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寝室には、レイノルドが待っていた。どうやら風呂はひとつではないらしく(城だから当たり前か)、彼もすでに湯浴みを済ませ、寝間着を着用している。
スケスケでなくて安心したような、どうして自分ばっかりという不公平さに憤慨したいような、複雑な気持ちになった。
ベッドの上に座っていたレイノルドは、緊張した面持ちで、こちらを見つめた。その目を見ると、ミュートはいたたまれなくなる。
男同士だから、セックスなんかしなくてもいい。する必要がない。そう言い切った舌の根も乾かぬうちに、こんなことになるとは。
レイノルドは悪くないし、ミュートのせいでもない。無茶なことを言い始めたジェイクのせいだが、ここで言い争っても彼は引かないだろう。
ジェイクはレイノルドに一礼して、ミュートには、「ここにポプリを入れてください」と、指示をした。火をつけるのは、彼がやってくれるらしい。媚薬なんて話を聞いたら、絶対に焚いてほしくない。しかし、ジェイクは頑として譲らない。
どうしたものかと思案していると、レイノルドが助け舟を出してくれる。
「ジェイク。形式にこだわるのもいいが、我々の自由にさせてくれ」
「しかしですね!」
見た目以上に神経質な男の言葉を、レイノルドは手ぶりを交えて遮る。
「ジェイク。君は私の、なんだ?」
彼はぐっと言葉を詰まらせた。
貴族とはいえ、男爵の子に過ぎない。しかも家督を継ぐポジションにすらないらしいジェイクは、レイノルドの不興を買って解雇されるようなことがあれば、路頭に迷う。
ハラハラとふたりを見守るミュートの前で、勝敗は最初から決していた。ジェイクは項垂れ、拳を震わせながら、「わかりました」と、自分に割り当てられた衝立の裏へと消えていく。
「あ」
怪しいポプリを突き返すことができなかった。声をかけても睨まれるだけだから、呼び止めなかった。火で燻さなければ効果がないのなら、まぁいいか。
(しかし……)
本当に主人の寝室と地続きのところにいるんだ、と感心した。これまでの花嫁たちは、この状態で夫と……。
レイノルドをじっと見上げる。
「どうした」
あとは寝るだけだというのに、彼は眼帯で左目を覆ったままであった。怪我の痕を花嫁に見せて怖がらせないようにという配慮かもしれないが、ミュートは気にならない。
こちらを見つめる目は優しく、これは政略結婚であっても、年齢差があっても、女の子はみんな一目で惚れちゃうよなぁ、と思った。自分の頬が熱いのは、湯上りのせいである。
「いや。あの、寝るのに眼帯は外さないんですか?」
気にしませんよ、と言っても、レイノルドは頑なだった。ランプを消してから外すと言う。
部屋を暗くする。すなわち「寝る」ための準備が整ったということになる。
レイノルドは、ミュートをベッドに導くと、そのまま灯を消した。衝立の向こう側、ジェイクが記録をするのに必要な小さな灯りだけが、寝室の光源となる。
彼は眼帯を外して、そのままランプの隣に置く。それからゆっくりと近づいてきた。
大きな身体のシルエットに、ミュートはたじろぐ。肩を揺らし、身体が逃げをうちかけたところでギシリとベッドを軋ませ、レイノルドが伸し掛かってくる。
あれ? 本当に、する流れ?
「ちょ、ちょちょちょ、ストップストーップ!」
両手を突き出して、接近してこようとする男前の顔を遠ざける。どんな目をしているのか見たくなくて、ミュートは彼のことをまともに見られない。
「え? その、すんの? 男同士だからしなくていいって、そういうオチになったと思うんですけど?」
パニックで早口、口調も現代日本の若者っぽくなってしまう。教会でも嫌というほど、貴族や富裕層相手の立ち振る舞いは言いつけられた。寄付を減額されないようにするためだ。なのに、驚きで全部すっぽ抜けた。
ミュートは恐る恐る、彼の股の間をチェックする。シルク素材のシンプルな夜着は、その形状を大きくは変えていない。つまり自分に欲情しているわけじゃないと知って、安堵した。自らの肉欲ではなく、義務から行為に及ぼうとしているのなら、まだ説得の余地はある。
「しかし、男同士でもセックスができるのだから、抱いてやるのが男の甲斐性であると……」
ジェイクに入れ知恵されたのか。余計なことを言う。子どもができるわけでもないのに、主人にセックスをさせたがるなんて、まさか覗き趣味でもあるのか、変態野郎め。
……という内心での彼への不満は、口にしなかった。すぐそこにいるし、明日も顔を合わせるのだ。できる限り衝突は避けたいと思うのが、日本社会で生まれ育ち、社会人を短い期間ながらもこなしていたミュートの性情である。
さて、なんと言ってやめさせるべきか。何せ自分は、レイノルドとは出会って数時間の身である。しかも貴族のマナーも何もわからない男で、これから距離を縮めていくところだ。信頼関係という意味では、ジェイクに分があることは間違いない。
うまい策を考え込むうちに、抵抗の手が緩んでいた。
「あっ!」
という間に手首を拘束され、首筋にレイノルドが顔を埋めて匂いを嗅いでいる。風呂で丁寧に洗ってきたから、汗臭いということはないはずだ。むしろ、最後に塗ったオイルの花の匂いしかしないと思われる。
「いい匂いがする」
あ、これまずいやつだ……。
このままだと、流されてしまう。俺のケツが危うい。
ミュートはノンケである。男とどうこうしようと思ったことは一度もない。ただ、知識だけは一般男性よりはある。オタクなので。
SNSで知り合った腐女子たちの流してくる漫画やイラスト、様々な情報は、男同士のセックスを扱っていた。何度「これオススメだから! 絶対男でも興奮するから!」などと根拠のないことを言われ、強制的に読まされたことか。
物語としては面白く読めても、ラブシーンになると萎えるのを繰り返していた。男同士の恋愛・性愛に対する才能がまるでない。
「ミュート……」
囁かれ、ぞわっとした。悪い意味じゃない。いや、悪い意味か? 気持ち悪いじゃなくて、気持ちよくなる予感がして、鳥肌が立った。
本格的にまずい。男に尻を掘られるのも嫌だし、このまま抱かれてしまえば、自分はこれまでの花嫁と同じで、明日の朝を迎えられないかもしれない。
レイノルドはわかっているのか? 俺を殺すつもりで、抱こうとしているのか?
そう思うと腹が立ってきた。普通の痴漢であれば、股間を蹴り飛ばしておしまいだが、相手は大貴族。薄い衝立ひとつ隔てただけの場所に人がいると思うと、自分に不利な行動は避けた方がいい。
じゃあ、どうする。どうにかセックス以外に意識を向けるためには、何をすればいい。
(ん? 抱かれたら死ぬ、抱いたら殺す……これって……)
千夜一夜物語じゃん。
気づいた瞬間、ミュートはレイノルドの顔を押しのけていた。最初と違い、遠慮のかけらもない。色男にあるまじき、「ぐぇ」と、苦しそうな声が聞こえたが、無視だ無視。
――女性不信の王様は、毎夜街の生娘を召し上げる。一夜を過ごしたあとは、今後不貞を働けないように首を刎ね、そうして街から若い娘が消えた。妃となった大臣の娘は、王に物語を聞かせる。今日はここまで、明日はもっと面白い話をしましょう。そして積み重なること、千と一夜――
「レイノルド! 俺はとても緊張している。まずは俺の故郷の面白い話を聞いてほしい。そしたらリラックスできそうな気がするんだ」
正式な婚姻関係にはならないとはいっても、家に迎える以上、ミュートの身辺調査は行われている。異世界から迷い込んだという事実も、レイノルドは承知のうえだ。
二度と帰ることのできない故郷の話をしたいという懇願を、この男は拒否しないだろうという目論見は、当たった。
彼は無言で乗り上げていた身体をのろのろと動かし、ミュートの隣に横になった。手で頭を支え、寝ながら物語を聞く体勢を取る。
「さぁ、話してくれ、ミュート」
命を懸けた、寝物語だ。
ミュートは舌で唇を潤してから、ゆっくりと口を開いた。
「昔々、あるところに……」
準備なしにそらで語れるのは、昔話くらいしかなかった。
鉛のように身体が重い。
うーん、と唸りながら、目を擦る。まだ眠い。
昨日は何をして、こんな夜更かしをしたんだったか。
ぼんやりと考えて、ようやく意識がはっきりしてくる。ガバっと身体を起こして、確認する。
痛くない。血も出ていない。胸に手をやる。心臓は動いている。むしろ少し速いくらいだ。息もしている。
「生きてる……」
ぽつり零した声は、嗄れていた。昨夜ちょっと、はしゃぎすぎたせいかもしれない。隣の男を見下ろす。ふたりとも服は着ている。セックスはしていない。
俺のケツは無事だ! いやそれよりも命が!
「生きてるッ!」
叫び、万歳した。その衝撃でレイノルドが目を覚ます。
「あ、ごめんなさい。まだ寝てていいよ」
貴族なんて、夜遅く、朝はもっと遅い生き物の代表格だろう、と変な気を回したミュートに、レイノルドは眩しさに歪む顔を手で覆うと、「大丈夫だ。私も起きる……」と応え、会話が成立していることに気がついた。
ガバリと起き上がり、ミュートの無事を確認する。ペタペタと頬を触られるがままになる。このくらいは我慢だ。だってこれまで共寝をしてきた女は皆、血の気のない冷たい頬をしていたのだろうから、ミュートの体温と柔らかさを感じたい気持ちはわかる。
「生きてる……ああ、生きているな、ミュート!」
同じベッドで眠るくらいでは、呪いは発動しない。セックスがトリガーであることが証明された形である。
ということは、レイノルドの男性器が殺人ペニスなのだろうか。いや、そんなまさか。B級ホラーでもやらないようなオチでたまるか。
謎は謎のままだが、とにかく死なない方法がわかってよかった。心底安堵しているレイノルドの顔を改めて覗き込む。
朝日の差し込む寝室のベッドで、彼の目は、眼帯に覆われていない。
「あ……」
思わず、声が漏れた。途端に、ハッとしてレイノルドは左目を隠す。
想像していたような傷跡ではなかった。怪我をしたことは一度もなさそうな、健康そのものの眼球は、ただしその色が、普通と違っていた。
イエロートパーズの右目とは異なる、赤い左目。つまりはオッドアイというやつだ。
「どうして隠すんですか? もっとよく見せて……」
一瞬しか見えなかった。だが、その赤にミュートは魅了された。そっとレイノルドの手首を掴むと、彼は抵抗せず、恐る恐る左目から手をよけた。
「ああ……きれいだ……」
日本にいたときも、こちらに来てからも、宝石なんかに縁はなかった。でも、嫌いじゃない。
美術館や博物館の展示で見ることはあっても、身に着けるための宝飾店となると、彼女のいないミュートには、ハードルが高かった。おいそれと手が出せる給料ももらっていなかったし。
赤い石といえばルビーだ。その中でも、最高峰のルビーを思わせる濃い赤色に、ミュートは見入った。
「ピジョン・ブラッドってきっと、こういう色なんだろうな」
あいにく、写真でしか見たことがない。それでも十分に美しかった宝石が、手を伸ばせばすぐのところにある。
「……恐ろしくはないのか?」
ミュートの反応が予想と違ったことに、レイノルドは呆然としている。
何を言っているんだ、と首を傾げたミュートは、「まぁ、この国の人間には、いないよなあ、赤い目」と納得をする。
人間が、異端を迫害するのはどんな世界でも一緒だ。片方だけ赤い瞳の人間なんて、格好の餌食じゃないか。侯爵家の跡取りとして生まれたからには、表に立つ場面も多かったはずだ。その度に、不気味だとひそひそ陰口を叩かれ、いわれのない噂を流されたのだろう。想像がつく。
「これまでの花嫁は皆、私の目を見るのは怖いと……」
「はぁ? ずいぶんもったいないことしたね!」
女の方が宝石は好きだろう。この世界にもルビーや、よく似た赤い宝石があって、貴族はこぞって買い求めるというじゃないか。
ミュートはレイノルドの頬に触れた。左目の下瞼に指をそっと這わせる。
「どんな宝石よりも、俺はあなたの目の方がきれいだと思う。だからさ、俺とふたりのときだけは、眼帯なんてしないで」
皆に見せびらかして歩きたいくらいだが、さすがにストレスだろう。まずは自分相手に隠さずにいることで、慣れてもらいたい。
だってやっぱり、こんなにきれいなのに隠しているのはもったいないから。
レイノルドは俯き、肩を震わせる。
あ、まずいこと言っちゃたかな? 余計なお世話だったのかもしれない。
思い直して冷や汗をかくミュートを、レイノルドは感極まったように強く抱きしめる。
「ありがとう、ミュート……君が来てくれて、本当によかった」
子どもも産めない男嫁にここまで感謝してくれるなんて、なんだかとても、面映ゆい。
ミュートはおずおずと、子どもみたいに力加減を知らぬレイノルドの背に腕を回し、ハグを返すのであった。
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