歌ってマスール(17)

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ライト文芸

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(16)

 帰寮してすぐ、MIRAの捜索を始めた。

 彼女は兄が自殺する少し前に、歌い手の活動を休止している。理由については言及がなく、更新が途絶えているSNSには、活動を無期限休止すること、動画は削除しないことを端的に伝えたつぶやきが残っている。

 検索をしても、結論のないまとめサイトが出てくるだけで、何の役にも立たない。

 彼女の動画は、すべて顔出しなしの歌ってみた動画だ。初期の頃は実写で、収録スタジオの中、後ろ姿だけがずっと映っている。そこからは、長髪を赤く染めた女ということしかわからない。

 レンタルスタジオらしく、住んでいる場所のヒントになるようなものも映り込んでいない。

 SNSをしらみつぶしにして、居住区域が関東ということはわかった。向こうの地理に明るくないが、おそらくは東京。沿線がわかればもっと絞り込めるかと思ったが、そこまでの情報は落としていなかった。

 写真も、徹底して顔は映っていない。正体不明、完全匿名の歌い手だ。

 動画をアップするくらいだし、そこそこの自己顕示欲の持ち主なのは間違いない、はず。なのに、身バレを恐れているのは矛盾しているにもほどがある。

 望美は理不尽な怒りを抱き、机をバン、と強く叩いた。

「ちょ、何? 何々? どうした?」

 ハッとした。この部屋はひとりじゃない。静かにしているから忘れていたが、菜々も在室していた。

 ベッドの上で、望美が貸した初心者向けボーカロイドの本を熟読していた彼女は、突然の音に驚いて、しおりを挟むことすら忘れて、本を閉じてしまっていた。

「ああ、ごめん、驚かせて」

「いや、それはいいんだけどさ。ほんと、どした?」

 望美は迷った。個人的な贖罪――その本質は、復讐になるのかもしれない――菜々を巻き込んではいけない。

 しかし、彼女の手を借りたいのも事実だ。

 誠との一件のとき、彼のアカウントを特定したのは、菜々だ。MIRAを探すのにも、きっと役立つ。

 彼女の目は、望美が見ているノートパソコンの画面に向かっている。

 諦めて、望美は「MIRAって知ってる? 歌い手の」と、菜々に尋ねた。

「MIRA?」

 歌声を聴けば思い出すかも、と言った彼女に、動画サイトで一番人気の楽曲を流す。

「うーん。聴いたことはある。その人がどうかした?」

「今どうしてるのか、知りたくて」

 兄の死に関わっている可能性があるとは、言えない。そもそも菜々は、望美の兄が自殺したことを知らない。

 入寮理由の一端となる事件を知る者は、寮母や一部の教師だけ。望美自身、吹聴したいことではない。

 望美がまごついているのを、菜々は察した。「ま、どうでもいいけど」

 ドライなのが、彼女のいいところだと思う。

「手伝うことある?」

「……ううん。大丈夫。何かあったら、頼むかも」

 本当は自分などより、歌い手になりたいと思っている菜々の方が、コミュニティにも入っていけて、話を聞ける相手も多いだろう。

 それでも頼れない。社交辞令でやんわり断った望美を、菜々は「そう」と一言だけ言って、再び読書に戻った。

 望美はパソコンに向き直る。

 ボーカロイドと違って、MIRAは生きている人間だ。一切痕跡を残さないのは不可能だ。なんらかの手がかりがあるに違いない。

(絶対に、見つけてやる)

 見つけて、兄のために――

 兄のために、なるの? これが?

 カーソルを動かす手が止まった。

 MIRAを見つけて、兄の遺書を突きつける。顔色を見れば、彼女が関係しているかどうかは、すぐにわかるだろう。糾弾して謝らせる場合も、あるかもしれない。

 それで?

 それで、兄のための復讐は完遂か? そんな簡単なことでいいのか?

 小説だと、自殺した兄弟のために相手を殺す……なんて展開になるのだろう。けど、私は、お兄ちゃんのために手を汚す覚悟がある?

 ない。殺人なんて、あり得ない。

 兄とは年が離れて、喧嘩らしい喧嘩もしたことがない。比較的仲がよい兄妹だったと、我ながら思う。

 それでも自分の今後の人生と、死んでしまった彼とを天秤に載せれば、前者が重い。圧倒的だ。

 思考がストップした。何も考えられない。 望美は溜息をつき、気分転換をしようと立ち上がった。

「飲み物買ってくるけど、何かいる?」

 寮内の自販機に向かうつもりで、菜々に声をかけると、本から目を上げずに、首を横に振った。

 自動販売機の前には、鏡花がいた。

「こんばんは、スール和泉」

「こんばんは、吉村さん」

 彼女の手にはコーラの缶が握られていて、マスールのイメージとはやっぱりかけ離れていた。

 マスールがどんなものを飲むのかは知らないが、ジャンクの筆頭に上げられるコーラは、絶対に違う。

 他人が飲もうとしているのを見ると、炭酸がなんとなく飲みたくなってしまう。

 さっきまでミルクティーにしようと思っていたのに、望美はサイダーのボタンを押した。

 鏡花は望美が買い終わるまで、その場で待っていた。

 修学旅行以来、彼女は望美のことを気にかけてくれている。あんな醜態を見せたのだから当たり前のことだったが、兄の死後、自分を心配してくれる相手は初めてで、こそばゆい気持ちになる。

 性別は異なるし、諭し方もまるで違うけれど、お兄ちゃんが戻ってきたような……。

「最近、粟屋さんと仲がいいみたいじゃない」

「え? そう、ですか? ……まぁ、これまでよりは」

 傍から見ても、そう感じるものなのか。これまでが悪すぎたからかしら。

 戸惑う望美の肩を優しく叩き、鏡花はくすりと笑んだ。修道女らしさが板についてきたようだ。

「まあ、何か困ったことがあれば、いつでもいらっしゃい」

 顔を合わせる度に、鏡花は言う。

 何か話したいこと……か。

 望美は迷う。

 鏡花は元・歌い手だ。いつ頃、どんな名前で活動していたのかは不明だが、MIRAと同じ世界にいた人。

 MIRAという歌い手を、知っていますか?

 「YES」の回答が寄せられる可能性は極めて高い。だが、菜々以上に彼女をこの問題に関わらせてはならない。

 傷を抱えて歌うのを止めた鏡花に、歌い手時代のことを思い出させる問いかけは、酷だ。

 思案中の望美の視線を、期待をこめて受け止めていた鏡花に、「特に何も、ありませんから」と告げた。

 あまりにも端的で、菜々のことをドライだのなんだのと言えないな、と思った。

 彼女は気にした風でもなく、「他に話せる人がいるなら、それでいい。私に言いたいことがあったら、すぐに来て」と言う。

 カトリックの教会には、告解室がある。顔が見えない状態で、聖職者に自身の罪を懺悔するのだ。

 もしも彼女に打ち明けるのならば、兄の死に対する、自分の責任が明確になったときに違いない。

 誰かに、彼女に断罪されたいと思ったとき――……。

 鏡花が立ち去った廊下で、望美はサイダーを開けて、一口飲んだ。

 甘いのに、なぜか苦かった。

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