魔眼の領主と千夜一夜(6)

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 翌朝すぐ、レイノルドは代官から昨年までの帳簿を受け取り、ものすごい速さで目を通し始めた。

 普通、この手の書類を見るのは専門の人間がいて、領主がすべきは彼の説明を聞き、質問をして、納得ができたら決済印を押すことだ。けれどレイノルドは、自分で何もかもをやってしまう。

「できるからって、全部やることないのにな」

 仕事の邪魔をするわけにもいかず、ミュートは手持無沙汰である。田舎の代官屋敷には、都会と違って娯楽がない。小説のひとつやふたつ置いてあるかと思ったが、書庫とは名ばかりのガラクタ置き場であった。

 午後には切り上げて、街の視察に行こうと言っていた。昼食は一緒に摂ろう、とも。寝ぼけ眼を擦りながら頷いた。

「朝飯もひとりだったしなあ」

 割り当てられた部屋で、ぼんやりすることしかできない。こういうときに、夜寝る前にレイノルドに語り聞かせる物語を考えればいいのだろうけれど、あまりやる気がわかなかった。

ミュートは創作をしない方のオタクであったから、そもそも才能がないのだ。記憶のつぎはぎも、いつまで持つことか。

 ベッドの上で大の字になっている。何もすることがないと、時間が経つのはゆっくりだ。

 レイノルドは、夜が明けてすぐに仕事に取り掛かるべく、執務室へと向かった。三時間以上前だ。そして昼食の時間までも、あと三時間はある……。

 ミュートは起き上がった。

 いやいや、さすがに疲れて頭も回らなくなるだろう。昼前にも、一回休憩を挟まなければ。

 この世界には労働基準法はないが、過労で倒れる人間は存在する。こんなところで倒れられても困る。

 思い立ったらすぐに行動。ミュートは厨房へ向かい、お茶の用意を整えてもらった。小さなクッキーもつけてくれた。つまみ食いは我慢した。これはレイノルドのためのものだ。

 屋敷で働く使用人たちは、本物の大貴族に気後れしていて、レイノルドの前に出ると緊張してしまうという。

 特に眼帯でいかつく見えてしまうレイノルドである。その下が赤い色をした魔眼であるという噂は、領地の端の端、どころか国じゅうが知る噂だ。真っ赤なでたらめだが。

 粗相をして、睨まれたら生きていけないかもしれない――実際、領主の花嫁は全員命を落としている。

 そんな恐怖心から、彼らが領主の世話を押しつけ合っているのはすぐにわかった。だから、ミュートは「俺がやるから」と請け負った。その方が、レイノルドも安らげるだろう。夜、寝物語に耳を傾けている彼は、本当にリラックスしている。自分の存在は、少なくとも邪魔にはならないはずだ。

 カートにティーセットを載せて、ゆっくりと廊下を歩く。初めての屋敷だ。年かさの使用人が、入口までは連れていってくれるというので甘えた。

 そして執務室の扉に手をかけようとした途端、中からものすごい怒声が聞こえた。

「貴様、ふざけているのか!?」

 レイノルド?

 確かに彼の声だが、こんなに荒げることなんて。

 使用人は怯え、どたばたと廊下を走り、逃げてしまった。ひとり残されたミュートは、中の様子を探るべく、聞き耳を立てる。

 バサバサという音は、帳面や資料の紙束がばらまかれた音だろう。代官(レイノルドよりも年上の痩せた中年男であった)の声は小さすぎるのか、それとも沈黙しているのか、聞こえなかった。

 代わりにレイノルドの声はよく通り、「このような取り立て、あってはならない!」「平民たちのことも考えろ!」と、時代劇の悪代官とは真逆のことを怒鳴っている。

 税を納める側からすれば、少なければ少ないほどいい。けれど、ミュートは日本の大学まで卒業した人間だったから、手放しで喜べない。

 税収が少ないということは、民への還元も少ないということ。

 ああ、だからあんなにも道が悪かったのか。見晴らしのいい道路の整備は、後回しになる。もっと直接命を守るため、例えば川に堤を作って氾濫を防ぐだとか、崩れ落ちてきかねない崖の工事をするだとか、そちらの方が優先される。

 平民のほとんどは、自分の生まれ育った村や町の外のことを知る機会がない。せいぜい、隣近所で一番栄えている街へ行くくらいのもの。領主の暮らす都会、まして王都に生活拠点を移す人間は、まれである。

 自分の周囲が平和ならば、それでいい。税金の使い道がどうなっているのか、知ったことではない。

 東京生まれ東京育ち、政治意識低めのミュートもまた、彼らと似たようなものであった。自分の生活のために使われているという実感がないのなら、税金は安い方がいいに決まっている。

 だから庶民はレイノルドのことを、「うちの殿様は名君だ」と褒めたたえる。租税を取り立てる代官が、どんな気持ちで日々の仕事を回しているのかを知らないで。

 ミュートは深呼吸をした。部屋の中の様子を注意深く探り、怒鳴り声が一瞬止んだ、今だ。

 扉をノックすると、しばらく黙ってからの「入れ」という声がかかる。扉を開けると、レイノルドの顔が、苛立たしげなものから驚きに変わる。立ち上がり、ミュートを迎え入れた。

「ミュート! どうしたんだ?」

「朝早くからいなかったから、そろそろ休憩を挟んだらどうかと思って、用意してもらったんだ」

 慎重な手つきで、茶の準備をする。代官屋敷にあるティーセットは不ぞろいで、決して高いものではない。こんなものでお出しするなんて、と使用人たちは恐縮していた。

 田舎街では、来賓もそうそうない。使わないものを後生大事に取っておく余裕は、残念ながらない。金になりそうなものはすべて売り払う。

 幸い、レイノルドはカップが安いものであったり、大柄な花の絵には繊細さが欠けているなどということについて、文句を言わなかった。

 気づいていないはずがない。ミュートですらわかるくらい、代官屋敷の備品は粗末だ。

 質素倹約。初日のレイノルドが言ったことを思い出す。彼はこの状態を、よいことだと思っているのかもしれない。

「ミュート?」

 動きを止めたミュートを不思議に思って、レイノルドが声をかけてくる。ハッとして、「ううん。なんでもない」と、カップを渡すと嬉しそうだった。

「あなたも飲みますか?」

 代官に尋ねると、彼は青い顔をしたまま、首を横に振った。

 まぁ、これまで鬼のように叱責をしてきた人間と和やかなティータイムは難しいだろう。ミュートはクッキーをナプキンにくるんで、彼に渡した。

「これから追加の資料などを探しに行くんでしょう? 向こうで食べてください」

 彼はミュートと手のひらのクッキーを交互に見て、一礼してドタバタと走り去っていった。

 その間、レイノルドは口を出さなかった。何も文句を言わなかったけれど、じっとりと強い視線は感じていた。

「……使えない代官に、気を遣うことはない。あれはクビにするつもりだ」

 本人に叫ぶ前にミュートが乱入したため、その場の勢い任せで解雇することはなかったが、彼の意志に変わりはないらしい。

 しかめっ面でクッキーを口に運んでいる。美味しく楽しそうに食べられないのなら、食べなくていいと、喉元まで出かかったが耐えた。

 使えないとか、言いすぎだ。ミュートにとってはよき伴侶(と書いて、「とも」と読むべきか)であろうとしてくれているし、領民たちにも慕われている。けれど同じ貴族に対して、とりわけ下級貴族には、どうも態度が厳しすぎる。

 ただ、政治の話に仮初の伴侶が口を挟むのがありかというと、絶対になしだな、と思った。

 だから、表立って代官を庇うことができない。クッキーひとつでは大変な仕事の対価にはなりえないだろうが、せめてもの気持ちで渡したのだ。

 ミュートは溜息を押し殺し、レイノルドの眉間に寄った皺をつついた。

「午後からは街の見物に行くんだろ。そんな顔してたら、怖い領主様だと思われちゃうぜ」

 わざとらしい軽口に、休憩後はもう少し穏やかな話し合いができるようにしたら? という心配とアドバイスを載せた。レイノルドにはきちんと伝わったようで、小さくなってクッキーに齧りついて黙っていた。

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