魔眼の領主と千夜一夜(2)

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 美勇兎みゆとというキラキラネームは、オタクである母がつけた。

 一番好きなキャラクターの名前に「兎」がついていたので、自分の子どももあやかったのである。その暴挙を許可した父はオタクではなく、ただ妻にベタ惚れの男であった。

 オタクのもとで英才教育を受けた美勇兎も、もれなくオタクであった。

 中高と男子校で目立たないように過ごし、大学デビューしたはいいものの、結局いかにもなオタクルック(前髪長め、絶対染めない、服は着られればそれでいい、エトセトラ)に落ち着いた。

 好きな漫画やゲーム、アニメについては饒舌だが、自己アピールとなると途端に口が重くなる。典型的オタクコミュニケーションしかできず、就職活動は上手くいかなかった。

 運よく拾ってもらえたのは中堅商社。ただし、契約社員。

 そんな不安定な立場での癒しは、やっぱりアニメだった。学生時代の友人たちとは、社会人になってから疎遠になったが、SNS上には同じ嗜好の人間がうじゃうじゃいる。会社では根暗、「はぁ」とか「そうですね」くらいしか喋らない美勇兎は、夜な夜なネットで長文解釈を垂れ流したり、時にはレスバで友情を深めたり切ったりしていたのである。

 その日は、金曜日だった。話題のオリジナルアニメの放送日で、ストーリーの謎があと三話ぽっちで解けるのか? と、注目を集めていた。

 コンビニで買ったのは、アルコール度数が低めのサワーと、値引きシールが貼られた弁当。それからオマケのシール目当てでウエハースと、つまみがいくつか。アニメヒロインのイラスト付きエコバッグを自慢げに取り出すも、バイトの目は死んだままだった。こんなに可愛いのに。

 ワイヤレスイヤフォンからは、懐かしのアニソンが流れている。店から出て、誰もいないのをいいことに鼻歌交じりに小さくダンスをした美勇兎は、気づいていなかった。

 ――自分の後ろに迫っていた、光の渦に。

 気づいたときには、夜の街から昼の森に景色が変わっていた。

「何? なんで、どういうこと?」

 スマートフォンから音楽はもはや聞こえず、どころか電源も入らなくなっている。こうなってしまうと、こいつはただのかまぼこ板以下だ。くそっ、と悪態をついてポケットにしまうと、美勇兎は周囲を見回した。

 見渡す限り、森である。自宅アパートまでの道のりに、こんな場所はなかった。日本であるかどうかすら怪しい。

 人の手が入っていない、奥に行くにつれて光が差しこまなくなる森林に、ぶるりと震えた。純粋な恐怖を抱いた。都会っ子かつインドア派の美勇兎は、森や山歩きをして遊んだ記憶が皆無であった。

「落ち着け、落ち着け……こういうときの鉄則は」

 そう、動かないこと。動けば動くだけ、深みにはまっていく。幸い、ここは森の外である。樹海の中に突き落とされなくてよかった。不幸中の幸いとはこのことだ。後ろを振り向けば、道もある。今はたまたま誰も歩いていないだけだ。

 第一村人(?)を発見したら、勇気を出して声をかけよう。「あ……う……」しか言えないんじゃ、ダメだ。自分は迷子で、ここがどこだかわからない、せめて人のいる場所に連れていってもらえませんか? と、何度も口の中で練習をした。

 ――まあ全部、無駄になったわけだが。

 しばらくぼんやりしていると、けたたましい音が聞こえた。自動車ではない。これは、馬?

 競走馬を擬人化したゲーム・アニメにも親しんでいた美勇兎は、競馬中継も見ていた。なお、出不精ため実際に競馬場に足を運んだことはない。

 とにかく、近づいてくる音は、馬の走行音に似ていた。表現するのなら、パカラッパカラッ、だ。しかも一頭二頭の騒ぎではない。

 美勇兎が何事かと見守っていると、フィクションでしか見たことのない、西洋甲冑を身に着けた屈強な男たちが、馬を全速力で駆ってやってくる。これは話しかけられたもんじゃない。慌てて端にどけようとする美勇兎の前で、騎士たちは立ち止った。

 先頭にいた白馬の主は、腰に佩いた剣を抜く。金属音は紛れもなく本物だ。人間を殺すための道具に、あわわと腰を抜かす。

「光の渦から落ちてきたのは、貴様だな?」

 一緒に来てもらおうか。

 何人もの人間に囲まれ、美勇兎は逃げ道をふさがれた。森の中に入っていく勇気はなく、彼らに従うほかなかったのである。

 連行された先で、美勇兎は取り調べを受け(職務質問だって一度も受けたことがないのが、ひそかな自慢だったのに!)、この国について、それから自分の身に起きた事象についての説明を受けた。

 ニュベール王国、などという国名はもちろん聞いたこともなかったし、人々の纏っている衣装も、建物の雰囲気もすべて、RPGゲームに出てくる街……いや、規模的には村、というのがふさわしい。

 ああ、これってアレだ。異世界転移っていうやつ。

 どこか冷静に、答えを弾き出していた。いくつもの類似作品を脳裏に浮かべた。

 勇者として召喚されたにも関わらず追放され、力を活かして辺境で生きよう、という作品群。男性向けでも女性向けでも、生産系などと言われるスローライフものが好きだった。

 この世界には、魔物という物騒な存在はない。勇者の出番もない。魔法もない。健康チェックをしてくれた医師は、「ごくまれにね、落っこちてくる人間がいるんだ。君はそれ」と、初めてまともに、自分の身に起きている事態について教えてくれた。

「それって戻れるんですか?」

 医師は、痛ましげな目で美勇兎を見て、首を横に振った。

 言葉が通じるという最低限のチートしか持たない美勇兎は、この世界で生きていかなければならないという覚悟を決めた。決めるしかなかった。泣いて喚いたって、戻れやしないのだ。

 ならば平穏無事に生き抜き、万が一、自分と同じ境遇の迷子が現れたときに、手を差し伸べてやれる存在にならなければ……。

 と、考えられるようになったのは、保護されて三か月が経ってからだった。それまでは自暴自棄、引きこもって過ごしていた。

 両親は自分を探しているだろうか。会社の人たちは、俺を心配してくれているだろうか。泣いてやつあたりして、ようやくだった。

 難民として登録され、ニュベール王国の市民になることが認められた。美勇兎という響きは、この国の人々には発音が難しく、ミュートという新たな名前が刻まれた身分証明書を見て、この世界で生き抜く覚悟を決め、自堕落な生活を改めるに至ったのである。

 以来、ミュートは拾われた村の教会で、雑用係として過ごしていた。

 願ったとおり、平穏無事、大きな事件の起こらない日々であった。司祭は好きではないが、シスターは優しかった。子どもも可愛いから、笑って過ごせていた。

 男の身ながら領主に娶られることになるなど、想像もしていなかった。

 ――領主の館は、マージュ領の都・レガーロにある。

 ミュートが暮らしていた村からは、数時間も馬車に揺られれば到着する。里帰り(?)はしやすそうだなあ、などと、車窓に映る風景をぼんやりと眺めていたら、いつの間にか眠ってしまっていた。

「ん~……ふあ?」

 揺り起こしてきたのは、見知らぬ男だった。茶色の髪を長く伸ばし、左目だけの特殊な眼鏡、いわゆるモノクルというやつを身に着けた男は、「ああ、ようやくお目覚めですね」と、慇懃な口調で呟いた。

「ここからは私がご案内します、ミュート様」

 彼の手を借りて馬車を下り、ミュートはあんぐりと口を開けた。屋敷というよりは、城、である。いち地方の領主の屋敷がこの規模感ならば、ニュベール王の暮らす宮殿は、どれほど豪奢なのだろうか。

 マージュ領主の館には、塔が三本。まさしく、ゲームやファンタジーアニメ・漫画でよく見る城と似通っていて、少しだけテンションが上がるミュートである。

 ここにカメラがあったなら、と強く思う。手元には電源が入らなくなったスマホしかなく、この国の科学技術は発展していない。

 理系だったら、その知識で無双するルートもあったのかもしれないが、あいにくとミュートは、ドのつく文系であった。漫画やアニメで得た中途半端な知識と、ハマって取得することになった資格くらいしかなく、それらをどうやってこの世界で活かしていけばいいのかわからない。

 そもそも活かせるものだろうか。

 男――雰囲気から執事かと思ったが、そういう役割を果たす人物は他にいるらしい。彼の名は、ジェイク・フロウス。マージュ家の庇護下にある男爵の息子、だそうだ――に連れられ、館の中をきょろきょろと落ち着きなく見回しながら、応接室に着いた。

「レイノルド様。お連れしました」

 入室の許可を得て、扉を開ける。ジェイクは主人とミュートに向かって一礼をし、そのまま退出する。

 一歩足を踏み入れたミュートは、少しの違和感を覚えていた。それは、ここに来るまでの廊下でも感じたことであったが、入室した部屋では一際強く感じられる。

 応接室とは、客を接待するための部屋である。村の教会にも存在した。新参でよそ者のミュートは、おいそれと入れる部屋ではなく、清掃は他の人間が行っていたが、中を覗いたことくらいはある。

 そこは見栄がぎゅっと凝縮された空間であった。なけなしの財産を使い、自分たちを実際よりも偉大に見せようとする。

 大きな花瓶であったり、仰々しい額装を施された絵画であったり、毛足の長い赤い絨毯だったり。花瓶に花が飾られているのはついぞ見たことがなかったし、額にはうっすらと埃が積もっているのが常であったので、本当に、外向けのためだけに購入されていたのがわかった。

 対してこの部屋は、大貴族の館であるにもかかわらず、飾り気がなかった。清潔さは保たれており、テーブルも板張りの床もピカピカに磨かれているが、調度品の類がほとんどない。

 家具もシンプルなもので、ミュートは思わず、装飾性を排除して機能に全振りした、コスパがいいことで有名な家具屋のキャッチコピーを脳裏に浮かべていた。

 マージュ邸の応接室で一番ゴージャスなのは、ずばり、レイノルド・マージュ侯爵その人自身である。

 椅子から立ち上がり、ミュートを迎え入れた彼はまず、身長が高かった。こちらが一七〇センチに満たないチビであることを考慮に入れても、十五センチ、いやニ十センチは差があるだろう。

「疲れただろう。座って、楽にしてくれ」

 低くて落ち着いた大人の男の声に、ミュートは無言で頷き、ソファに腰かけた。

 同じ男相手に、どうしてこんなに緊張しているのかと、我がことながら混乱する。ジェイクと入れ違いにやってきたハウスメイドが淹れてくれたお茶を飲んで心を落ち着かせ、改めてレイノルドのことを観察した。

 薄く透けるような茶色の髪の毛は、緩くウェーブを描いて肩に落ちている。ファンタジーアニメの王子様を実写化したら、こんな感じかな、というのを体現したかのようだ。三十を過ぎているはずだが、とてもそうは思えない。

 首の太さや体つきは、丸さはないがごつごつとした岩っぽい、男くさいところがなく、とにかく優雅、婉然とした造形の持ち主である。

 特に印象的なのは目で、髪の色よりもずっと薄い茶色と緑が混じったような不思議な色彩で、ミュートの関心を惹きつけた。宝石にたとえることが多いから、自分でも「〇〇のようだ」と形容したいのだが、浮かばない。一時期、宝石を題材にした漫画にハマっていたこともあって図鑑を何冊も、舐めるように眺めていたというのに。

 レイノルドの宝石は、ひとつしか明らかにされていなかった。彼の左目は、黒い眼帯で隠されている。歴史オタクでなくとも知っている、超有名武将であったり、映画の海賊ヒーローを髣髴とさせる。

 つまり彼は、眼帯が似合っていて、身に着けている事情なんて後回しになるほどの、美形であった。

 まじまじと見つめるミュートの視線に、彼は苦笑した。

「私の顔に、何かついているかな?」

 言われて、ハッとする。ぶしつけな真似をしてしまったことを恥じ、「申し訳ありません」と、頭を下げる。元・日本のサラリーマン、謝るのはお手の物である。最敬礼の角度も、身に沁みついている。

 レイノルドは気にするな、と鷹揚に振る舞った。

「見られるのは慣れているさ。君もコレが気になったんだろう?」

 自身の左目を指した彼に、「ちょっと違うんだけどなあ」と思いつつも、ミュートは頷いた。たぶん、彼が言いたいのは眼帯の下がどうなっているのか気になるんだろう、という指摘だったが、ミュートは単純に、「格好いいなあ。眼帯めっちゃ似合う。厨二心がくすぐられるぜ!」というミーハーな気持ちから彼を見つめていた。

「あまり気持ちのいいものではないから、基本的にはいつも身に着けているんだ」

「いつもって……寝るときもですか?」

 考えなしに尋ねた。レイノルドは右目を大きく見開いている。「寝るとき」なんて、自分から初夜を連想するような単語を発してどうする。

 舌打ちしかけたミュートに、レイノルドは目を伏せ、唇だけで微笑む。物憂げな雰囲気も、よく似合った。

「……君も聞いているんだろう。私の元にやってきた、花嫁たちの末路を」

 手指を組み、その上に額を乗せる。苦悩する美形は、非常に絵になる。目の前にあるのがディスプレイで、彼が画面の中のキャラクターであれば、ミュートはただ見惚れるばかりであっただろう。

 けれど、レイノルドは生身の人間だ。生きているからこそ、苦しんでいる。

 この世界、貴族の婚姻は政略結婚だ。顔もほとんど知らない女がやってきて、子どもを産ませればそれでいいと振る舞う男も、かなりの数いると聞く。

 けれど、レイノルドはそうではない。彼は、娶ったばかりの妻を、自分なりに愛そうとしていたのが、沈んだ様子からわかる。

 翌日からどんなふうに過ごそうか。そんなことを考えながら眠りにつき、目覚めたときに彼が見たのは、変わり果てた妻の姿だった……。

 想像を絶する光景に違いない。そんなことが、何度も続いているのである。

「七番目の妻にも忠告した。その前も、四番目の妻以降、ずっと確認している。私はもうずっと、独り身のままでもよいと言っているのだ。周囲が、領主にパートナーがいないのは体裁が悪いと結婚を勧めてくるだけで」

 もはや、貴族の家からは相手にされず、それでうちのがめつい司祭が声を上げたわけか。

 当初は年端もいかない少女を嫁にやろうとしていたのを、ミュートが事前に気づいて慌てて止めた。そんな恐ろしい場所に、子どもをやるわけにはいかない。

 それならお前が行くか、と言われて「えー……」と困りはしたものの、「じゃあやっぱり」と、少女を嫁にやると言われてしまえば、腹を括る以外になかった。

 独り身でいいと思っていたのなら、周りがなんと言おうとも反対してくれればよかったのに! と、ミュートは憤慨しかけた。

 マージュ侯爵家の直系は、もはやレイノルドひとりきりである。彼の両親も、彼の兄もすでに亡くなっている。

 屋敷は城と言っていいくらい大きいが、見合った人数はいないようで、想像よりもひっそりとしていた。

 ああ、そうか。

 彼が妻帯しなくてもいいと考えているにも関わらず、周囲にお膳立てされた結婚相手を突っぱねたりしないのは、寂しいからなのだ。本当は家族が欲しい。けれど自分と結婚すると死んでしまう。

 葛藤から強く拒絶できずに花嫁を迎え入れ、そしてむざむざと死なせている。

 ミュートも、この世界にひとりきりだ。もう二度と、両親や友人に会えない。きっと、彼の気持ちに一番寄り添うことができるのは、自分だ。

 ――男が嫁になるのはおかしいかもしれないけれど、彼の寂しさを埋める家族みたいなものには、なれるかもしれない。

 鼻の奥がツンとしてきたのをごまかすように、ミュートは首を横に振った。

「私は男ですから、ご領主様とベッドをともにすることは現実的ではありませんが……家族には、なれたらと思います」

 名称なんて、なんでもいい。兄でもなんでも。孤独を知るこの人相手なら、教会での暮らしではなかなかさらけ出すことも難しかったミュートの心も、打ち明けられるのではないかと思った。

 レイノルドは、ミュートの言葉に目を瞬かせた。

「ご領主様? レイノルド様?」

 名を呼べば、「ああ」と、溜息に近い返事が返ってくる。

「いや……そうか。そうだな。男同士で、初夜はない、妻とは呼べない、か」

 初めてそこに思い当たった彼は、喉の奥で笑った。嬉しそうに、心底安堵したように。

 ――ミュートのことを、死なせなくて済むから。

「次に来るのが男だと聞いて、どうしたものかと思っていたが。そうだな。よき友となろう」

 顔を上げ、まっすぐにミュートを見つめるレイノルドは、改めて手を差し出してきた。大きくて、頼りがいのある男の手である。傷ひとつ、目立ったささくれもない。

 苦労知らずの手。そう言う人もいるかもしれない。

 けれどレイノルドのこの手は、これから愛すべきであった女性の死に直接触れた、悲しみを知る手だ。

「よろしく頼む、ミュート。私のことはただ、レイノルド、と」 

 雑用でこさえた小さな傷が目立つ自分の手を差し出すことを、ミュートはほんのわずかに恥じた。けれど、レイノルドは自分の美醜云々で仲良くなろうとしているわけではないことに思い当たり、彼の手を握った。

「こちらこそよろしくお願いします。レイノルド」

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