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お茶を飲み、夕食をともにして、だいぶ打ち解けることができたと思う。
「今日は君が来てくれたお祝いだから」
と出てきた食事は、恋人との記念日にだいぶ奮発をした、ホテル最上階のレストランのディナーコースに匹敵する豪華さであった。
もちろん、恋人なんていたことがないからドラマや映画の受け売りである。
目を輝かせ、あれは、これは、と質問するミュートに、ひとつひとつ丁寧に答えながら、レイノルドは眉を下げた。
「そんな風に喜んでもらえて嬉しいが、うちは質素倹約を旨としていてね。明日からはここまでのものは出せなくて、がっかりさせてしまうかもしれないな」
「絶対そんなことないですって。教会の食事に比べたら、どんなでも百倍マシですし、出されたものに文句を言うなと教育されてきたので」
他愛のない話をしながら、「明日が来るだろうか」という漠然とした不安を互いに抱えていた。決して言葉には出さなかった。
時間をかけた夕食が終わり、ミュートはひとり、風呂に放り込まれる。
雑用をしていた教会は、孤児院も併設している分、予算も多めだったし、事あるごとに富裕層からの寄付を募っていたが、責任者があの業突く張りでケチな司祭である。
子どもたちにもミュートたちにも還元されず、風呂は夏なら二日、冬なら三~四日に一回入ることができればいい方だった。いつでもボタンひとつでお湯が沸き、少し足を延ばせば温泉施設がある日本育ちのミュートには、厳しい環境であった。
領主の館では、毎日風呂に入っていいというのが嬉しい。
「そういや、今日嫁ぐってわかってるのに、昨日風呂にいれてもらえなかったんだよなあ……」
あのオッサンに、いつか天罰が下りますように。
髪や身体を、石鹸で洗う。この世界にはシャンプーやトリートメントなるものはない。女性向けの異世界転生小説ならば鉄板の売れ筋商品になるが、シャンプーの作り方など、どうやって知ったのだろう。
「そういう企業に勤めてた、とか?」
日本のものとは違い、泡立ちがよくない。何度も水に石鹸をくぐらせて、手のひらに泡立てる。ネットを使うと確か、簡単にふわっとした泡ができるのだったか。あれくらいなら、自分にも作れるかもしれないな、とミュートは現実逃避した。
独り言が多いのは、緊張のせいだ。
男同士で初夜なんかありえない。
言い放ち、レイノルドを安心させたのは自分だ。
なのにどうして、見られるかもしれない、触られるかもしれない前提で丁寧に身を清めようとしているのだろう。
ふるふると首を横に振り、泡を洗い流す。そして一般家庭にあるものよりも広い浴槽にダイブする。湯加減はやや温めで、ある程度の時間浸かっていてもいいように調整されている。入浴剤が欲しいな、と思った。
「あ~……」
教会での風呂は、孤児院の子どもたちを入れるための戦争だった。やんちゃな風呂嫌いのボウズたちを無理矢理洗う。そのためにミュートが呼ばれている節すらあった。
こうしてのんびりと入浴できるのは、日本から飛ばされてきて初めてだということに気づき、唸り声を上げる。
気持ちいい。風呂はいいものだ。心身ともに疲弊していたことを、癒されて思い知る。
鼻歌まで飛び出しそうになった。大好きだったアニソンだが、もう聞く術がなく、自分で歌って忘れないように記憶しておくしかない。ただ、ミュートはあまり、歌は得意ではなかった。
調子っぱずれな第一音が飛び出した瞬間、「ミュート様」と、外から声をかけられた。
「! はい!」
ノックもなしにやってきたのは、ジェイクである。
「もう身体を洗われてしまいましたか?」
「ええ、まあ」
彼は浴室に無許可で入ってくる。温泉文化に慣れているとはいえ、ここは個人の邸宅、ジェイクから見れば自分は一応、主人の結婚相手ということになる。さすがに不躾では? と眉根を寄せた。
ミュートの反応については一切気を配らずに、彼は持参した入れ物の蓋を開けた。ふわりと甘ったるい匂いがして、思わずくしゃみが出た。
花の甘い香りだけを集めたようで、余裕がない。あまり得意ではない匂いだった。
「なんですか、それは」
「これは旦那様のために、奥様の身体を磨き上げるオイルです」
ミュートは目を丸くする。それっていうのはつまり。
「俺に、初夜の準備をしろってことですか!?」
ジェイクは無表情のまま、頷いた。
レイノルドが男同士=普通はセックスをしない、という結論にすぐに至ったものだから、てっきりこの世界でも男色は少数派なのだと思っていたのだが、違うのか? 子どもが産めない男嫁であってもセックスが必要なのか?
パニックになったミュートは、浴槽から立ち上がる。丸見えである。
ジェイクは突如現れたミュートの息子に目をやり、唇を歪めた。明確に、馬鹿にされた。だからといって、今さら恥じらって隠すのも馬鹿らしい。
唇を尖らせ、眉を吊り上げて怒りをあらわにするミュートに、ジェイクは「ああ」と、頭を下げる。
「申し訳ございません。ただ、その、お可愛らしいと思っただけなのです」
「はあぁ~?」
確かに。
確かに、ミュートのモノはあまり立派ではない。他人のをまじまじと見るような礼儀知らずではないが、中高の修学旅行のときにチラッと見た同級生たちのは、自分よりもやや長かったり太かったりした気がする。
小さくて短くて細い……それはミュートのコンプレックスで、自信が持てず、女性経験のないままに異世界転移してきてしまった原因のひとつでもあった。
ジェイクは咳払いでごまかして、
「とにかく、こちらを仕上げにお使いください」
と、執拗に勧めてくる。初夜を迎えるつもりはない、性行為などしないと訴えても、聞き入れられない。
片眼鏡の奥の目を冷たく光らせて、彼はミュートを見下ろす。
「嫁いできて行為を拒否するなど、あってはならないことです。たとえミュート様が男であろうとも、主人の求めを受け入れるのが、あなたの務めです」
言って、そのまま浴室から去らないものだから、ミュートは彼の監視のもと、渋々オイルを肌に擦り込んだ。
余計に時間がかかった入浴時間を過ごし、ふわふわのタオルで水気を拭ったミュートは、置いていたはずの服がないことに気づき、ジェイクを睨む。
「お召し物は、こちらとなります」
「ちょ……これは」
用意されていたのは、スケスケのネグリジェである。寝間着にズボンがないことについては、ビジネスホテル備え付けのパジャマだと思えば慣れた。だが、さすがに羽織っている意味がないほど肌があらわになるシースルー素材はいただけない。
他に着るものは用意されていないらしい。無言の圧力とともに差し出されたそれを、ミュートは仕方なく身に着けた。全裸でうろうろするよりはマシである。ちなみに下着も用意されておらず、股間がすうすうとして心もとない。
これから俺、レイノルドの寝室に連れていかれるんだよな……。
こんな、変態も真っ青な格好で!
内股気味になり、細やかな股間のモノが丸見えにならないよう、手で隠しながらしずしずと歩く。幸い、他の使用人は近づくのを禁止されているようで、鉢合わせることはなかった。
扉の前で、ジェイクはミュートに、あるものを渡した。
「これは?」
小袋の中を検めると、乾燥した花びらや草が入っていて、顔を近づけると刺激臭がした。自然、顔が歪む。
「寝室には、香炉がございます。そこにこちらを入れて、火をつけると」
「つけると?」
ジェイクは微笑みを浮かべた。
「……夢のような一夜となりますよ」
あ、わかった。これきっと、火をつけたら煙に媚薬効果があるやつだ。エロ同人誌で見た。
媚薬なんてもん、本当にあるんだなあ。
ミュートはまじまじと袋の中のものを見つめた。
「それから、私は閨の番人でして」
つまり、ジェイクは夫婦生活の記録を行う係ということだ。寝室とは、衝立一枚しか隔たっていない場所で性行為の音を聞き、時に覗き込み、夫婦が何度「至った」のかを数え、微に入り細に入り詳細に書き留める。
権力者の傍には、そういう役割の人間が必要なことも理解する。お偉いさんの仕事のひとつは、「血を絶やさない」ことも含まれるからだ。
セックスの相性が悪くて、夫の種が妻の胎に撒かれないこと。妻が痛がってばかりで、セックスに恐怖心を覚えること。
そういう寝室での失敗を防ぐための監視役のような存在がいるからこそ、後世に面白エピソードが残っているわけだが、この世界にもあるのか。
存在意義については認めるが、こと自分とレイノルドに関しては、不必要だ。寝ずの番をしても無駄なので、きちんと眠ってほしい。ジェイクの目の下の隈は色が濃く、あからさまに疲労が溜まっている。
「あの、俺は男だし、レイノルド様も男です。セックス……ええと、性交することはありえないので、この葉っぱもいらないし、見張っても意味ないです」
というか、この男がすぐ傍にいたのなら、どうしてレイノルドの妻が立て続けに死んだのかも、すぐに解明できそうなものだが、誰もこんな簡単なことに、思い至らなかったのかな。
今はまだ、レイノルドと出会ったばかりで、お互いに遠慮がある。妻の死体に気がついたときのことだとか、その後の調査結果だとかを尋ねるにはまだ早い。
興味本位ではない。今日この日を乗り切ったところで、不本意ながら、レイノルドの妻という立場にいる以上、命を狙われる危険は消えない。情報は、多ければ多いほどいいのだ。
いずれジェイクにも聞いてみようと思ったミュートだが、彼の表情を見て、固まった。
ごっそりと感情が抜け落ちたような、顔。彫の深い美形だが、陰影が濃いということでもある。頬がこけて、笑みを浮かべていないと、異様な雰囲気を醸し出す。
「あの……」
「いけませんよ、ミュート様」
話しかけようとしたのを遮られる。ジェイクは微笑を形作り、ミュートを諭す。
「男であろうとも、あなたはレイノルド様の妻。その欲望を、受け止めるのがお役目なのです。わかりますね?」
わかるわけないだろ、という叫びは飲みこんだ。この男は、なんだか怖い。あまり面と向かって逆らうのはよくない気がする。
短い社会人生活であったものの、上司の機嫌を読み取って、それ以上損ねないようにする振る舞いは必須スキルであった。定時退社でオタ活に励みたい一心で、ミュートはその技術を必死で身に着けた。異世界でも役に立つとは。
曖昧に笑って濁し、わかりました、とは決して言わなかった。言質を取られるやり方は、まずい。
ジェイクに先導され、ミュートは黙って彼のあとに着いていくのだった。
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