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<(22)
二〇二四年、十二月。
学生時代はそうでもなかったが、社会人になってから、「師走」という言葉に現実味を感じるようになっていた。一年があっという間に過ぎていく。
望美は二十五歳になった。なってしまった。兄が死んだその年齢である。
来年からは、どんどん兄が年下になっていくのだと思うと、しみじみと胸に迫るものがある。
母は施設に入ったまま、去年死んだ。死に目には、会えなかった。連絡をくれたのは、母の元夫であった。彼もまた、しばらくして共通の知人から知らされたらしい。線香くらいあげてやったら? と。
ひょっとしたら父となっていたかもしれない人は、望美のことを覚えていた。義理で墓参りに行った際、たまたま行き会わせた親戚から、望美が葬儀にも来なかった、と愚痴を言われたらしい。
寝耳に水という顔で訃報を聞いた望美を、彼は信じてくれた。薄情者の娘ではなく、祖父母が絶縁状態の孫に何も言わなかったのだと察してくれた。
あの母の夫だった人だ。義理の両親に思うところがあってもおかしくない。
自分が言えた義理ではないけれど、と前置きをした上で、「あの人たちはおかしい。冷たい」と彼が憤ってくれたから、もういいか、と思った。もう二度と、祖父母と顔を合わせるつもりはなかった。
奨学金とバイト代で大学を卒業し、就職してどうにかひとりで生きている。忙しくて目が回りそうになることもあるし、うまくやれない相手もいるが、地元ではなくこの東京で生きることは、望美にとっては息がしやすかった。
早く墓参りに行きなさいと、母の元夫は諭してくれたが、望美は当分行けそうにない。
まだ、兄のことを許せない。墓には母だけじゃなく、兄も眠っている。
残業後の疲れた身体を引きずって、電車に乗る。
帰宅ラッシュを過ぎた車内でも、座ることは叶わない。デスクワークが中心だから、かえっていい運動になると言い聞かせて、ワイヤレスイヤフォンを装着した。音楽を聴くことはほとんどない。結局、最後まで音楽を趣味にすることはなかった。
スマホでSNSを開き、知り合いが何かつぶやいていないかチェックする。特に面白い情報が流れているわけじゃない。漫然と眺めていると、菜々が「これ聴いて!」と、動画のリンクを貼っていた。
働きながらもネット上で音楽活動をしている彼女のことだから、自分の曲の紹介だろう。あれからすっかりボーカロイドでの作曲にハマった彼女は、ボカロPとして、今やちょっとした有名人だ。
すごくいい曲なのに、歌詞がイマイチ。けれどそれがなんだか中毒性がある……という妙な評価に、菜々自身は納得がいっていないらしい。
個人宛てのリプライではない。表向き、望美と菜々はあまり仲がよくないことになっている。高校のときのあの事件以降、痛くもない腹を探られないようにするためだった。
卒業してだいぶ経つのだから、もう普通の友人付き合いをすればいいのに、普通に友達だった期間がほとんどないから、よくわからないままだ。
友達ではないのに、友達以上の深いところで繋がっている不思議な感覚を抱いているのは、お互い様だ。
望美はリンクをクリックした。動画サイトに飛ぶ。新曲かと思いきや、最近の超有名ソングだ。
久しぶりに歌ってみた動画でも出したのか、と思った望美は、短い前奏の後に続いた歌声に、目を見張った。
耳を貫き、脳に到達する声は、まさしく。
――ああ、よかった。
クリスマスミサのあと、冬休み明けには、鏡花は寮を去っていた。寮母や校長、マスールたちに尋ねても、彼女ついては教えてもらえなかった。
本当に出家したのかどうか気になって仕方がなかったけれど、ここ最近は、考えることも減っていた。MIRAとして彼女が過去にアップしていた動画も、忙しくて見ていなかった。
鏡花が選んだのは、修道院ではなかった。神だけが聴くなんて、うらやましくて嫉妬してしまうから。彼女がこの俗世に留まってくれて、本当によかった。
苦しそうに、吐き出すように。けれど浄化されるような声は、スマートフォンという機械を通してさえ、望美の心を根底から揺るがしていく。
望美はそっと、「いいね」を押した。
(了)
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