八月半ばの体育館は、いくら北海道とはいえ、暑苦しい。
休暇中はTシャツにショートパンツ、風通しのいい格好だったから、余計に。下着だって、パット付きのタンクトップ一枚で過ごしていたから、ワイヤーの入ったブラジャーが窮屈で仕方がない。
乳房の下のかゆみに耐えながら、望美は周囲がざわざわとかしましい中、ぼんやりとしていた。
始業式の式次第なんて、決まり切った手順があるはず。なのに、何をそんなに長々と準備する必要があるのか。担任がそちらに駆り出されている現状、雑談を注意する人間はいない。
強いて言うなら、クラス委員である望美こそが、「静かにした方がいいんじゃないの」と言い出す資格があるのだろうが、面倒なことになるのは、目に見えている。
「委員長でしょ?」の一言で、すべてを押しつけるために任命されたのだから、これ以上はごめんだ。
何も聞かない。何も見ない。耳や目を、物理ではなく精神で塞ぐのは得意だ。
ただし、雑音の遮断にばかり意識をやっていると、かゆみが耐えがたくなってくる。無意識に引っ掻きそうになって、ハッとする。
中高一貫の私立の女子校。外の人間は、しずしずとおしとやかなお嬢様か、女を捨てているかの両極端な想像をする。全員が全員、どちらかに割り振られるわけではないが、望美はどちらかと言えば、前者だ。
セーラー服のスカートは、いつだって膝より下、規定ラインを守っているし、リボンを取り外したりしない。上衣の中に手を入れて、堂々と掻くような、恥知らずなことはしたくない。
我慢していると、次第に別の場所までかゆくなってくる気がするから厄介だ。
ああ、上靴を脱いで、スカートの中が見えるのも気にせずに、足の裏に爪を立ててしまいたい。
耐えがたい欲求に抗っていると、いつの間にか準備が整ったらしく、教頭の「静粛に!」の声が響いた。マイクのチューニングが合っておらず、ハウリングがすごい。
キーン、という音に、自分の声ながら、教頭は顔を顰めた。それでも一向に静まらない生徒たちに、再び大きな声を張り上げた。
「静粛に!」
たった一言、先ほどよりも威厳に満ちている。同じ言葉でも、感情の乗り方が違った。どこかの誰かじゃなく、「自分」に向けて言われているのだという当事者意識が芽生え、周囲の生徒たちはぴたりと雑音を垂れ流すのをやめた。
静かになると、より一層、自分がもじもじしているのがばれそうだ。
そう、少しだけ。少しだけ、掻くことができれば治まるのに……。
放送部の人間が、司会進行を務める。ピアノの音に合わせて一礼をして、それから典礼局員の先唱に合わせ、主の祈りを唱える。
「天におられる私たちの父よ……」
クリスチャンではないが、在校五年目ともなれば、空で暗唱することができる。一分に満たない祈りの最後、十字を切るときに、とうとう我慢できなくなった。望美はさりげなく、ブラジャーの境目を制服の上から指で強く掻いた。一瞬治まったかと思えば、再び、いや、より増してかゆくなる。
ああ、面倒くさいな。早く終わらないかな。教室に入る前にトイレに行って、思う存分、素肌の上から掻きたい……。
校長の長い話が終わったかと思いきや、続けて彼女は、舞台袖に向かって手招きをした。
まだ続くのか、という生徒たちの気配に、校長は気づかない。小学校のときもそうだったけれど、長々と説教をするのが生きがいらしい。
特に、この学校の校長はマスール……修道女だ。
夏休み気分から学校生活に意識を引き戻すためだけではなく、カトリックの教えについても生徒たちに話さなければならない。 残念ながら、聖書のありがたい教えは、望美の記憶にはほとんど残っていないけれど。
「この学校でしばらくの間、私たちとともに過ごす、セイガンシャを紹介します」
セイガンシャ?
聞き慣れない言葉に、生徒たちはざわついた。成績だけはいい望美にも、よくわからない。請願者、だろうか。
「わかりやすく言うと、マスール見習いです」
なるほど、神に仕える修道女になることを請願してきた人物ということか。
なりたいと思ったことは一度もないから、修道女になる方法は知らない。学校経営をしているとはいえ、その一員になるということは、出家することだ。ある程度は俗世から離れることになる。
見習いとして登壇したのは、まだ若い女性だった。顔立ちは、さすがに列の真ん中あたりにいる望美にはよくわからないが、第一印象は、なぜか「強そう」だった。
「イズミキョウカです」
声はマイクを通した点を差し引いても、低かった。男性とまでは言わない。アルトの中でも、低音が得意そうなざらついた声質に、望美の第一印象は間違っていないようだ。
それにしても、イズミキョウカ、である。
くすっと笑ったのは、高等部の特進クラスの一部だけだった。明治生まれの文豪と、まったく同じ音の名前をつけた親は、わざとなのか。それとも偶然なのか。
どちらにしても嫌だな、と望美は思う。
わざとなら、名前に込められた意味は半分冗談というか、ダジャレだし、偶然ならば、親が無知すぎる。
自分だったらどちらも耐えられない……と考えて、望美は喉の奥で嗤った。
そもそも、今の名前だって嫌いなのに。
「スール・イズミにはマリア寮に住み込んで、仕事をしていただきます。主に関わるのは寮生の皆さんですが、校内に来られることもありますので、皆さんよろしくお願いしますね」
見習いマスールの彼女は、校長にすべてを委ねていた。自己紹介はなく、よろしくお願いします、の一言だけだった。
マリア寮。この学校にはふたつの寮があり、そのうちのひとつだ。そして、望美が普段生活している場所でもあるため、必然的に彼女とは、多かれ少なかれ、関わることになる。
寮母を務めるマスールは、老婆である。時折訪れるOG、三十代の彼女たちが在学中も「おばあちゃん」だったと言うから、いったい何歳なのか。
二十代の新しいマスール(見習い)に、全校生徒の一割にも満たない寮生はそわそわしている。同じクラスにも何人かいて、望美に「ねぇねぇ」と、話しかけてくる。
「すごい若いよね。マスールっておばあちゃんになったらなるもんだと思ってたわ」
いや、老人ホームかよ。
内心のツッコミはおくびにも出さず、望美は愛想笑いを浮かべた。だが、彼女の言い分ももっともなのだ。
今年十七歳になる望美は、自分が出家するケースを想像しようとして、できなかった。俗世を捨てるには、若すぎる。
特にやりたいこともなく、漫然と過ごしている自分であっても、日々の楽しみくらいはある。
すべてを捨て去るのは、今の自分では無理だと思った。
「静粛に!」
再び教頭の一喝が入り、どうにか静まりかえったところで、放送部員のゆったり落ち着いた声で、聖歌の指示が入る。
慌てているのは、入学から一年経っていない中等部の一年生か、外部進学してきた高校一年生。彼女たちは、聖歌集の該当ページを開き、楽譜とピアノ伴奏を頼りに、恐る恐る口を開く。
冊子にはいろいろな歌が掲載されているが、朝礼や行事などで実際に歌うのは、ごく一部だ。上級生はすでに一巡以上しているため、持ち歩かない。
そういえば聖歌集なんて、どこにやったっけ。ロッカーに入れっぱなしのような気がする。
すでに何度も歌ってきた曲を聞きながら、望美は口を大きく開けた。音は出さずに。
口パクの理由は、単純だ。壊滅的な音痴、なのである。全員が一本調子にしか歌えない幼稚園の頃はいざ知らず、小学校のときにテストで「音痴」の烙印を押されて以降、決して人前では歌わない。
実際、その方が周囲の人間にとっても都合がいいのだ。合唱コンクールで、音楽教師は「全員声をきちんと出しなさい!」と指導するが、音痴がひとりいると、和を乱す。
指揮者も伴奏者も、望美が指示に従わずに口パクを貫くと、あからさまにホッとしてみせた。
ずっと、音楽の授業は嫌いだった。リズム感もよくない。必要に駆られて地道な練習でどうにかしようと今更思っても、もはや遅かった。
(あ)
短い曲だ。終わる直前に、望美は気がついた。
あの見習いマスールも、口パクだ。口パクのベテランだからこそ、望美にはわかった。
ミサは年何回かある。わざわざカトリック教会の神父を呼び、全校生徒が体育館に集合するのだ。
その度に何曲も歌わされるから、クリスチャンにとっては歌唱も大切な祈りの一部なのだと知っている。
実際、スール・イズミよりも何十歳も年上の校長は、人一倍大きな声で天に届くように歌い上げている。
あの人も、音痴なのかな。
少しだけ親近感が湧いたところで、始業式は終わった。平凡な学校生活、二学期が始まることに、望美は深い安堵を覚えていた。
いつの間にか、かゆみはなくなっていた。
>(2)
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