである。
もしも花嫁怪死事件が解決したときには……自分はどうなってしまうんだろう。
レイノルドと背中合わせで横たわるベッドの上、ミュートは過去にオタク友達の腐女子から見せられた、BL同人誌のエッチシーンを脳裏に浮かべていた。
もちろん、眠れるはずがなかった。
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