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結局、午前中だけでは議論は平行線、妥協点すら見つからなかったらしく、レイノルドはイライラしたまま代官の執務室から出てきた。その横顔と、疲れ切って五歳は更けた代官の顔を見て、おそらく彼はまったく折れる気はないのだな、と溜息をついた。
自分が貴族令嬢だったり、富豪の娘だったのなら、きっとこの国の仕組みや政治、経済についての知識もある程度叩き込まれていて、領主の妻として彼を支え、時に諫める役目をしっかりと担うことができていたのだろう。
けれども、ミュートはただの男だ。この世界の人間ですらない。政治家、あるいはコンサルタントなどの実際に人を動かして儲けを出したり、人の営みをコントロールするような職業に就いていたのなら、「現代日本の知識で無双!」という異世界転生/転移モノのテンプレができたが、あいにく自分は、ただのサラリーマン。下っ端も下っ端だ。口を出したところで、何か改善できるとは、とても思えなかった。
ならば今の自分ができることは何かといえば、この不機嫌な友人を、どうにかして癒し、リラックスさせることくらいなのである。
ミュートはするりとレイノルドの横に収まった。彼と腕を組み、ぐいぐいと引っ張る。
「もう視察に行けるのか?」
喧々諤々と言い争いを吹っ掛けていたレイノルドの空気が、少しだけ和らいだ気がする。
「ああ。ミュートは、支度はもういいのか?」
頷く。レイノルドも手早く身支度を整えると、ともに代官屋敷の外へと向かった。
代官を置くくらいなので、この街は周辺では一番栄えている。それでこの程度なので、他の村々のことは推して知るべし。
レイノルドとぶらついていても、特にめぼしい店があるわけでもなく、すぐに一周してしまいそうだ。本屋とかがあればいいのに、とぶつぶつ言うミュートに、「都会以外は識字率もそれほど高くないんだ」と、書店を開いてもこの場所では赤字になるということを教えられた。
「あ、教会」
代官屋敷とは正反対の場所に、小さな教会があった。ミュートが世話になっていたのは、成金司祭らしく立派な建物だったのだと知った。村の規模に合わないほどだった。
この街の教会は、屋根に穴が開いたのか、板が張られている。あんなので雨漏りは大丈夫なのだろうかと、他人事ながら心配になった。
教会にはやはり、子どもが多く集まるものだ。庭で何事か遊んでいる子どもたちに、ミュートは自ら声をかけていく。
「こんにちは。何して遊んでるんだ?」
屈んで目線を合わせると、子どもたちは戸惑いつつも、ニコニコしているミュートについては警戒心をやや解く。後ろに立ったまま無表情のレイノルドのことをちらちらと窺っていた。
(そりゃまぁ、気になるよな、眼帯)
男児の目を見ると、キラキラしているようにも見えるので、「格好いい」と思うアイテムとは、現代日本と共通しているのかもしれない。女児はひそひそしている。
その中でも物怖じしない子どもが、無遠慮にミュートのことを指さした。
「あんた、とのさまのおよめさん?」
眼帯の美丈夫は領主様、というのは子どもでも知っている常識らしい。
イエスともノーとも答えづらい。ミュートがレイノルドのところにいるのは、大人の事情というやつだ。子どもにも納得がいくように説明をするのは骨が折れる。
何と応えるべきかと逡巡していると、隣にいたレイノルドが、ぐっとミュートの肩を抱き寄せた。別にこの程度、友人同士でもやることなのだが、力強さと密着感に戸惑う。日本の友人との距離感とは、全然違う。
「そうだ。ミュートは私の花嫁だ」
子ども相手に堂々と宣言しなくても。いや、子どもの方がマシか? これが万が一、(ミュートはそういう場に出入りしなくてもいいと言われているが)社交の場で、同じくらい高貴な貴族たちの前で宣言されていたとしたら、ミュートは羞恥で立ち上がれなくなるし、レイノルドは馬鹿にされるところである。
複雑な顔でレイノルドを見つめていると、子どもたちからとんでもない言葉が飛んでくる。
「ふーん。生きてるんだ!」
「!」
何の気なしに飛び出してきた言葉である。五つか六つくらいだろう。考えてのことではないことは、冷静になればレイノルドにもわかる。親をはじめ、口さがない人間が、何か言っていたのをたまたま聞いただけかもしれない。
けれど、レイノルドは激高した。大人げないほど、怒った。
「ミュートが死んでいればよかったでも言いたいのか!?」
ミュートの前に出て、子どもたちを怒鳴り散らす。完全に怯えて、震えて泣いている子どもたちを見て、ミュートは慌てて止めた。
「やめなよ、レイノルド。怖がってる」
「だが! 君が侮辱されたんだぞ! 私の大切な家族が!」
家族と言ってくれたのは嬉しい。だからこそ、ミュートはレイノルドを諫めなければならない。侯爵、領主。国王以外にかしずく相手などほとんどいない存在であるからこそ、家族だけは、彼が道を誤らないように注意をしなければならないのだ。
「でも、相手は子どもだよ。俺自身を侮辱されたわけじゃない」
子どもが無邪気に言い放ったのは、ミュート自身を傷つける言葉ではない。レイノルドの結婚相手であれば、誰もが言われる可能性のある言葉だ。だからスルーできるし、何とも思わない。直接、「死ね」と言われたわけじゃなし、「そうだ、俺は生きてるんだ!」と、胸を張ることができる。
少し冷静さを取り戻したレイノルドを押しのけて、ミュートは言葉をぶつけてきた子どもに、目を合わせた。
「君は、殿様についていろいろ知っているのかもしれない。でも、俺は君以上に、殿様のことを知っている……この人は、俺が生きていることを、泣いて喜んでくれる人だよ。だからあんまり、そういうことを言わないでくれるか」
まだどうなるか、わからないんだから。
というのは、心の内だけに留めておいた。ミュートが自分自身の死について予感することを言えば、レイノルドはさらに傷つくだけだ。
子どもには少し難しかったかもしれないが、ミュートの声音と表情、レイノルドに怒られたことから、なんとなく察してくれたみたいだった。涙目のまま小さく頷いた男児の頭を、ミュートは優しく撫でてやった。
「よし! それじゃあ、遊ぶか! 何する?」
気分を切り替えるため、パンパン、と二度、手を打ち鳴らした。ミュートが明るく大きな声で提案すると、様々な声がかかる。鬼ごっこ、かくれんぼ、という自分も幼少期にやった遊びもあれば、ミュートが聞き取れない知らない遊びもあった。
「じゃあ鬼ごっこな! 俺が鬼! ほら、逃げろ~!」
一番わかりやすく、子どもたちのテンションが上がりそうな遊びを選んだが、すぐに失敗だったと気づく。
運動習慣皆無、三階に上り下りするだけでもエレベーターを使いがちな成人男性と、無尽蔵な子どもの体力は比べものにならない。彼らは大いに笑い、叫び、走り回り、ミュートを翻弄する。
「ちょ、タンマ。休憩……」
足の遅い子、体力のない子はどこにだっている。自分がそうだった。こうした遊び、またはドッジボールなどでも標的にされがちだったからわかることだが、そういう子どもを一点集中で狙うのは、すごく傷つける。かといって過度に気を遣うのも、仲間外れにされているように感じるので加減が難しい。
全員参加できているか気を配らなければならないので、ミュートは倍の速さで疲弊する。肩で息をしていると、男児を中心に、「鬼さんこちら!」「ミュート、もっと速く!」と、挑発してくる。
可愛いものだが、小憎たらしい。にゃろう、と口の中だけで毒づいて、ミュートは「待て待て~!」と、追い回しを再開する。
「きゃー!」
「逃げろ!」
子どもたちの明るい声が響き、ミュートがようやくひとりの子どもをタッチする。もちろん、優しくだ。大人の全力タッチは、小さい子を勢い余って突き飛ばしてしまい、怪我をさせてしまう。
そうした慎重さや思いやりはしかし、子どもたちにはまだ育ち切っていないもので。
「わぁ!」
少し鈍いところのある小柄な子どもに、鬼になった子が突進した。もちろん、わざとではない。遊んでいて興奮していたのだ。そして鬼の子どもは、少々体格がよかった。
後ろから突き飛ばされる形になった男児は、上手に受け身を取ることもできなかった。何せ、突然のことだ。思い切り膝を打ち、地面についた手も擦りむいている。起き上がることもできず、わぁん、と大きな声で泣き出した。
ミュートは慌てて駆け寄り起こした。目の端には、レイノルドも動こうとしていたのが映っていたが、彼よりも自分の方が、子どもの世話は慣れている。
「ああ、これは痛いな……」
ひっくひっくとしゃくりあげている子どもの膝は、運悪く石が落ちているところに直撃したようで、血が出ていた。これが日本のようにアスファルト舗装の道だったら、もっと広範囲に、内出血もしていただろう。
ミュートは「大丈夫大丈夫」と慰めつつ、子どもを抱き上げた。彼を突き飛ばした子どもも、青い顔をしている。
「君もおいで。わざとじゃないのはわかっているから、案内をしてくれるかな? シスターたちはどこ?」
ごしごしと目元を擦った子どもは、ミュートを先導した。後ろには、レイノルドもついてきている。
教会の職員たちは、子どもの世話以外にもやることがたくさんある。大荷物を持ったシスターに手当を頼むこともできず、ミュートは適当な部屋を借り、その場をレイノルドに任せて、一度外に出た。
人々は何か困ったことがあると、真っ先に教会を頼る。だからある程度の備えがあるものだが、ここは都会と違う。救急箱の中を覗いたが、たいしたものは入っていなかった。
なので、花壇へと向かった。教会の花壇にハーブがつきものである。大抵はポプリやドライフラワーにしてバザーで販売するために育てているが、ミュートにはこの世界の人たちの知らない活用法を知っている。
「えっと、ラベンダーがあるな。よし」
紫色と、強い芳香が特徴的な花を摘み、途中で台所に寄ってから、ミュートは戻る。
「お待たせ」
できる限り早く戻ってきたつもりだったが、やはり空気は変な感じになっている。レイノルドに子守りは向いていない。必死で慰めようとしていたのは表情から伝わるが、子どもたちにはあまりピンと来ていないらしく、新しい涙の痕が光っていた。
ミュートは怪我をさせた側の子どもに、「手伝ってくれるか?」と、提案した。怪我をした子どもの頭を撫でてやって、「今から傷によく効く薬を作るからな」とも。
「それ、花壇に咲いてるやつ?」
花の部分と茎を分けて毟り、すり鉢に入れる。興味津々に尋ねてきた男児に「そう。ラベンダーって言うんだ。いい匂いだろ?」と告げる。座ったまま手当を待っている子も、じっとこちらを見つめている。
すり鉢をしっかり押さえていてくれと頼み、ミュートはラベンダーをすりつぶす。さらに芳香が強く漂った。
ラベンダーは、怪我や軽度の火傷に効く。
知ったきっかけはやはり、アニメだった。小説原作のそれは、ガーデニングやアロマテラピーが好きで、ハーブ園を作るのが夢だった五十代主婦が、十代の少女の姿で異世界転生し、ほっこり理想の生活を送りながら、その知識で人々を助けるという物語であった。
凝り性のミュートは、この作品のおかげで、スパイス・ハーブ検定やアロマテラピー二級、紅茶検定など様々な趣味の資格にチャレンジした。
その知識が、異世界生活ではそれなりに役に立っている。なぜかこちらの薬は効かないが、あちらの世界にも存在したハーブは効くので、重宝していた。
日本にもあった草花の効用を、こちらの人たちは知らない。観賞用に育てられているだけなのだ。なんてもったいない。
出来上がった軟膏(というには、粒が目立ちすぎるが、仕方ない)を、救急箱の中に入っていたガーゼに塗布する。そしてそれを、怪我をした膝に貼り、包帯で固定する。
「きっとすぐによくなるよ。いい匂いだろ」
「……うん」
すっかり泣き止んだ子どもに、もうひとつおまじないをかけてやる。
「痛いの痛いの、お山の向こうに飛んでけー」
膝の上で手のひらをぐるぐる回し、そのまま窓の外へ放り投げるジェスチャーをする。こちらには該当の仕草がないようで、目を丸くしていた。
落ち着いたところで、ミュートは怪我をさせた子を手招いた。
「わざとじゃなくても、怪我をさせてしまったんだ。言わなきゃならないことは、わかるね?」
頷き、もじもじとしながら、「ごめんね」としっかり謝罪したのを確認し、ミュートはふたりの子の頭を撫でてやった。
その後、怪我なんてなかったかのように友達の元へ戻るふたりの後ろを、ミュートはレイノルドと並んでついていった。
「ミュート。君は子どもが好きか?」
結局あまり役に立たなかったレイノルドに問われ、ミュートは足を止めた。
「好き……といえば好きだけど、まぁ、世話になった教会でも、孤児院の手伝いが一番楽しかったからな」
あいつら元気かなぁ、と零す。窓の外には、元気に走り回っている子どもたち。懐かしさに頬が緩んだ。
「レイノルドだって、俺が元気に生きながらえてさ、原因がわかったら新しいお嫁さんもらって、子ども作るだろ? 楽しみだな。絶対可愛い子が生まれるよ」
そのためにも俺、マージュ侯爵の嫁として死んだらダメだよな、と笑うミュートに、レイノルドはしかめっ面を崩さないままであった。
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