歌ってマスール(14)

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ライト文芸

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(13)

「ええ、そうです。はい。今日は私のところで面倒を見ますので。明日の朝、ホテルまで送ります」

 鏡花が電話でやりとりをしているのは、担任教師だ。

 東京に研修に来た彼女が宿泊しているのは、もちろん修道院である。

 姉妹校と隣接する場所にあるそこは、俗世で生きる望美には、未知の場所だ。

 てっきり出家していない人間は入ってはいけないのかと思っていたが、全部が全部、そういうわけではないらしい。

「最近は多いらしいよ。修道女になるほどではなくても、癒やしを求めて修道院に来る人」

 学校経営を始め、開かれたキリスト教を標榜する組織らしく、迷える現代人を受け入れる態勢も整っている。

「僧坊っていうの? お寺に泊まって写経したりするのも流行ってるでしょ? ああいうのと一緒」

 キリスト教よりも仏教に馴染みのある日本人なので、そう言われると納得した。

 駅のトイレで修道服に着替えた鏡花が、具合の悪くなった生徒を助けたと説明をし、望美にも部屋が与えられた。質素ではあるものの、宿泊しているホテルの部屋よりも若干広い。

 ベッドの上で、望美は借りたままのカーディガンの前を掻き合わせていた。今更ながら、身体の震えが止まらなかった。鏡花に助け出されなければ、今頃……。

「っ、くしゅん!」

 突然のくしゃみは、普段よりも大きな音が出た。鏡花がこちらを見る。電話の向こうの教師にも聞こえただろう。信憑性が増した。鏡花はそれから、二言、三言交わして頷き、通話を切った。

 鼻水がずるずると出続けているのは、涙が止まらないからだ。

「ほら」

 差し出されたティッシュを、遠慮なく使う。何度も鼻をかみ、顔を拭いているとビリビリした。悪夢ではなく、これが現実なのだと思い知らされる。

「な、なんで、マスールが?」

 いかがわしい建物が並び立つ、渋谷の裏通りに、修道女が偶然通りかかるなど、考えられない。そのうえ彼女は私服を用意していた。事前に知らなければ、助けに来られない。

「だ、だれに?」

 誰かが望美の居場所を告げ口したのだと考えて、思い切って口にした。

 鏡花は静かな目をしたまま、首を横に振る。

 彼女はスマホを操作して、画面を見せた。写真投稿がメインのSNSだ。望美はそこに映っているものに、息を飲む。

「誠、さんの……」

 あの男のアカウントは、無防備だった。顔写真を堂々と載せていたし、ID名も望美の知るLINEのものと同じだ。

「吉村さんのこと、いろいろ書いてて……」

「え?」

 引ったくって投稿内容をよく読めば、それは「狙っているJKがようやく落とせそうだ」という話に終始していた。

 いつのまに撮影し、アップロードしたものか、望美の後ろ姿の写真まである。今日撮ったものだ。

「うっ」

 途端に吐き気がこみ上げてきた。鏡花はすべて心得ており、ゴミ箱を望美に持たせると、そのまま横に座った。

 嘔吐している間、彼女は背を摩ってくれた。

「粟屋さんが、教えてくれたの」

 すべてを吐き出し、水を飲みながら、望美は鏡花の話を聞く。

 菜々が?

 修学旅行直前にも一悶着があった。なぜ自分のことで鏡花に相談をしに行くのか、ピンと来ない。ぐすぐすと鼻を鳴らしながら、旅行前の菜々の言動を思い出す。

 誠と会うことを反対された。そのときだけの話だと思っていたけれど。

 菜々は一瞬だけ見えた誠の名前と写真、IDの一部から、他のSNSを調べた。そしてアカウントを特定した後、鏡花に相談した。

 曰く、「あたしの話なんて、あの子は聞いてくれないから」と。

 鏡花は、自分もタイミングよく東京へ研修へ行くこともあり、協力を請け負った。

 SNSを監視していた菜々からの連絡を受け、研修を抜け出した彼女は、あらかじめ隠し持っていた私服に着替えて、助けにやってきた。

「間に合ってよかったよ」

 ふーっと長い息を吐き出した鏡花の指が、何かを探す。

 ああ、きっとタバコだ。

 きっと、彼女は急に出家を思い立ったに違いない。禁煙の習慣がつくよりも前に、修道会の門を叩いた。

 請願者が本当のマスールとして受け入れられるまで、どのくらいかかるのか知らない。鏡花が寮で一緒に生活をするようになってから、三ヶ月になる。長く中途半端な状態で留まっているのは、彼女の中の「迷い」を、年配のマスールたちが見抜いているからではないだろうか。

「なんで……」

 誠のSNSを見ただけで、ピンポイントであの場所がわかるはずがない。

 望美の疑問に、彼女が答える義務はない。ないのに、鏡花は昔語りを始めた。

 修道院の夜は静かだ。鏡花の声以外は、聞こえない。

「あたしさ、昔はいろいろやんちゃしてたんだよね。それこそ、援助交際とか」

 今も援助交際って言ってわかるんかな?

 鏡花は自虐の笑みを浮かべる。

 若い子がどんな場所でコトに及ぶのか、それこそ手に取るようにわかった。

 鏡花は望美の頭を撫でて、柔らかな目を向ける。哀れむように、理解者であるように。

 彼女は今、マスールとして、良識のある大人として接するべきか、人生の失敗談を語る愚かな人間として接するべきか、揺れている。「私が、馬鹿だったんです……お兄ちゃんの親友だったからって、全部信用して、ちょっと格好いいから、好きになっちゃって……」

 誠にホテルに連れ込まれそうになったのは、自分の油断があったせいでもある。ならば今回の彼の行動は、自分への戒めだったのかもしれない。望美は自己嫌悪する。

 助けてくれたのはありがたいけれど、自分には罰が必要だったのではないだろうか。

 見透かしたように、鏡花は望美の頬を両手で包み込み、やや強引に自分の方を向かせた。 部屋には、月光が差し込んでいる。照らし出される彼女は、普段寮にいるときよりも、聖職者然としていた。真剣な顔で、望美を諭す。

「馬鹿なことを考えるんじゃないよ」

「でも」

 そしておもむろに、鏡花はワンピース型の修道服を捲り上げ、下着もずらして下腹を露出させた。大きな傷跡に、言葉を失った。

「……最初のきっかけは、今のあんたと似たようなもん。馬鹿な男に騙されてさ。まあ、いろいろあって初体験して、それでどーでもよくなってさ、お金もらえるならなんでもしようって。子ども出来たって、堕ろせばいいじゃんって。その結果が、コレ」

 もう彼女は、子どもが産めないのだという。

「馬鹿だったと思う。無茶してるときにさ、歌うめぇじゃんってバンドに誘ってくれた人がいて。コイツもカラダ目当てなんだろうなって適当にあしらってたんだけど、アイツ、真剣で。だから」

 鏡花は歌った。アマチュアバンドのボーカルとして。それから、彼女を誘った男の提案で、ネット上に歌ってみた動画をアップするようになった。

 すると応援してくれる人がどんどん増えていった。

 鏡花は自暴自棄な生活を改め、ネットの歌姫として生まれ変わることを決心した。

「その頃には、あたしの方がアイツのこと好きになってて……結婚の約束もしてたんだ。妊娠もした。だけど、ダメだった」

 若くして堕胎を繰り返した肉体は、待ち望んだ愛する人の子を産み落とすことができなかった。その際、子宮を取り出さなければ鏡花の命も危ぶまれ、彼女は妊娠できなくなってしまった。

「アイツには、本当に悪いことをした。私なんかとじゃなくて、もっとちゃんとしたお嫁さんもらえよって言って別れて……あたしは、歌うのを、やめた」

 それが、愛した男と顔を見ることもなかった我が子への、罪滅ぼしなのだと。

 まだ膨らんでもいなかった腹、胎内で目すらできない我が子へ、鏡花は「愛しているよ」と子守歌を口ずさんだ。

「歌に合わせて、あいつは腹を優しく叩いたりしてさ。子どもが流れたとき、平気な顔であたしのこと慰めてたけど、裏じゃめちゃくちゃ泣いてたんだ」

 鏡花が歌い続ければ、彼は亡くした子のことを想い、辛い思いをすることになる。

 バンド活動も、ネット上の歌い手としての活動もすべて止めた。それでも追いかけてくる恋人から逃げるため、鏡花は修道会の門を叩いた。東京ではなく、縁もゆかりもない函館へと逃げてきた。

 壮絶な過去話に、望美の目からは新たに涙が零れ続ける。

 鏡花が聖歌を口パクでごまかしているのに、まさかそんな理由があったなんて。

 彼女は、自分の歌を贖罪のために封印した。神ではなく、生まれなかった自分の子どもだけに捧げた。

 校長たちが見過ごしているのは、きっと、請願を立てる際にすべてを告白したからだろう。

「あんたはあたしと似ているよ」

「マスール……」

「不満がいっぱいあってさ、それを相談できる相手もいない。この人は、って思ったところで騙されるんだ。だって、子どもだから」

 出しっぱなしになっていた腹をしまって、鏡花は何事もなかったかのように笑う。

「ま、あたしが吉村さんにとって、そういう存在になれるとは限らないんだけどね」

 大人になりたい。

 漠然と、望美は思った。鼻をすすりながらだと、説得力がないけれど、とにかく大人になりたいと思った。

 簡単に騙されない。騙されたとしても、正しい身の振り方を考えられる、そんな大人に。

 鏡花がこうして笑えるようになるまでには、何があったのか。望美には想像するしかない。

 ただわかるのは、彼女は自分と同じ道を、望美に辿ってほしくないと思っていること。大人になるためには最短距離だったかもしれないけれど、鏡花が生きてきた道は、茨の道で困難が多すぎる。

 今の自分に唯一できることは。

 望美はスマホを取り出した。案の定、メッセージも通話も着信が山ほど来ている。その大部分は誠からのものだった。

 最初は「そっちが誘ったくせに」「俺のことが好きだろ?」と開き直っていたが、既読もつかないことに慌て始めると、「同意だったよな?」「俺は何もしていない」と、自己保身に走っていた。鏡花に言われて警察に届けたのだとでも勘違いしたのだろう。

 トークページをずっと見ていたのか、既読がついたことに気がついた誠から、音声通話を求める着信があった。

 ああ、なんて格好悪い男。

 望美は、こんな男を好きになったことを黒歴史として葬りながら、鏡花が見守る中で、誠の連絡先をブロックした。

 

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