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翌朝、鏡花に伴われて、元々の宿泊先であるホテルへと帰った。
修道院は静かで、自分の愚かな行いを嫌というほど反省した。眠れないと思ったが、実際はよく眠れて、鏡で見た顔はまだ腫れていたが、晴れ晴れとしていた。
世話になった礼をしに訪ねた修道院長にそんなことを言えば、「それが神と対話をするということなのですよ」と、微笑まれた。
鏡花と一緒に電車に乗った。敷地外で見る修道女の姿は、通勤・通学中の人の群れからは浮いていた。
彼女は「うちの制服を着た生徒が、街中で具合悪そうにしていたので」と、担任たちに改めて説明をした。泣きはらした望美の顔には、説得力があった。
「なんでまっすぐホテルに戻らなかったの!」
と、愛理には怒られ、香川たちにはじろじろと睨まれたりした。ごめん、と一言謝って、望美は改めて部屋へと戻り、急いで荷造りをする。
最終日の今日は、テーマパークへと行く日だ。帰りはそのまま空港へと向かい、函館に帰る。
完全自由行動なのをいいことに、ひとりでいようと最初から決めていた。
バスの中では寝て、到着後にリーフレットを眺め、休めそうな場所をチェックしていると、「あ、いたいた」と、菜々に見つかって、強引に引っ張られた。
あれよあれよという間に、一緒に回ることになっていた。
まだむくんでいる顔を見ては、体調を都度確認される。菜々のグループはもちろん、特進クラスの人間はいない。けれど、初対面の望美を明るく受け入れてくれた。
これをきっかけに、菜々とも普通に話すことができるようになるかと思ったが、残念ながら、その場限りだった。寮に帰ると、友人未満の同室者として、最低限の会話をする関係に戻った。
菜々は、あの日望美の身に何があったのか、勘づいている。時折、物言いたげな視線を感じた。
興味本位、好奇心由来のものではなく、気遣わしげなものだから、なんとか説明をしなければ、礼をしなければと、そう思うのに、望美は結局、何も言えないでいる。
寮生活はいつも通り淡泊だ。勉強の合間に、談話室へと向かい、兄の遺したパソコンを弄る。
兄の動画には、誠が協力していた。意識の外に追い出そうとしても駄目で、気持ちが悪くなる。
ぽてさらPの動画をすべて削除したい衝動に駆られるが、そこはぐっと我慢した。
これでは作業どころではない。望美は自分のアカウントに切り替えて、歌ってみた動画をランダムに再生する。
ヘッドホンの中を満たす音。人気順に再生しているから、プロのシンガーの動画も入っている。
この中に、鏡花の動画もあるんだろうか。
地声と歌声は異なる。鏡花のハスキーな声なら、すぐに気づきそうなものだが、実際「似ている?」と思っても、よくよく調べれば、現役の歌い手だ。彼女ではない。
だいたい、望美は鏡花の歌声を一度も聴いたことがないのだ。わかりっこない。
ぼんやりしていると、急に音が遠ざかった。ヘッドフォンが急に故障したのかと慌てるが、単純に取られただけだった。
「粟屋さん」
談話室で彼女と会うのは初めてだった。そもそも菜々は、この部屋には滅多にやってこない。
「吉村さんって、こういうの見るんだね」
淡々と言われ、ハッとする。
歌ってみた動画も、ボーカロイドで作った曲も、今人気があるものの多くは、アニメーション動画がつきものだ。オタクだと思われて馬鹿にされると思いきや、
「あたしも結構好き。ってか、自分でもやってみたいんだよね」
「えっ」
と、衝撃の告白をされる。
どう見てもオタク趣味とは縁遠い彼女が、動画サイトで日夜、ボカロ曲を漁っているなんて思わなかった。なんなら望美よりも詳しい。さすがにぽてさらPのことは知らなかったが。
「カラオケで練習してるんだけど、ボカロ曲ってやっぱむずいわ」
そういえば、と思い出す。
寮は寮で、独自の行事がある。新入生歓迎会も、卒業生とのお別れ会も、学校だけじゃなく、寮でも執り行う。
今年の新歓で、菜々は歌を披露した。流行りのバンドの曲は、男性ボーカルにしてはキーが高く、素人の耳でも困難な楽曲だったが、彼女はみごとに歌いきっていた。自分なりのアレンジまで加えて。
「粟屋さん、歌上手いもんね」
それこそ、歌ってみた動画をアップしたら、人気が出そうだった。
素直に褒めると、「でしょう!?」と、嬉しそうだ。
共通の趣味が見つかると、話が弾む。なんだ、最初から隠さずにいればよかった。
「吉村さんがボカロとか興味あるの知っててさ、本当はもっと前から、ちゃんと話をしたかったんだけど……でも、出だしでケチつけちゃったから、話しづらくて」
時折望美の机の周辺にいたのは、本棚に立ててあるボーカロイドの手引きやらなんやらを、こっそり見ようとしていたかららしい。
言ってくれれば、ちゃんと貸したのに。
ノートパソコンを片付けつつ、自室に戻ったら菜々にボカロ関連の書籍を見せることを約束した。曲作ってるの? と問われて、曖昧に頷いた。否定とも肯定とも取れるように振る舞うのは、得意だった。
「吉村さん、音痴なのに?」
「なっ」
事実は事実だが、指摘するのは失礼だ。まして、菜々自身は歌うまだから余計に傷つく。
「そんなこと言う人には貸さない!」
「えー、やだやだごめん!」
今までのわだかまりが嘘みたいな、友人同士のじゃれ合い。
今のタイミングなら、修学旅行の件について、礼を言える。鏡花以外に誰にも言えなかった、あのクソ男について話せる。
菜々は素直だから、心から共感してくれるに違いない。
「あの、粟屋さん」
頭の中がすでにボカロ一色になっている彼女が、振り返る。
「あのね」
口を開くと同時に、ポケットに入れていたスマホが着信を告げた。意気を削がれた。
「ごめん」
一言断り、スマホを見る。実家からの着信に、眉を顰めた。
祖父母からの連絡だ。出ないと怒られる。「はい、もしもし」
出るのが遅いと怒られるのは覚悟していた。
「……え?」
一方的に告げられたのは、思ってもいないことだった。
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