<<はじめから読む!
<(8)
ミュートの日々は、レイノルドの比べると暇で仕方がない。この屋敷で唯一、与えられる仕事もなく、昼間からブラブラしていることの多い、いわば「いいご身分」というやつだ。まったくもって喜ばしい事態ではないが。
これが本当の「奥様」であったのなら、やることはたくさんあった。社交についてあれこれと考え、どの家の奥方・ご令嬢をお茶会に招待するのかを選定する。ふさわしい茶器や衣服を選び、気の利いた会話の種を、調度品や提供する飲食物に仕込んでおく。
子どもが生まれたら、今度は教育についても考えなければならない。共働きでないと我が子の養育費用が足りないと言われる現代日本に比べると、はるかにゆとりのある生活なのだろうと思ったが、人間関係や奥向きの政治を行わなければならないため、ストレスは同じくらいかかるだろう。
ミュートには、何もなかった。ただ、レイノルドと寝所をともにして、日本で楽しんでいたコンテンツをアレンジした物語を語り聞かせ、抱きしめられて眠る。喋る安眠枕である。そしてその実態を、閨の番をしているジェイクはもちろん知っていて。
「ミュート様ってどんな方なの?」
上級メイドは、騎士爵以上の生まれの娘たちが採用される。おそらく今、ジェイクに気軽に話しかけている少女は、彼と同じくらいの家の出身なのだろう。年齢はだいぶ下のようだが、ジェイクも怒ったり気分を害した様子はなく、雑談に応じている。
「どうって?」
特に何の用事もなく、あてどなく屋敷の中を彷徨っていたミュートは、自分が話題になっている場所に乗り込んで、「どれどれ俺の噂話か?」と、自ら話をしに行くような図太さはない。誰もがするように、壁の陰に隠れたまま、聞き耳を立てた。
ジェイク・フロウスは男爵家の息子で、ミュートの信任も篤い。人が一番無防備になる、寝室の見張りを任されるほどであるし、彼の口から出るのは、ミュートの次にジェイクの名前である。
そんな男が、主人のパートナーとなった男のことをいったいどう評価しているのか。直接顔を合わせるときには、表情を崩さないジェイクである。彼の本音を聞いてみたい気持ちがあり、逃げなかった。
「殿様と仲良くしているのかって話よ。あなた、『夜』はお部屋にずっと一緒にいるんでしょう?」
男同士のベッドでのやり取りなんて、下世話な話を聞きたがるものである。もしかしてこのメイド、腐女子か? 日本でのオタク友達にも「腐ってる」を自称する連中はいたし、その一部はリアルなゲイについても知識を得たいと貪欲であった。ミュートには、他人のセックス事情に首を突っ込みたがる気持ちがまるでわからない。
「仲良く、ねぇ……」
レイノルドに対してとは違い、敬愛の「け」の字もない態度で、彼はミュートのことを鼻で笑った。
「何を期待しているのか知らんが、アレは仮の妻だ。いずれは新しく、子を成せる奥方様を迎え入れなければならないことは、お館様も理解してらっしゃる。そうしたらお役御免さ」
ミュートは息を呑んだ。吸い込みすぎて、吐くのを忘れてしまうほど、心が揺さぶられた。
自分の頭では、彼が今言ったことと、まさしく同じことを考えていた。男である自分が、貴族の妻の座にいつまでも収まっているのはおかしいし、問題が解決した暁には、レイノルドには再びよい縁談が舞い込むだろう。
この世界、女性は若さと美貌が大切だが、男の場合は金と地位が重要で、レイノルドはそのどちらも持っているし、そのうえイケメンだ。
片目が赤いのは不吉だと言われているが、そんなものどうだっていいという強い女性もいる。実際、連続不審死があっても、七人も娶ってきたわけだし。
彼が自分の次に妻を迎え入れるという未来は、頭の中にちらと存在していても、具体的には像を結んでいなかった。再婚すれば、ミュートは彼のベッドの中で寝物語を語り聞かせることがなくなるということが、すっぽ抜けていたのだ。
現在、ミュートがレイノルド、あるいはマージュ侯爵家に貢献しているのは、結婚してもなお、生きているという一点だけだ。レイノルドの安眠に寄与してはいるものの、それは未来の妻の役割に変わるだろう。
――俺って、役立たずすぎないか?
この屋敷から追い出される未来を想像してみた。レイノルドは優しいから、友人になった自分を即追放することはないとだろうが、新妻はミュートのことを疎ましく感じるに違いない。彼の恩情に頼りすぎるのはよくない。
……じゃあ、どうしたらいいのだろう。
メイドかジェイクか、どちらかがこっちに向かってくる気配を感じ取って、ミュートはそっとその場を離れた。
漠然とした不安を抱えたミュートの元には、実のところ、様々な場所から招待状が送られてきた。お茶会であったり、レイノルドとともに参加する晩餐会であったり。
ミュートが男であることを慮っての狩りの誘いは逆効果であった。食べるためでなく、楽しむために動物を殺すことには、現代日本人としては抵抗がある。
中には、最初に寄越した人間のような邪な人間もいるが、だいたいはレイノルドに好意的で、彼が何度も妻を亡くしたことを悲しみ、ミュートが生きていることを喜んでくれている人だ。差出人の名前を見ている彼の表情から読み取れた。
せっかく呼んでくれているのだし、親交を深めるべき相手もいるだろう。ミュートは「心配なら、勉強してからにする。俺、頑張るよ」と勇気を出して主張するも、レイノルドは頑なであった。
何もしなくていい。傍にいてくれるだけでいい。
そうやって言われる度に、自分がひどく駄目な人間になった気がして、ミュートは日に日に意気消沈していった。レイノルドには、元気がない理由もわからなかったに違いない。
断りの手紙を書き続けていたレイノルドだが、彼がほぼ唯一、断り切れない相手というのがいる。
金色の封蝋に描かれているのが、この国の王家の紋章であることは、さすがのミュートにもわかった。
「国王陛下から、王子の生誕パーティの招待状だ」
社交の季節が本格的に始まるのだ。
秋の終わりから冬、土地持ちの貴族は領地の自宅から、王都の貴族街にあるタウンハウスに住まいを移し、普段会うことの難しい相手と交流を行う。
深い溜息をつき、眉間の皺をほぐす彼をよそに、ミュートは中身を読む。レイノルド宛のものだけではなく、自分宛のものも来ていたのだ。
まさか国王直筆ではあるまいが、丁寧な文面は、これを書かせた人間の思慮深さや思いやりを感じさせた。ミュートが異世界生まれであることを考慮してか、平易な言葉が使われている。こことは異なる世界から飛んでくる人間は、百年のうちにひとりかふたりだというから、知見もそこそこに溜まっているのだろう。
ちらりとレイノルドの顔色を窺う。いまだ難しい表情を崩さない彼は、いかにしてミュートの参加を断るかを悩んでいるに違いない。そもそも、王都に連れていくことすら渋っているのだ。
いっそのこと、当日に急病になったことにすればいいのでは、という結論に至るのも時間の問題だ。
「レイノルド。俺は、そんなにみっともない?」
王様の前、貴族の前に出せないくらい、見た目も悪ければ、マナーもなっていない人間なのか。
自分への自信をみるみるなくしていくミュートを見てとったのだろう。慌てて、「そんなことはない!」と否定するが、首を横に振る。
「俺は、レイノルドの友人で、理解者だと思ってるよ。だから、役に立ちたいとずっと思ってる。今の状況じゃ、俺はただの抱き枕だ」
「ミュート、それは……」
「俺は元いたところでも大した家柄じゃないし、何にも知らない。レイノルドはひとつも教えてくれなくて、閉じ込めておこうとする」
それがしんどい。
正直な気持ちを吐露すると、肩を強く掴まれる。痛くはない。ただ、勢いがよすぎて、顔を顰めてしまった。
レイノルドは眉を寄せ、必死の形相でミュートに言い訳をする。
「違う! ただ、私は君が傷つくことが嫌なんだ。ミュートが侮られるのを見るのが……」
「じゃあ、侮られないように俺のことを鍛えてよ。マナーとか教養だとか、そういうの」
ミュートの懇願に、彼はまだ躊躇いを見せる。侯爵家、広大な土地を治める領主のパートナーとして求められる知識や振る舞いは、ミュートが想像する以上のものなのだろう。
もともと嫁いできた花嫁たちなら、実家で身に着けているレベルのものだ。何も知らないミュートにものを教えられる人間の選定も難しいだろう。知識がまるきりゼロなのだから。
それでも、ミュートは覚悟した。この国で生きていくには、もはやこの男の庇護下にいるしかない。
正式に籍を入れることはなくとも、この身はすでに一度嫁いだ身。新たな妻を迎え入れるときに追い出されても、帰る実家はない。最近届いた教会からの手紙を読むと、出戻りは許されないことは明白であった。
役に立たなければならない。ジェイクは配偶者の身分を失い、ごくつぶしとなった自分をいよいよ容赦しないはず。彼の考えに同調する者も多い。
この屋敷の使用人のひとりとして受け入れてもらえるくらいにはならないと、異世界ライフのお先は真っ暗だ。
「お願いします。俺は、レイノルドをこれからも支えていきたい。役に立ちたい!」
頭を下げた。しばしの時間が経過する。細い溜息は、微笑みを含んでいる。
「……わかった。国王主催のパーティだ。参加できるように、取り計らおう」
顔を上げ、ミュートはガッツポーズをする。こちらの世界ではメジャーではないらしく、レイノルドは奇妙なものを見るような目を向けたので、少し恥ずかしい。
「俺、頑張るから!」
「無理はしないでくれ……私は君の寝物語がないと、安眠できないのだから」
抱き枕の役目だけで屋敷に残れるわけがない。それ以上の価値を示すため、ミュートは気合いを入れ、鼻息を荒くした。
>(10)

コメント