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「ねぇ、ちょっとは手伝ってくれてもよくない!?」
大声に、望美は内心で、「またか」と呆れた。かといって、立場上、放っておくわけにはいかない。本格的な喧嘩に発展する前に、騒ぎの中心人物に近づいた。
「どうしたの」
「ちょっと聞いてよ、吉村! こいつらマジで一っ切、なんっにも、手伝わないんだけど!」
文化祭前のロングホームルームは、まるまる準備にあてられる。生徒の自主性に任されているため、担任も職員室に戻ったまま、用事があれば来いというスタンスである。
二年桜組――特進クラスだけ開校当時のクラス名がつけられている――は、全部で三十人。この人数が一丸となって同じ目標に向かうということは、土台無理な話だ。
大きなイベント前は、クラスの雰囲気が悪くなる。まだ二年生、と学校行事に全力を尽くす者、逆にもう二年生、と受験を見越して勉学に励む者。そもそも相容れるわけもない。
これが普通科であれば、前者が圧倒的に多いだろうから、まだマシだ。実際、菜々は寮で文化祭にブツブツと文句を言いつつも、楽しそうだ。
望美は聞くとはなしに聞き流しつつ、宿題に励んでいるが。
模擬店は集客率の高いたこ焼き屋を出店する権利を勝ち取ったが、それだけじゃ飽き足らず、ステージ発表を行う有志もいる。練習と準備、両立するのは難しい。
模擬店の看板やビラ、ポスターを手分けして作成している生徒たちの上を、アイドルのヒット曲が流れている。廊下でダンスの練習をしている騒がしい中、耳栓をして参考書に向き合っている生徒も、少なからずいた。
彼女たちは怒鳴り散らされて、不愉快だという顔で睨んでいる。
「当日の当番はちゃんとやるから、準備は免除してくれるって言ったでしょ」
「だからって!」
勉強優先組は、そもそも何もしたくないのだ。文化祭当日だって、休む気満々でいた。
高校二年の段階で欠席を選ぶなら、来年はどうするのか。まともに行事に参加したのが一年のときの一回だけというのは寂しくないか。
どちらかといえば勉強をしたい。でも学級委員だから率先して作業に取り組んでいる望美ですら、「まだ二年だし」と思い出づくりも大切だと思うのだが、彼女たちは「迷惑だ」とぶすくれている。
いがみ合う二グループの間に、望美は仲裁に入った。
「そうだね。香川さんたちは、そういう約束だったよね。でも、ここは今、文化祭の準備で一生懸命なの。その中で手伝わない人を見ると、みんなイライラしちゃうから。勉強なら、図書室でやってくれるかな?」
「吉村!」
糾弾した側の生徒が、怒りの矛先を望美に変える。彼女の首筋からは、汗が滴り落ちている。ダンス練習の熱が怒りと結びつき、余計にボルテージを上げている。
カームダウン、両手で落ち着いてほしいとジェスチャーをして、望美は言葉を重ねた。
「田辺さん、ここは引いてほしい。当日ブッチされる方が、大変じゃない? ステージ発表であなたたちがいない時間帯に、香川さんたちが入ってくれることになっているの。だからお願い」
真摯に妥協案を伝えると、田辺たちは渋々、「もういい」と言って、ダンスに戻ってしまう。彼女たちも彼女たちで、ステージ発表にばかり集中しており、模擬店の方はほとんどノータッチなのを棚に上げている。
本人たちは無自覚で、おとなしく模擬店準備を進めるクラスメイトたちが向ける目が、どこか冷ややかなことにも気づいていない。
勉強組は、仲裁に入った望美に礼をするわけでもなく、使っていた教材をまとめて抱え、教室を出て行った。
どちらの陣営からも、望美はよく思われていない。自覚している。
学級委員なのに、行事に熱心じゃない。学級委員なのに、勉強の邪魔をする。
そんな風に思われている。
「中間管理職ってやつ?」
背後から声をかけられて、振り向いた。
「青木さん」
「愛理でいいって言ってるじゃん」
青木愛理は、同じクラスで寮生だ。寮では二年のまとめ役をやっていて、文化祭が終われば寮長だ。そんな生徒だから、途中入寮の半端者である望美にも、優しい。
「それよか、顔色悪いよ、吉村さん」
下の名前でいいと言うわりに、彼女は望美のことを苗字で呼ぶ。気遣いなのか、それとも優しさは上辺だけだと露呈しているのか、区別がつかない。
「そうかな」
「うん。疲れてるんだよ。ここは大丈夫だからさ、保健室行って寝てきた方がいいよ」
躊躇する望美の背を押して、教室から追い出そうとする。
「大丈夫だって。こっちは上手くやるからさ。ね、みんな」
作業中のクラスメイトたちが、一斉に顔を上げる。そして、「実行委員もいるから大丈夫だよ」「何かあったらまた明日報告するし」と、望美をいたわる言葉を投げかける。
「……そう。なら、お言葉に甘えようかな」
私なんかいなくたって、何事も回り続けるのだ。学校生活も寮生活も。家には当然、居場所などない。望美のコミュニティは狭い。そのどこからも必要とされていないと思えてくる。
愛理の「行ってらっしゃい」の声を背に、望美はとぼとぼと保健室へと向かう。喧噪から離れると、ずん、と頭が重くなったので、彼女はやはり正しかったのかもしれない。
優しくて明るくて、周りが一目置く存在である、愛理。成績なんかじゃなくて、人柄で委員長は任命されるべきだった。
四月の始め、クラス委員の推薦を受けた彼女は、手を振って断った。
『寮での仕事もあるから、私は無理だよ』
と。そしてなぜか望美に回ってきてしまった、クラス委員の重責。
「……向いてないよ」
望美を迎え入れた後、養護教諭は体育の授業で怪我人だか病人が出たとかで、呼ばれて行ってしまった。完全にひとりになった保健室のベッドに寝転んで、腕で目元を隠し、嘆く。
テストの成績がいいことと、賢くて仕事ができることは、違う。クラス委員に求められるのは、点数じゃない。
ごろん、と寝返りをうつと、制服のポケットのあたりに違和感があった。
ああ、そういえば入れっぱなしだった。
泉鏡花『高野聖』。
図書室で見つけて、借りていた。セーラー服のジャンパースカートには大きめのポケットがついていて、文庫本の一冊なら、余裕で入る。
借り物だから、本当はもっと丁寧に扱うべきだが、うつ伏せになった状態で目を通す。二週間の期限内に返すためには早く読み進めなければならない。
しかし、
「っ」
がくん、と頭が重力に従って落ちかけて、慌ててに折り目がついていないか確認する。ページ数は十で止まっていて、遅々として進んでおらず、溜息をついた。
短編集は表題作から収録されているわけではない。望美は几帳面に最初の話から始めるのを諦めて、『高野聖』から読むことにした。
「うーん……」
『こころ』や『山月記』、現代文の教科書に載っている作品はそこそこ読めたから、泉鏡花も楽勝だと高を括っていた。
しかし、一行目から時代がかった……というか、古文としか思えない小説に、頭が沸騰する。そもそも望美は理系で、現代文ならまだしも、古文漢文は特に苦手だ。眠気が襲ってくる。
「ダメだ……」
何度も挑戦するが、その度に睡魔に襲われる。
結局その日、ホームルームと次の時間の授業の間、望美は保健室にいた。泉鏡花に向き合いつつ、ベッドの上で熟睡していた。
読書もまた、向いていないのだった。
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