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二学期の終業式。
ミッションスクール独自の行事として、クリスマスミサが行われる。近くの教会の神父を呼び、クリスチャンの生徒や教師が聖体を拝領する、本格的なものだ。
とはいえ、学校の生徒のほとんどが信仰心など持ち合わせていない。この後教室に帰って配られる、おひとり様用のクリスマスケーキのことを考えている人間ばかりだ。
望美は相変わらず、やる気なく口パクを貫いていた。ミサは何度も聖歌を歌わされる。今回はクリスマスミサだから、クリスチャンでなくても馴染みのある曲ばかりだ。『もろびとこぞりて』の弾むリズムも、望美の心には響かなかった。
寮にいるマスールたちも、ミサに出席すべく、学校に来ていた。末席に連なっている鏡花は、落ち着かない様子で、時折貧乏揺すりをしている。こちらも、途中の聖歌は口パクであった。
ミサのクライマックスは、ハレルヤ・コーラスだ。吹奏楽部の精鋭たちの伴奏と、全校生徒の歌声がぶつかり合う。
アルトパートにいるが、ハモることなど到底不可能な望美は、もにょもにょと口を動かすだけで、鏡花のことを見つめる。
――歌って。
『スール和泉。歌ってください』
あの日、彼女の部屋で望美が願ったのは、ただそれだけだった。
兄のことを知りたくて、MIRAの歌は何度も聴いた。美しいとか上手とか、そういう次元ではないのだ。
歌は、力だ。憎しみも、悲しみも、理不尽も、すべて覆すことができる。少なくとも、MIRAの、鏡花の歌声には、そういう力がある。
伸びやかな高音、迫力のある低音。
泉鏡花を、単語ひとつひとつを調べながら通読した真面目さで、彼女は詞を発する。
たとえ意味のない文字の羅列でも、鏡花が歌に載せると、誰かの心を揺るがす呪文になる。
『兄の死について悪いと思うのなら、子どもを産めないことを恋人に悪いと思うのなら、歌ってください』
芸術家は、すべての困難を昇華して、自らの芸に捧げるという。
これまでの人生に苦しむ彼女が次に歌い上げる歌こそ、最高傑作に違いない。
兄の死を糧に、鏡花はさらなる高みへと上っていく。歌うことで、鏡花は苦しむに違いない。
それが、鏡花への復讐だ。けれど、それだけじゃない。望美もまた、自分勝手な人間に過ぎない。
『私、あなたの歌が聴きたいんです』
いつか、すべての過去を受け入れて強くなり、完成されゆく鏡花の歌が聴きたい。
歌声が天へと昇ったとき、真の贖罪になるのなら。
――歌って。歌って、マスール。独りよがりな罪滅ぼしではなく、多くの人を……私を救う、あなたの歌を。
リズムが一変する箇所にさしかかった。各パートが同じメロディを、高さを変えて追随していく。
メゾソプラノの後に、その声は体育館に高らかに響いた。
「The Kingdom of this world――」
――神を称えよ。王の中の王、主の中の主、主は永遠にこの国を支配されるであろう――
全校生徒の合唱が、吹奏楽の伴奏が、弱くなる。つい思わず、と言った様子で、指揮をする音楽教師もまた、突然響き渡った歌声に、視線を向けていた。
鏡花だった。本来の彼女の声は低めだが、わかりやすいソプラノパートを歌っている。生徒の歌声はバックコーラスと化し、鏡花のソロを引き立てる。
神を賛美するこの歌が、一条の光となり、体育館の天井を突き破って天まで上っていく幻想が……いや、光景が、望美には見えた。
ほら、やっぱりあなたは、歌うべき人。
長く余韻を残す声は、指揮者がストップの合図をかけても、しばらく続いていた。
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