歌ってマスール(18)

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ライト文芸

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(17)

 MIRAの痕跡を追うも、実像が見えてこないまま、十二月半ばになろうとしていた。

 期末テストの季節である。

 一度取った特待生は、目に余る素行不良や法律に反する行動を行わない限り、たとえ学年順位が下がったところで、取り消されるわけではない。

 それでも、学年五位以内というのが暗黙の了解で、それより落とすと担任や生徒指導の教師に呼び出され、面談が行われる。

 今のところ、望美は対象となっていないが、実際に呼び出された生徒によると、かなり具体的に詰められるそうだ。

 アルバイトをしているイレギュラーな望美としては、これ以上の教師からの介入は防ぎたい。だが、テスト勉強に集中できずにいて、危うい。

 部屋でパソコンに向き合っている望美の横で、菜々ですら勉強をしているというのに。

「吉村さん、ヨユーすぎじゃない?」

「余裕はないけど」

 パソコンの隣に、数学の参考書を開いている。テストで出る問題に当たりをつけて付箋を貼っているから、最低限そこさえ復習すれば点は取れると踏んでいるが、数日後に迫っているにも関わらず、まったく進んでいない。 そろそろ手をつけないと、範囲すべてをさらえなくなる。

 ちょこちょこ菜々がわからないところを尋ねてくるのが唯一の勉強時間ともいえそうだが、あいにく、普通科の彼女と特進の自分では、やっていることがまったく違うので、役には立たない。

 菜々は勉強に飽きた様子で、教科書をバサッと音を立てて放り投げた。

「だから手伝うって言ってるのに」

 あれから、彼女はMIRAを探す手伝いを何度か申し出てくれたが、毎回「大丈夫だから」と断っていた。無関係な菜々を巻き込むわけにはいかなかった。

「でも、これは私の問題だから」

 私の贖罪で、復讐だから。

 言ってから、後悔した。また冷たい物言いになってしまった。せっかく関係が好転したのに、こんな対応を繰り返していたら、また嫌われて、元に戻ってしまう。

 一方的に妙な緊張感を抱いていると、菜々は「気にすんなし」と親指を立てる。それでも「じゃあ」とはならないのが、望美である。頑固なのだ、お互いに。きっと、似たもの同士だから、最初は仲良くなれなかったのだ。

「とりあえず、今日はもうやめて、テスト勉強にしたら? あたしもここ、わかんないし」

 パソコンのキーボードの上に、古典の教科書が置かれる。眉を顰める望美に、悪気なく笑う菜々。

「私も古典、苦手なんだけど」

「うちよりかはマシでしょ?」

 仕方ない。諦めて彼女の教科書やノートを覗き込むと、扉がノックされる音がして、ふたりは顔を見合わせた。

「はぁい?」

 どちらへの来客の可能性が高いかといえば、圧倒的に菜々だった。彼女が間延びした返事をすると、ドアが開けられた。

「先生?」

 普通、寮での生活に教師は介入しない。寮は寮、学校は学校だ。

 けれど、険しい顔をして戸口に立っているのは、生活指導の教師だった。体育担当でもないのに、常にジャージを着用しているのも意味がわからない上、些細な校則違反も見逃さない厳しさから、嫌われている。

 校則違反とはほど遠いところにいる望美ですら、あまり好きではなかった。菜々に至っては、「げぇ」と声に出し、不快感を露わにしている。

 立ち上がり、いったい何の用かと呆気に取られていると、教師の後ろから顔を覗かせたのは、愛理だった。

「青木さん?」

 望美は驚くばかりだが、菜々は一層眉間の皺を深くする。

「何か用ですかぁ? っていうか、なんで寮に先生いるの? 男子禁制なんですけどぉ」

 家族ですら、ロビー以外には入ることのできない女の園に、教師とはいえずかずかと入り込むからには、それ相応の理由がいる。

 教師は、ぎろりと菜々を睨みつけ、それから部屋を注意深く見渡す。

「最近、寮で持ち込み禁止のものがあれこれ見つかると噂を聞いてな。マスールや寮長から相談を受けて、抜き打ち検査に来た」

 持ち込み禁止のもの?

 そんなものがこの部屋にあるわけ……と考えて、ハッとした。

 先月は断ったから増えていないけれど、処分するにも注意が必要な「アレ」が、机の引き出しには入りっぱなしになっている。

 思い出した途端、血の気が引いた。

 見つかったら、どうなる?

 おそらく停学は免れないし、特待生も取り消しになる。最悪の場合、退学もありうる保護者として一応登録されている祖父母に連絡がいく。

 教師はずかずかと入り込んでくる。

「ちょっと先生! レディの部屋を踏み荒らすのやめてよ!」

 回避する方法を必死に考えるが、何も思い浮かばない。ただ拳を震わせるだけの望美を庇い立てするように、菜々が必死に食い下がる。

 後ろから撃つのは、愛理だった。

「やましいことがないなら、おとなしく言うことを聞いて、先生に全部見せたらいいんだよ? ね、吉村さん」

 なぜか望美を名指しする愛理は、何かを知っている?

 彼女の表情からは、読み取れない。笑顔と真顔の間の顔をして、愛理は首を傾げている。

 まさか、特待生の吉村さんが、規則違反なんてしないでしょ?

 その顔が、望美を追い詰めていく。

 教師はまず、菜々の机の引き出しを開け始めた。一番上を掻き回しては、「お前はまず、整理整頓を心がけろ」と小言を言う。

 望美は、生きた心地がしなかった。菜々の机は雑然としていても、とんでもないものがあるわけじゃない。すぐに点検は終わって、次は望美の番。タバコの箱を、今更隠すことはできない。

 いっそのこと、ここで死んでしまえたら。

 呼吸は浅く苦しく、鼓動は尋常じゃないほど速く脈打っているのが、死の前兆ならばと願ってしまう。

 しかし残念ながら、望美は生きている。生きながらえている。

 最後通牒の時間が近い。自白したら、少しは罪が軽くなるだろうか。

 現実逃避に、ぎゅっと目を閉じた。

「おいっ! お前! これはなんだ!?」

 怒鳴り声に、目を開ける。

 教師の手に握られているのは、紛れもなく、タバコの箱だ。

 ああ、見つかった。見つかってしまった。

 望美は謝罪のために口を開きかけたが、彼の目が自分の方を見ていないことに、気がついた。

 標的になっているのは、なぜか、菜々だった。彼女の机の引き出しの、一番下が開いている。

 教師が握りつぶしている箱は、間違いなく、兄の吸っていた銘柄で、バイト先のオーナーがくれたのと同じものだ。

 どうして?

 口に出したところで、かき消すように菜々が大きな声を出した。

「彼氏が禁煙したいって言うから、預かってただけでぇす! 自分で吸うためじゃありません~」

 おどけた物言いの彼女は、視線だけで望美に合図をする。

 余計なことは言うな、と。

「ほら、一本も減ってないでしょ?」

「だからって、お前……!」

 呆れかえるだけでは、生活指導としての示しがつかない。そう咳払いをした教師は、「いいから来い!」と、菜々を連れていく。

 彼女は最後にも望美を振り返り、小さく頷き、拳を握ってみせた。

 任せておけ、と。

 ふたりが部屋から出て行く。結局、望美の机が検められることはなかった。本当に見つかるとは思っていなかったタバコが、菜々の机から見つかった結果、望美のを確認する余裕はないし、その必要もなくなったのだろう。

 望美はずるずるとへたり込んだ。

「大丈夫?」

 愛理が近づいてきて、肩に触れた。

「青木さん……」

 驚いたよね、と彼女は望美を慰めた。

「粟屋さんの机から、タバコが見つかるなんてね」

 彼女の言葉はあまり頭に入ってこないまま、望美はのろのろ、自分の机の引き出しを開けた。押し込めていたタバコの箱は、すべて消え失せていた。おそらく、菜々が全部引き受けてくれたのだ。

 特進と普通科は、授業時間数が違う。望美が七時間目の授業を受けている間、また、菜々を避けて談話室にいる間、彼女はいくらでも、望美の机に近づくことができた。

 引き出しを探ってタバコを見つけることも、それをこっそり回収することも。

 基本的に、望美はタバコの存在を忘れて生きていたかったから、頻繁にチェックすることもなかった。

 愛理は望美の青い顔を眺めて、「しっかし」と、殊更に明るく言ってのけた。

「普通科だから、やっていいことを悪いことの区別もつかないのかな?」

 と、てんで的外れなことを言う。望美の同意を得られるとでも、思っているのだろうか。

 誰に対しても分け隔てなく接しているようで、愛理の中には、明確なボーダーラインが存在することを、今更ながら知った。

 例えば田辺だって、菜々と同じ程度の校則違反をしている。髪は染めているし、スカートは短い。けれど、彼女は同じクラス、特進科だ。菜々は普通科だから、愚かなことをする。そう考えている。

 彼女の中では、田辺と菜々の違いは明白であり、そこに矛盾はない。

「……って」

「え?」

 ぽつりと零した言葉は、愛理の耳には届いていなかった。望美は再び同じことを、大きな声で言う。

「出てって! ひとりにして!」

 あまりの剣幕に目を白黒させた愛理は、少し不機嫌な顔をした。

 あなたは愚か者の仲間なの? というように、鼻で笑って、「それじゃあ、何かあったら言って」と、寮長としての言葉を残して、彼女は部屋を出て行った。

「どうして……粟屋さん」

 ひとり残されて、望美はようやく、言いたかった言葉を紡ぐのだった。

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