「しつこい、最低男」
罵りと同時に、頭から水をぶっかけられた。溶け切っていなかった氷が、額に当たって痛冷たい。
氷水と同じくらい冷ややかな目をした女は、空のグラスを叩きつけるよう置いて、出て行った。
「あ、おい、金……」
蒼の言葉に、女は一切振り返らなかった。たかだか三五〇円のドリンクバーとはいえ、今の自分にとっては大金だった。
「あの、お客様……」
若い女の店員がタオルを寄越す。蒼は「ありがとう。騒いですんません」と、謝罪した。サングラスをちらりとずらし、やや青みがかった瞳を覗かせる。
すると、彼女の頬がパッと赤らんだ。
「えっ、アオ? れいん坊主の……?」
ぺこっとお辞儀をして、使ったタオルを彼女に返却し、伝票を片手に立ち上がった。
注目を浴びるなら、こんな修羅場でなく、稼げる場所じゃなけりゃ意味がない。
――あんな地味な店員でも、まだ俺のことを知っている。今のうちに相方、早く探さねぇと。
セルフレジでコード決済をする。ペンペーン、と軽快な決済音が不愉快で、蒼は出てきたレシートをポケットに突っ込んだ。
店の外に出ると、雨が降ったあとの涼しい風が吹いてくる。梅雨の晴れ間、まだ濡れたままの蒼は、へくしゅん、と大きなくしゃみを一発して、鼻を鳴らした。
誰もが動画コンテンツを制作、アップロードして収益を得ることができる現代。
最大のプラットフォームは、大手webサービス会社が提供している、「ウェイチューブ」だ。
群雄割拠のウェイチューバ―の中でも、登録者数が百万人を超えるのは一パーセントにも満たない。
そんな選ばれし者たちの一組が、久賀野蒼が「アオ」という名前で所属していた、男ばかり七人組の「れいん坊主」だった。
高校の先輩であったアカイシに、「お前の顔を貸してくれ」と誘われ、バイトを転々とするのに嫌気がさしていたタイミングでもあったので、乗った。それが五年前。百万人を突破したのは、三年前のことだ。
――れいん坊主は、三か月前に突然解散した。ファンたちは「青天の霹靂!」やら「嘘でしょ信じらんない」と嘆いていたが、叫びたいのは蒼の方だった。
解散話は水面下で進んでいた。何度も何度も話し合った。最終的には六対一になった。
解散したくないと駄々をこねていたのは蒼だけで、他のメンバーはみんな、解散後にやることをちゃっかりと見つけていた。
とうとう蒼だけが納得もしていなければ、次の進路も見つかっていないまま、解散に至ったのである。
収入はよかったが、貯金はほとんどない。あればあるだけ使っていた。増やそうと意気込んで馬券を買ったりパチンコを打ったりしたが、負け越しだ。
このままでは、フリーターに逆戻りだ。いや、あの頃よりも悪い。蒼は当時と違い、名が知られている。
コンビニで働いているなんてバレたら恥ずかしい。通帳残高を気にしつつも、「れいん坊主のアオらしさ」を追求し、SNSへの投稿に余念がない。とにかく金がかかった。
なのに、解散前と比べて「いいね」がつく数が目に見えて減っている。
マンションは解約した。更新料を払える見込みがなかった。ビジネスホテルを転々とする生活もそろそろ限界で、来週からは漫画喫茶に寝泊まりすることになるだろう。
あの、れいん坊主のアオが! 動画の企画でもなんでもないのに!
――カップルチャンネルを立ち上げて、再び荒稼ぎしようと思いついたのは、つい先日のことである。
友人のゲーム配信者に、「話がある」と呼び出された。奢りなら行く、と返信したら、秒で「いいよ。お前相手に割り勘とかないって知ってるし」と、なんとも理解あるお言葉が返ってきたので、ほいほいと向かった。
そこにいたのは、彼だけではなかった。ぼやっとした顔の女が彼の隣にいて、非常に仲睦まじい様子である。絡ませあった指、ふと見れば、左の薬指に銀色の指輪があった。
ふたりは蒼の視線を読んで「ニィ~」と笑う。
「結婚しましたぁ!」
「マジかよ、祝儀はねぇぞ」
おめでとう、よりも先に金の話がうっかり出た。女の名前を聞けば、アニメアバターで活動する、顔出ししないタイプの配信者だった。
「で、俺らカップルチャンネル始めたんだけどさ」
最初、蒼は興味ゼロだった。タダで飲み食いできるのをいいことに、単価の高い酒ばかりを注文する。向こうも稼いでいるので、特に気にしていない。
彼らが言うには、カップルチャンネルを始めたことで、相互のファンが合流しただけじゃなく、これまでなんとなく登録してこなかった、潜在的視聴者をも取り込むことができたのだという。
これでも蒼も、配信者の端くれ(休業中)である。「そんなことあんのか?」と、興味を引かれ、身を乗り出した。
「料理したり、顔出ししてVlog撮ったりしてたら、アニメアバターにもゲームにも興味ない層も釣れたっぽい」
さすがにお互いの個人チャンネルの登録者数に迫るまではいかないが、とっくに収益化の基準はクリアして、数万人単位のコミュニティが出来ているらしい。
「お前今、何もしてないじゃん?」
痛いところを突くなよ、と言葉にしない代わりに、ぐいっとウィスキーグラスを呷って、次のオーダーをしようとタブレットを手にする。
「顔だけはいいし、モテるんだから、やってみたら? カップルチャンネル」
そう提案されたときは、酒も入っていたし、冗談だと思った。
だが、後になって考えてみると、それはとても合理的な気がしてきた。蒼ひとりでは限界がある。そもそも家すらない根無し草の状態なので、一刻も早く、飯のタネを見つける必要がある。
カップルチャンネルにかこつけて、女の家に転がり込む。動画を撮影して、編集をする。れいん坊主初期には自分たちでやっていたことだ。簡単なことならできる。
彼女にも覚えてもらって、最終的には丸投げする。経費の計算とか税金とかもよくわかんないし、数字に強い女がいい。
蒼はかたっぱしから、過去に付き合った彼女たちに連絡を取った。女好きで、彼女を切らしたことはないが、浮気をしたことは一度もない。基本的に円満に別れていたため、「やっほー久しぶりー」で、会う約束を取りつけるところまでは楽勝だった。
けれど、実際カップルチャンネルをやろうと提案すると、渋られた。
顔を出したくない。仕事に支障が出るからダメ。
乗り気になって話を聞いてくれた女も、蒼の要領を得ない説明や、最終的には全部を丸投げしようとしている態度に気がつくと、「ごめん、他の子に頼んで」と、断られた。
そして今日の女である。いよいよ金に困り始めた蒼は、焦っていた。二十七歳にもなって恥ずかしいことだが、街中でナンパして、自分と一緒に配信活動をしてもらう子を探すという最終手段に出た。
「そういうの興味ないから」
ファミレスに入ってから要件を繰り出したが、すげなく断られた。どうにか一ヶ月、いや三か月だけでも一緒にやってほしくて少ししつこくしたら、冷水ぶっかけ事件になってしまった。おとなしそうだったのに、女は見かけによらないものである。
カプセルホテルの狭い空間で、蒼はSNSをエゴサする。まだまだたくさんのユーザーが、蒼のことやれいん坊主のことを呟いていて、ホッとする。
カップルチャンネルを一緒にやってくれる女が見つかっても、自分が忘れ去られていたのでは意味がない。価値があるのは「元れいん坊主のアオ」がやる「カップルチャンネル」なのだ。
「ん……? なんだコレ」
しばらくしたのち、目に入ったのは、とあるアカウントのプロフィールだった。
れいん坊主のファンは、名前の後ろに虹と坊主の後ろ頭の絵文字を入れている。蒼アイコンから、自分のファンだろうと予想をつけて踏んだプロフには、「aosn」やら「akrn」やら、謎の暗号が書いてあり、さらには別アカウントへの誘導があった。飛んでみると、そちらは非公開だ。
「……」
調べているうちに、どうやらこの暗号は、「アオシノ」や「アカレン」と読むのだと理解した。
シノ、アカイシ、レンジ。れいん坊主の元メンバーたちだ。たまに非公開になっていないアカウントがそんなような旨のことを叫んでいて、ようやく判明した。
そういえば前にメンバー最年少のモモタローと一緒に街を歩いていたときに、もさっとした格好のいかにもオタクって感じの女二人組に声をかけられたな、と思い出す。
あのときの彼女らの顔といったら、エロ本に興奮した中学生でもそんな顔しないだろ、という代物であった。
また、救命措置をみんなで学ぼう! という割と真面目なテーマの動画の中で、真剣な空気に耐えられなかったアカイシが、隣にいたヤマブキ相手に「順番待ってられないから、俺らはこっちで……」と、顔面を限りなく近づけたことがあった。
その瞬間だけ何度もリピート再生されているのを、メンバーの半分は疑問に思い、残りの半分は半笑いであったことを思い出した。
たぶん後者はみんな、男同士でイチャイチャしたり、果てはセックスまで下世話な妄想をされていることを知っていたんだな……。
なんだか精神力を消耗して、蒼はスマホから手を離した。
生粋の女好きである蒼は、ホモだとかゲイだとか、そういうのはわからない。自他ともに認めるイケメンの蒼やシノ、可愛い系で今はアイドルに専念しているモモタローあたりならわかるが、赤毛の坊主がトレードマークのアカイシや、副業で動画に出ている一般サラリーマンのヤマブキまで妄想されているとは、なんとも逞しい。
――こういう連中って、本当に俺がホモだったりしたら、どうするんだろ? 喜ぶ? 喜ぶかも。そしたら投げ銭も……。
蒼は雷の直撃を食らったかのように、跳ね起きた。隣近所のカプセルに入っている人間が、舌打ちをして壁を殴ってくる。
蒼は自分のアイディアの検討に入ったため、気にならなかった。
もともと、カップルチャンネルは金を稼ぐためのもので、本気で付き合うわけじゃない。
それなら、女じゃなくて男でもいいんじゃね? むしろ、女じゃない方が部屋に転がり込んでも問題なさそうだし、本気で関係を求められたりとかもしなくて、気安いかもしれない。
これまでに最低でも十数人に振られている蒼は、スマホに入っている連絡先を見ながら、慎重に相手の選定を進めていき、そうして夜は更けていくのだった。
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