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ミュートはこれまで以上に、事細かに情報を集めていった。
花嫁の殺人事件では、第一発見者は常にレイノルドであったが、次に目撃するのは、彼の慟哭に反応してやってくる、ジェイクである。
これまでは、彼も職務とはいえそんなものを思い出したくないよな、と気を利かせて話を聞くことは避けていた。ただ単純に、ジェイクのことが苦手という理由だけではない。
「ジェイクって、初夜が無事に遂行されたと確認できたら、どうするんだ?」
これまでに尋ねたことのなかった、閨の番という仕事について聞くと、彼は無表情のまま、ずれてもいないモノクルの位置を直した。彼の神経質なところはすでに十分理解していたが、最近は特に、ピリピリしているようだった。
屋敷の中でミュートに危害が加えられそうになっていることで、レイノルドが神経を尖らせている。トップがそうなものだから、当然下についている人間にも空気は伝播していき、マージュ侯爵家の雰囲気は、あまりよくない。
和を重んじる日本人らしく、和ませようとしてみるのだが、「君はもっと危機感を抱いてくれ」と懇願されておしまいだった。
ジェイクはレイノルドが一番信頼している部下だ。そうじゃなきゃ、閨の番をさせない。
「一通りの記録が終わりまして、ご夫婦がお休みになられたら、私も部屋に戻ります。問題がないと判断できましたら、閨の番も終わりです」
「ずっといるわけじゃないんだ?」
これは一晩中見張っているのではない、という意味と、毎日寝所の隅にいるわけではない、の両方の意味がかかっている発言だったが、ジェイクには伝わっているかどうか怪しい。
「ええ。この屋敷からも出て、通いに戻りますよ」
「へえ」
初耳の情報がいろいろと得られて、興味深い。ミュートは彼に礼を言うと、次は別の人間に話を聞きに行く。
「あ、いたいた」
ミュートが邸内を探し回って見つけたのは、メイドであった。身分は確かだが、貴族ではない家から奉公に来ている若い女性たちである。
このくらいの年の女性は、日本ならばカフェで甘い飲み物を口にしながら友人と喋ったりしてストレス解消できるが、貴族の邸宅勤めともなると、口の堅さを求められる。どれほど仲のいい友人であっても、ときには同じ屋敷に務めている同僚にすら、自分が見聞きしたことを話すことができない。それはかなりフラストレーションが溜まる。
ミュートはそういうメイドの中から、ちょっと突けばペラペラとお喋りに興じてくれそうなメイドをひとり、見繕っていた。
「ミュート様」
作業の手を止めて挨拶をする彼女に、楽にしていいと示し、首尾を尋ねた。
メイドに頼んだのは、以前この屋敷に務めていたメイドから、花嫁が亡くなった後の寝室の様子であったり、結婚当日に何か変わったことがなかったかを聞いてほしい、ということであった。
血に塗れた部屋を清めるため、メイドは死人が出た後の部屋に出入りをしなければならない局面があった。これは恐ろしい体験である。何のために現代日本では、特殊清掃業という職業があると思っているのか。
死後すぐに発見されているから臭いはマシだろうが、その分血の色は生々しくリネンを濡らしている。
その光景を目の当たりにしたら、悪夢に苛まれ、精神を病み、お暇したくなる気持ちはわかる。本人は虚勢を張って「やめない」と主張しても、まともな親ならば、辞めさせるだろう。
そんなわけで、現在もここに務めているメイドたちはよほど肝が据わっているか、何か訳アリかのどちらかなわけで、ミュートの頼み事も、「謝礼をはずんでくださるのなら、構いませんよ」と、二つ返事で引き受けてくれた。金で解決できるのなら、助かる。レイノルドからもらう小遣いの使い道も、あまりないのだ。
メイドは、もらった分はきっちりと仕事をしてくれる性分であった。手紙を出したり、休みの日を利用して直接会いに行ったりして、情報を搔き集めてくれた。
「特におかしな点はなし、か」
婚姻の夜の晩餐も、豪勢な食事が出て、花嫁もレイノルドも舌鼓を打っていた。途中で眠くなることもなかった。
特に初婚のときは、初々しい様子で食後にワインを傾け、お互いのことを理解しようと努力し合っていたという。
「……」
「ミュート様?」
黙ってしまったミュートを訝しむメイドの声に、ハッとする。
――馬鹿だな、俺。亡くなった人に嫉妬しても仕方ないのに。
話をまた聞きしただけでも、レイノルドがどの女性に対しても、誠実に振る舞い、家族として生きていこうとしたことがわかる。その情を、今は自分に向けてくれているのだと言い聞かせても、どうしても胸の中がもやもやする。
「何でもないよ」
と笑ってみせたミュートのことをどう考えたのかわからないが、メイドは気落ちした。
「お金ももらったのに、たいした情報を集められなくて、申し訳ありません……」
「えっ、いや、そんなことはないよ? 『不審なところは何もなかった』っていうのも、大事な情報だから」
少なくとも、食事に細工をした人間はいなかった。これは料理人の意見とも一致している。
また、死体を見た医者ともミュートは話す機会を設けた。
呪いではなく、人間の仕業だと考えて、犯人を突き止めたいと思っている。真剣に話をすれば、国に救命措置の基礎を叩き込む立役者となったミュートのことを信じてくれて、いろいろと話をしてくれた。
『あれは、自殺ではないと私も思っています。いくら死にたいと思っている人間であっても、実際に自分の身体を刺すとなれば、躊躇するものです。花嫁様方の死体には、その痕跡がなかった』
躊躇い傷、というやつである。ミュートは頷いた。それに、一度刺したら自分の死を悟り、ナイフを抜いてまた別の場所を刺す、ということはしないだろうという話をした。
『隣で人殺しの真っ最中だというのにレイノルド様はまったく気がつかずに眠っていたようですが、そんなことはありうると思いますか?』
『……睡眠薬を使えば』
医師はミュートの推理におおむね同意を示し、補強してくれた。その後、この世界で扱われている睡眠薬についてもあれこれと尋ねたが、日本ほど多くの薬があるわけでもない。
薬を使って眠らせなければ、犯行は行えない。
しかし、今メイドから仕入れた情報によると、食事や飲み物に混入された形跡もない。
それではどうやって、ふたりに薬を飲ませたのか。それから、すでに犯人の恨みを買っている自分には、どうして仕掛けてこないのか、不思議だった。
考え込んでいると、執務室からレイノルドが出てきて、「おや?」と首を傾げる。
「ミュート。君、今日は来客があるのでは?」
「……あ!」
思いっきり忘れていた!
メディア王太子妃の開いた貴婦人会で、ミュートはアロマについて説明をした。精油そのものについては自分が精製できるものでもないので諦めていた。暇を持て余した女性たちは、それぞれの家に持ち帰って研究者を召し、ミュートの言う精油を作ることに没頭していたのだが、ついにそれを完成させたという人間が現れたのである。
出来栄えを確認して、商品化するときの監修を依頼され、ミュートは受けた。
打診してきた女性は名の通った貴族の奥方で、王太子妃とは懇意にしている。レイノルドも、夫と夫人の両方の人柄を知っていて、OKを出した。
ただし、命を狙われているミュートを外に出すことを嫌った彼によって、彼女にこちらに来てもらうことになっていたのだ。
まずい。何も用意できていない。
ミュートは早足に、与えられた自室へと戻る。もてなしの準備もできていない。
今回は精油を湯に垂らしたり、ハンカチに含ませて試すくらいしかできない。本当は、ハンドクリームや化粧水が作りたかった。
あと、ディフューザーのようなものを作れたらよかったのだけれど。
寝室に放置してある香炉は、乾燥した植物そのものに火をつけるタイプだから、ちょっと違うしなぁ……。
と、思い出したところで、カチッとピースが嵌まった。
なんだ、そんな簡単なことだったのか……。
ミュートは訪れた夫人に詫びを入れて、検死を行った医者の元へと突撃した。アポなしの訪問にも、彼は嫌な顔ひとつせずに面会してくれた。
ミュートの早口での推測を、言葉を挟まずに検討した彼は、「なるほど」と唸った。
「そういう手も、あるかもしれません。もしも実物があれば、実験してみましょう」
頼もしい医師に、ミュートは忘れず持参したものを手渡し、彼の検証結果を待った。
レイノルドたちを眠らせた方法も、犯人もわかった。
だが、ミュートが問い詰めたところで、彼は涼しい顔をして自らの犯行を否定するに違いない。確かな証拠は存在しないのだ。向こうが尻尾を出してくれるのをいつまでも待っていられるほど、ミュートの気は長くない。
何よりも、一刻も早く事件を解決し、レイノルドの心労を取り除いてやりたかった。
ミュートは思案した。
昼からずっと、まだかまだかと待ち続けて、ようやく帰宅したのを出迎えて、ミュートは「ちょっと話があるんだけど」と、彼が自室に向かうのについていった。
人に聞かれて困る話だ。後ろ手に扉を閉めて、しっかりと鍵までかける。
「それで、話とは?」
レイノルドは息つく間もなく、ミュートの話を聞いてくれる。
そんなに改まってするような話題じゃないんだけど、と前置きをしたうえで、真顔で提案した。
「レイノルド。俺と、セックスしよう」
なんだか、往年のテレビドラマのセリフみたいだな、と、どこか冷静な自分が考えている。もっとも、ミュートはそのドラマを一度も見たことがない。クイズ番組や雑誌のコラム、芸人のラジオなどで聞いたことがあるだけだったし、この世界に骨を埋めるわけだから、今後一生見ることもない。
何でもないことのように、身も心も愛しあおうと誘うとなると、似たような言葉が自然と出てくるものだ。他にも言いようはあったかもしれないが、ぐだぐだと婉曲表現を重ねるよりも、ずばり一言で「セックス」と言い切る方が、羞恥は少ない。
それでも、自分の顔は真っ赤になっているだろう。こちとら童貞かつ処女である。そんな雰囲気になった恋人もいたことがない。
レイノルドは絶句して、動けないでいる。聞こえなかったのか? 深呼吸して、「だから、セッ」まで言ったところで、「聞こえている!」と、遮られ、口を噤んだ。
彼はミュートに近づいてきて、頬や額をペタペタと触った。
「いや、熱なんてないから」
「しかし、急にそんなことを言い出すなんて……」
おろおろするレイノルドに、立ちっぱなしでいる必要もなかろうと、お互い着席することを提案する。向かい合わせに座ったミュートは、なぜ自分がそんな発想になったかを、イチから説明し始めた。
「まず、この間も言ったけれど、俺は花嫁殺しの犯人は、身内だと思っている」
「ミュート」
途端に怖い顔になるレイノルドは、心の底から使用人たちを信じている。犯人はずいぶんとやりやすかっただろうな、と怒りがふつふつと沸いた。一番疑われる位置にいるにも関わらず、主人は己の言い分を、たやすく信じてくれる。そうやって、同じ手口で花嫁たちを惨殺して、レイノルドに深いトラウマを与えた人間を、決して許すわけにはいかない。
ふぅ、と息を吐き出した。こんなことは言いたくないけれど、自分以外に彼に対等に意見できる人間がいない。
彼のことが好きだから。真実を知れば悲しむだろうけれど、それでも何も知らないよりはマシだと思うから、厳しいことを言う。
「レイノルドは本当に、奥さんたちを殺した人間を捕まえる気、ある?」
たった一日、一夜限りの妻であった。ひとり、ふたりと後朝に死ねば、三人目、四人目は「自分も……」と、恐れを抱く。その恐怖と戦って、レイノルドの家族になろうとしてくれた人たちの無念は、いかほどであっただろう。
「信じてた人に裏切られていたのかもしれないと思ったら、誰だって怖いよ。傷つきたくないって気持ちもわかる。でも、一番、身体も心も傷ついたのは、レイノルドじゃない。あなたの妻たちだ」
もしも幽霊という存在が本当にいるのならば、彼女たちの魂は、あの寝室に留まっているだろう。レイノルドのことを恨んでいる人も、いるかもしれない。
被害者が浮かばれるためには、そして遺族が死を受け入れるためには、真実を明らかにすることが必要なのだ。
一刻も早く解決をするためには、仮にもマージュ侯爵夫人であるところのミュートがおとりになるのが、一番手っ取り早いのである。
「けれど……っ! 君を抱いたら、今度は君が……」
そうだね。死ぬかもしれない。
ミュートは言わなかった。逆に、胸を張って言ってやった。
「大丈夫。俺は死なないよ」
「しかし……」
そう言って嫁いできた気丈な女性もいた。
レイノルドは何番目の妻を思い出しているのだろう。
自分以外の人間のことを考えているのは、少し癪だったが、彼女もまた、レイノルドを愛し、愛されるべき人であったことを思うと、ミュートは文句を言う気にはならなかった。
「死なない。あなたを残して、死ぬはずがない」
万全の準備をして臨むつもりだ。卑怯な犯人の策略など、跳ねのけてみせる。
何度も問答し、説得し、最後にはお互い、疲れ切っていた。
ミュートは肩で息をしながら、指を三本突き出した。
「三日。三日で、レイノルドが外部犯だって言い切れる根拠を挙げられたら、セックスはしない。でも、見つけられなかったら、俺とセックスをしてもらう」
これ以上の譲歩はできない。誰よりも、レイノルドのために。
真剣なミュートの表情に、彼は折れた。
――そして結局、レイノルドは三日かかっても、外部犯と断定できる証拠・証言を見つけられなかった。当然である。彼より暇なミュートがあれこれと調べても、内部犯の可能性を示す証言しか、得られなかったのだから。
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