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屋敷に帰ってすぐ、ミュートはジェイクに呼び出された。眼鏡の奥の目を濁らせた彼は、「はい」と、何通もの手紙を寄越した。
「これは……?」
「レイノルド様のご命令で、あなたのいた教会の孤児院の子どもたちから預かって参りました」
ミュートは目を丸くして、封書とジェイクの顔を交互に見やる。男の顔は領主の突然の無茶振りに疲弊しているし、いつもにもまして仏頂面である。ふたりが不在の間、ジェイクも閨の見張りをしなくていいのだから、ゆっくり眠ることができたはずなのに。
「仲がよろしくていらっしゃる。早く初夜を迎えてくださればよろしいのに」
曰く、衝立の後ろで夫婦の寝室での活動を見届けるのは、問題がなければ、初めの一回だけでよいのだそうだ。だから連日連夜、寝不足になることなど本当はないのだが、尻の安全だけは譲れない。
ミュートもレイノルドも、セックスをするつもりはない。昨夜も、タヌキ型の金ぴかロボットが、様々な秘密道具でぐうたらな主人をビシバシと躾ける話で、大爆笑をさらったところだった。無論、元ネタは青いネコ型のあいつである。
ベッドの上のレイノルドはよく笑い、ミュートの話を聞いてくれる。漫画やアニメについて語っているときが一番楽しいし、反応が返ってくるからますます調子に乗る。この手にスマホがあったなら、もっと面白い話ができるのに! と、何度考えたことか。
ミュートは預かった手紙を一通開いた。便箋を開いてみると、それは字がまだ上手に書けない子どもが描いた、ミュートの似顔絵だった。肌は青で塗られているし、髪は赤。得体の知れない液体を吐いているけれど、これは自分だ。「ミュート」と、ガタガタのバランスの悪い字で書いてある。
可愛いな、ありがたいな、とニヤニヤしていたら、ジェイクに封筒を追加された。孤児院から来たものとは違い、紙も高級なものだし、デザインも凝っている。何よりも、シーリングスタンプで封がしてあり、文様はおそらく、貴族の家紋であろう。マージュ家の扉に描かれているものと、格式ばったところが似ている。
「これは?」
ジェイクは肩を竦めるだけで、応えてはくれない。仕事放棄か、と睨みをきかせたところで、自分に威厳がまったくないのはわかっている。
仕方がないので、自分に与えられた部屋に引っ込み、ペーパーナイフで慎重に開封した。
中には招待状が入っている。
「これは……」
マージュ侯爵夫人宛の、お茶会への招待状であった。まじまじと送り主の名を見ても、ミュートはこの国の貴族連中に詳しくない。純粋に自分と交流したいと思ってくれたのか、それともミュートを値踏みしたいだけなのか、判断に窮する。
困ったときは聞く、が鉄則である。ミュートは名残惜しくも孤児院からの手紙はすべて引出しにしまい込み、招待状だけ持って部屋を出た。向かうはレイノルドの執務室である。
ノックを二回、「どうぞ」と言う声には疲れが出ている。当たり前だ。いくらでもだらだらできるミュートとは違って、レイノルドは帰宅後からすぐに仕事に励んでいる。視察で分かったことをまとめ、専門家を招聘する準備をしていた。
「レイノルド。仕事中にごめん」
顔も上げず、見づらいだろうに眼帯をしたまま書類とにらめっこをしていた彼は、来訪者がミュートだと気づいた途端、驚いた顔をして立ち上がり、出迎えた。
「いや、気にすることはない。どうかしたか?」
ソファに座らせると、彼は給仕の人間を呼び、茶を淹れて持ってくるように命令した。
すぐにお暇するつもりでいたから、「いいよ別に」と言いかけたミュートだが、レイノルドが自分の休憩に付き合ってほしいと言うものだから、ありがたくいただくことにする。
運ばれてきた茶で喉を潤しつつ、まずは礼を言う。
「孤児院からの手紙を受け取ったよ。レイノルドが手配してくれたんだろ? ありがとう。返事を書いたら、誰に渡せばいいかな?」
彼は家の中のことを取り仕切っている執事長の名を挙げた。すでに顔見知りだし、その人物がいつもにこやかにミュートに対しても接してくれているので、安心した。
ジェイクに頼めと言われたら、少し躊躇するところだった。彼は職務に忠実だが、ミュートに対してはやや当たりが強い。そのまま握りつぶすなんてことはないだろうが、嫌味のひとつは必ず言われるだろう。
「子どもたちからも慕われていた君を、こちらの都合で引き離してしまったからな。これからも遠慮なく、交流を続けるといい」
「うん。そうさせてもらうね……でも、レイノルド」
彼は自分が、いいことをしたと思っている。確かにミュートにとっては嬉しいことではあったけれど、その分皺寄せを食らった人間のことを、レイノルドは顧みない。
それは今回だけじゃない。視察先での代官とのやり取りだってそうだ。平民たちの税金を最低限しか取らないせいで、やりくりに四苦八苦することになっている。
「俺のために急な仕事を振ったりするのは、やめた方がいい。今回もジェイクには、迷惑をかけただろ」
孤児院に通達を出して、郵便で送ってもらうという悠長な手順を踏んでいたら、昨日の今日でこの手紙は届かない。
レイノルドが早馬を出し(これも部下に命令してやらせているのだ)、ジェイクに用件を伝える。余裕がないものだから、彼は自分でミュートがいた街まで行き、職員を捕まえて話を通し、子どもたちからの手紙を回収して戻ってこなければならなかった。
主人の願いをできる限り叶えるのが仕事だといっても、段取りだとか順番というものは存在するわけで。それを守らない無茶な命令は、拒絶されても仕方がない。
ミュートの提案に、レイノルドは首を傾げた。理解ができないらしい。彼にとっては等しく、自分の指示を聞くのが誰にとっても最優先事項だと思っているのだ。
大貴族の生まれだから、仕方がないのだろう。ミュートは「とにかく、手紙っていうのは待ってる時間も楽しいものだから、これからは早馬とか出さなくていい」と言って、ひとつめの話を終わらせた。
ふたつめは、招待状の件である。
彼は封蝋に刻まれた紋章を見ただけで、眉間に皺を寄せた。どうやら好ましくない相手であったらしい。
中の招待状についても目にやって、すぐにビリビリと破り去ってしまう。止める間もなかった。青筋を立て、「まったく、あの家の者はいつも……!」と、憤慨している。今後、同じ家から来た手紙については自分も無視を決め込んでもよさそうだった。
「すまない。この家の連中は、どうも私のことを気に入らんのだ。私の夫である君をからかい遊び、馬鹿にする意図があるのだろう」
「そうなんだ」
「そう。向こうが伯爵家で、うちに敵わないからといって、いつも絡め手で貶めようとしてくる、最悪な連中だよ。私の結婚相手が存命と知って、値踏みしてやろうという腹づもりだ。まったく、どうしようもない」
現代日本では考えられないほど、この世界では身分差がかっちりと決まっている。本来、侯爵家に嫁に来るのは、伯爵家以上の貴族の子女でなければ、釣り合いがとれない。
特に、レイノルドは現当主。侯爵夫人に求められるのは、知性と教養、それから彼に寄り添っても見劣りしない、鮮烈な美貌であった。
恥ずかしいことに、ミュートにはひとつも備わっていない。
「いいかい、ミュート。君は何もしなくていいんだ。私の傍にいて、面白い話を聞かせてくれれば、それで」
レイノルドも、本当は物を知らない自分を外に出すのが恥ずかしいのではないかと、疑いは日に日に大きくなっている。
そこにやってきた、招待状であった。もしも付き合いを深くすることで、メリットのある家からの誘いであったのなら、協力したかった。
日本にいたときは、仕事も役割も、与えられるがままだった。面倒臭いと言いながら、手放すこともできずにだらだらと続けていた。
異世界に飛ばされてきてからは、生きるのに必死だった。何もわからないのに、教会から放り出されたら生きていく術もない。
だから今、「何もしなくていい」と、レイノルドの抱き枕としての役割しか与えられないのが、空っぽで不安になる。ぬくぬくと貴族の生活の美味しいところだけを与えられ、花嫁死亡事件が解決したときに、本当の妻を迎え入れるからと捨てられたら、自分はその後、まともに生きていけるのか?
口をパクパクと開け閉めした。自分の気持ちを上手く言葉にできなくて、押し黙る。
「ミュート?」
不思議そうに声をかけてくるレイノルドに対して、微笑みを浮かべることしかできなかった。
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