歌ってマスール(16)

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ライト文芸

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(15)

 在宅している期間が、めっきり短くなった母を、とうとう施設に入れる。

 そして、祖父母は別の土地に引っ越しをするのだという。母の身持ちの悪さで、あれこれと噂をされる生活とも、これでおさらばというわけだ。

 母が入る予定の施設は、精神を病んだ人々が集まるケアホームで、特に見舞いはいらない。だから、祖父母は母と二度と会うつもりはないと言い放った。

「お前はお前で、好きにしなさい」

 母の荷物を整理するように命じられ、土曜日、望美は渋々家に帰った。

 兄が存命で、実家にいた頃から好きではなかった家だ。歓迎されていない空気は、ずっと息苦しかった。

 それでも、もう二度と足を踏み入れることはないのだと思えば、奇妙な寂しさに駆られる。

 これを人は、郷愁だとかホームシックだとか言うのかもしれない。

 母はすでに施設に入っている。病院から直接、祖父が車で送り出したそうだ。

 言ってくれれば、学校なんて休んだのに。

 祖父母は最初から、望美のことを家族だと思っていないのだ。だから、大事なことも一方的に決めて後から通告するし、除け者にする。

 彼らが血の繋がりを否定するのだから、笑うしかない。

 施設に送り届ける身の周りの品は、すでに祖母がまとめてあった。

 残りの中から、必要なものを寮に持ち帰るなんなり勝手にしろ。

 母は確かに生きている。なのに、形見分けをしろと言う。

 あまりにも身勝手だった。

 年代物のタンスの引き出しは、少々の抵抗がありつつも、なんとか開けられた。完全に引き抜いてしまって、床に置いてじっくりと中を吟味する。

 壊れた母は、とにかく自分の所有物に触れられるのを嫌がった。このタンスも娘時代から使っているもので、中身について望美が知ることはなかった。

 アルバムに入りきらなかったスナップ写真、幼稚園の頃、兄が作ったのだろうメダルに似顔絵。

 望美のものはひとつも残していないことに、残念というよりも、「まぁ、そうだよね」と納得する気持ちの方が強かった。

 下手くそな工作は、望美には価値がない。自分が母親になれば、とっくに成人した息子のそうした品を記念に取っておく気持ちもわかるのかな、と想像したが、「母になる」過程を思い出すと、気分が悪くなりそうだったので、やめた。ゴミ袋にぽいぽい放り込んでいく。

 時折祖母が様子を見に来て、迷う素振りもなく母が取ってあったガラクタを捨てていく望美の姿に、溜息と愚痴をこぼした。

「まったく、なんて情のない……」

 あんたたちの孫だよ。当たり前じゃない。

 望美は祖母を無視して、作業に没頭した。一番上の段から下の段へ。一番下に辿り着いたとき、これまでよりも大きな抵抗を感じた。

「ん?」

 どうやらここだけ、鍵がかかっている。古いもので、これまで見てきた中に、鍵らしきものはなかった。

 他の引き出しには、鍵穴はあるがかかっていなかった。何も入っていなければいいのだが、ここだけというのが気になる。

 祖父に頼んでもいいのだが、煩わせるなと一喝されそうだ。やれるところまでは、自分ひとりでやろう。

 望美は一度床に座り、二段目に足をつけ、踏ん張りながら最下段の引き出しを引っ張る。

 つっかえ棒で支えられていないタンスが倒れてくるんじゃないかとハラハラしつつ、望美は最終的に、鍵を壊すことに成功した。 

 厳重に封印されていたわりに、中はほとんど空っぽだった。蓋に蔦の彫刻がされ、実を模した赤い石が填まった木製の箱がひとつだけ、ぽつんと入っている。

「お母さん、こんなの持ってたんだ」

 ジュエリーボックスだろうか。年代物なのだろうが、タンスほどの古くささはなく、ちょうどアンティークだとかレトロだとか、そういう言葉が似合う代物だ。

 これまでに出てきた物の中では、望美の趣味に一番合う。これだけ寮に持ち帰ろうか、大きな物でもないし。

 中にアクセサリーでも入っていたらいいな、と、少し現金なことを考えて蓋を開ける。

 期待していた指輪やイヤリングはなく、空っぽだった。

「ま、そうだよね」

 中身はおいおい、将来自分で自由に使えるお金が増えたときに買いそろえればいい。それも楽しみのひとつだ。

 大人になる。大人になったら

 最近の望美は、よく考える。

「まだ終わらないの?」

「あ、はい! もうすぐ……」

 母の思い出の品を整理するのに、「まだ」も何もないと思うのだが、急かされた結果、立ち上がりかけた拍子に、ジュエリーボックスを落とした。

「わっ」

 せっかくいいものを見つけたのに、石が取れたり、ヒビが入ったりしたら、大変だ。

 慌てて拾い上げ確認しようとしたとき、それは落ちた。

 何も入っていないと思ったのは、間違いだった。

 仕切りのついた底は、簡単に抜けた。つまり二重底になっていて、大切なものは隠しておけるつくりになっているのだ。

「手紙?」

 母が隠していたのは、何の変哲もない、茶封筒だ。宛名も差出人の名前もない。中に便箋が入っていることが察せられて、望美はハッとした。

 外観からは、何もわからない。けれど、確信していた。

 これは、兄・良亮の遺書である、と。

「ねぇ、まだなの? こっちの掃除も手伝ってちょうだい!」

「はぁい!」

 自棄になって叫び、ジュエリーボックスの二重底を戻した。封筒は鞄の中に厳重にしまった。

 心臓が爆発しそうだった。

 兄の遺書は存在しなかった。警察は現場の状況から自殺と判断したはずだった。

 どうして母が、こんなものを持っているのだろう。

 望美はあの日のことを思い出す。兄が死んでいると、半狂乱になった母から連絡を受けたのは、望美だった。

『お兄ちゃん! お兄ちゃんが、お兄ちゃんが……!』

 要領を得ない母の言葉に、何度も聞き返す望美を不審に思い、祖父が電話を代わった。祖父にも理解が及ばず、兄のアパート最寄りの警察署の電話番号をわざわざ調べて、通報した。

 母は、兄を驚かせようと思って、連絡なしに東京に向かった。

『お兄ちゃんだって、用事があるかもしれないじゃない。デートとか』

 と、事前に連絡を入れるべきだと注意した。 もちろん、「息子が恋人」ととち狂った母親は、望美の言葉に激怒した。

 彼女なんて、良ちゃんに必要なんかないわ! と、頬を膨らせたまま空港に向かった彼女を、呆れて見送ったのは、そのたった数時間前。

 通報から十数分後、警察から兄の死を告げる電話が入った。

 警察が介入するまでのわずかな時間、母はひとり、兄の死体と対峙していた。

 遺書を掠め取ったのなら、そのとき以外、ありえない。

 何が書いてあるのだろうか。母があそこまで狂った原因なのではないか。だったら、今後の治療についてのヒントになるかもしれない。

 望美は家事の手伝いをしながらも、そわそわと落ち着かなかった。夕飯の時間になって、「食べて行くのかい?」と問われたときには、首を横に振った。今から帰っても、寮の食堂はもう閉まっている。それでも、早くひとりになって、兄からの手紙を読みたい気持ちが勝った。

「あ、そう」

 冷淡に送り出された望美は、バス停へと早足で歩く。早く、早く。タイミングよくやってきたバスに飛び乗ると、一番後ろの席に座る。

『~発車します』

 はやる気持ちを抑えられず、望美はバス内で、手紙を取り出した。真っ白なコピー用紙に、わざわざ定規で真っ直ぐに引かれた手書きの罫線。

 お兄ちゃんの字って、こんなだったっけ?

 そういえば、ほとんど見たことがなかった。 枠の中にぴったりと収まる縦幅。漢字もかなも同じサイズだ。一行当たりの文字数までぴったりと決まっていて、手書きのはずなのに、ワードソフトで書いたみたいだった。

『MIRAへ』

 から始まる文面に、望美は虚を突かれた。バスの中じゃなかったら、「はぁ?」と、口に出している。

 MIRA? MIRAって、あの?

 兄が大ファンで、すべての動画をお気に入りにしていた歌い手である。遺書ではなく、ただのファンレターを母は取ってきたのだろうか。

 他人あての手紙を読むことには、多少抵抗がある。それでも、兄の死の直前に書かれただろう文章は、当時の彼の置かれた状況や、心情を知る手がかりになる。

 罪悪感を押し殺しつつ、望美は視線を動かしていく。

『MIRA。どうして歌い手をやめてしまったんだ? 僕の作った曲を歌ってくれるって、約束したじゃないか』

 恨み辛みから始まる手紙。どうやら兄は、MIRAとコラボレーションの約束をしていたらしい。

 絶筆として残された『鏡仕掛けのMIRA』が、そのための楽曲だということは、容易に推測できた。

 手紙には、何度もMIRAへの呼びかけが出てきた。

 いかに自分が彼女に惹かれていたか。

 楽曲の評価が伸び悩んでいても、MIRAの言葉で浄化されたこと。

 ファンレターの域を超えている。これは、ラブレターだ。

「お兄ちゃんとMIRAは、付き合ってたってこと?」

『君が僕の曲を歌ってくれるのを夢見て、これまで頑張って生きてきた。けれど、君は姿を消してしまった。もう僕には、絶望しか残っていない』

 ありがとう。愛してる。一生。死んでも。

 どうか君の中で、僕が永遠になりますように。

 短くて長い手紙は、そんなゾッとする言葉で締めくくられていた。その後ろには、「許さない」が隠されているような気がした。

 望美はもう一度頭から手紙を読み直して、重い溜息を吐き出した。

 母が狂うわけだ。

 最期の言葉を捧げられたのは、母ではない女だった。一言も、家族にあてた言葉はない。

 移り気な母が、唯一心に定めたのは、自分の息子だけだった。なのに、彼は何も返してくれなかった。愛も憎しみも、見知らぬ女に向けられている。

 母は、自分のこれまでの人生が無に帰したことに、深く絶望したのだろう。

 兄も狂っていた。母も狂った。絶望は、人を狂わせる。

 じゃあ、私は?

 私もまた、誰からも顧みられない存在だ。兄にはまだ、母も祖父母もいた。私にとってもたったひとりの兄で、無名とはいえ、作った曲を聴いてくれる人もいた。

 死にたいのは、むしろ私の方だ。

 でも。

「MIRA……」

 この人は、兄の死に関わっているかもしれない。

 兄の遺書を、彼女は読んでいない。母がその前に、回収し、しまい込んでしまったから。

 見せなければならない。そして、本当に兄の死の原因が彼女ならば。

 MIRAを探しだし、手紙を渡す。

 それが唯一、兄をひとりで死なせてしまったことへの贖罪になる。

 望美は信じて疑わない。

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