歌ってマスール(7)

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ライト文芸

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(6)

 文化祭も二日目。

 同じクラスの有志によるダンスステージは盛況のうちに幕を下ろし、たこ焼きの売れ行きも好調だった。

「クラスTシャツに校則通りの丈のスカートだと、なんか合わないよね」

 朝イチで愛理が、そんなことを言いながら、クラス全員に安全ピンやベルトを使ったスカート丈の細工を指南した。

 風紀委員が何か言いたげにしている気配を察知し、

「文化祭なんだからさー。ほら、いつものセーラー服だと長い方がバランスいいけど。ね?」と、愛理は田辺を指した。彼女は普段からスカートの丈を短くしている。

 試しに、と愛理に言いくるめられ、実際に愛理に短くしてもらって、彼女は自分の姿を確認した。そして納得していた。

「吉村さん。やったげる」

「ありがとう」

 愛理は望美の分も手早く細工した。

「青木さん、こっちも……」

 香川の声かけに、彼女は目もくれず、

「ごめん。ちょっとこっち手一杯だから……田辺ちゃん、お願い!」

 と、犬猿の仲の田辺に押しつけてしまった。

「ね、見て。吉村さん」

 囁かれて彼女らの方を見れば、ふたりとも苦虫を噛みつぶした顔である。

「ちょっと短すぎない……?」

「……あんた、脚きれーだから、出した方がいいよ」

 最終的にきれいにたくし上げてもらった香川は、田辺に「ありがとう」と言っていた。

「きっかけさえあれば、みんな仲良くなれるんだよ」

 笑って愛理は、次の生徒の元へと向かった。 自分にはできないことを、あっさりとやってのける。

 そんな愛理のことが、羨ましかった。

 文化祭当日は、実行委員がメインになって動くから、望美のやるべきことは少なかった。せいぜいが、シフトを忘れている生徒を呼び出すくらいのもので、それもほとんど、仲のいい子が自主的に、「電話してみるわ」と言い出す。

 一般開放された学校の敷地内は、老若男女で賑やかだが、そこに上手く馴染めていないと自覚する。

 いてもいなくても同じだな。

 一緒に模擬店や展示を回る友人も、いない。 昨夜、「今日ひとりでふらふらしてたみたいだけどさ、友達いないの?」と、菜々に馬鹿にされた。

「友達がいなくても、粟屋さんに迷惑かけてないでしょ」と返したが、少し寂しいのはその通りだった。

 望美はふらふらと、寮に戻ってきた。校舎の中はどこもかしこも人だらけ。空き教室もあるが、迷い込んでくる客が後を絶たないため、結局は落ち着かない。

 当番の時間は、もう終わった。あとは閉会直前に戻り、後片付けをするだけだ。

 寮の中にも、呼び込みや楽器演奏の音は聞こえてくるが、それでも部外者が絶対に入ってこないという安心感がある。

 どうせすぐに戻るからと、在寮プレートをひっくり返さず、そっと談話室へと入る。自室に帰ったら、ベッドに寝転んだまま眠ってしまい、アラームを鳴らしたとしても、もう一度外に出るのが億劫になってしまいそうだった。

 寮母のマスールは、年の割に祭りが好きなようで、外に出たままになっている。口うるさい彼女がいないだけで、ホッと息をついた。

 何もすることがない。何もする気にならない。

 無人なのだからどこに座ってもいいのだが、望美は何も考えずに、パソコン作業をするときの席を選び、座った。

 頬杖をつき、目を閉じる。

 ああ、やっぱりこうやってひとりでいるときが、一番落ち着く。寮と学校は地続きで、部屋も菜々とふたり部屋で、気が休まらない。

 実家に帰ったところで、母はあれだし、祖父母は娘の不祥事の結果である望美に、金さえ出せば責任を果たしたと思っている人間たちだ。あそこは家であって、家ではない。

 ひとりだけど、寮の外にたくさんの人の気配がする。そのくらいの距離感が、安心する。

「吉村さん」

 どれくらい、そうやってぼんやりしていたのだろう。名前を呼ばれ、ハッとした。目を開けて見上げるのは、まだ新しい修道服。

「スール和泉」

 いつの間にか、うとうとしてしまっていた。

「文化祭、ちゃんと参加しなくて大丈夫?」

 文化祭、鏡花とは一度も校内ですれ違わなかった。ずっと寮内にいたんだろうか。見習いだから、寮母と違って行動を制限されているのかもしれない。

 ぼーっと頷きかけて、あれ、今何時だ? と、思い直す。スマホを取り出して見れば、すでに十五時を過ぎている。

「やばっ!」

 模擬店の屋台に向かわなければ。後片付けやら売り上げ管理やら、やるべきことはたくさんある。一致団結の雰囲気づくりでは劣っている分、自分から雑用を引き受けるつもりでいたのだ。

 勢いよく立ち上がったせいで、椅子が倒れてしまった。それだけじゃなく、頭がくらりとする。よろけたのを、机に手をついて踏ん張って支えた。

「ちょっと、大丈夫? 具合悪いんじゃない?」

「いや、大丈夫……」

 言い終わる前に、額に鏡花の手が触れた。大きく骨張った、女性らしさはあまりない手。ちょうど親指の付け根に、オリオンの三つ星のような小さなほくろがあることに、望美は初めて気がついた。

「熱は、ないね。でも顔色はあんまりよくないから、戻るのやめな」

「でも、片付けが」

 鏡花は眉を釣り上げる。もともとがきつい顔の美人だから、迫力があった。動きを止めた望美を、彼女は起こした椅子に座らせた。

「高校生が、肩肘張ってるんじゃないの」

 言いながら、鏡花は望美の肩を揉む。

「む、凝ってるね」

 力加減は絶妙で、なんとしても行くんだという意気込みも萎えた。あれこれと考えすぎ、気負いすぎで、全身が強ばっていた。

(ああ、気持ちいいな……)

 生まれ育ちの影響か、望美は他人とのスキンシップが得意ではない。

 寮に入ってすぐの頃は、「お風呂行かない?」と菜々に誘われても、頑なに断っていた。何度か同じやりとりをすると誘われなくなり、望美はひとりで大浴場に行き、絡みの薄い他の寮生たちと入浴するようになった。

 女同士の裸の付き合いは、時に過激だ。胸を触り触られ、そんな関係に巻き込まれるのはごめんだと、目を極力合わせずに黙っていた。

 服の上から触られるのも好きではなかったが、鏡花の手は温かく、圧迫する力も心地よい。

 マスールに肩を揉ませる生徒って、どうなんだろう。少なくとも、寮母に見られたら、ものすごく怒られるに違いない。でも、抗えない気持ちよさに、無言で受け入れてしまう。

「……」

 マッサージはよくても、会話がないのはなんとなく、そわそわした。何か話をしようと思っても、話題は特に思い浮かばない。

 文化祭についての話をしようにも、楽しい思い出はひとつもなくて、言葉に詰まる。  沈黙をよしとしないのは、望美だけじゃなく、鏡花も同様だった。

「そういえば、読んだよ」

「え?」

「泉鏡花」

 図書館で文庫本を借りて読んだけれど、結局望美は挫折していた。『高野聖』は長くて諦めたし、『外科室』は短いからどうにか全部読んだが、どんなオチなのかわからずに、ネットで調べてしまっていた。

 お世辞にも、鏡花は勉強ができたとはいえない。

 そんな彼女が、勉強だけは頑張っている望美でも辛かった文学作品を読んだとは、到底信じられなかった。

「難しくなかったですか?」

 自分が途中で放り出したことはおくびにも出さず、望美は尋ねた。

「んー」

 ちょっとね、と苦笑する。

「『高野聖』、吉村さんが言ってたから読んでみたんだけどさ」

 マッサージの手を止めて、鏡花は情けない自分をさらけ出すような笑顔で、頬を掻く。

 ああ、やっぱり読めなかったんだ。私と同じで、スマホであらすじだけ調べたんだ。

 自分よりも年上の人間もショートカットをするのだと、望美は安堵した。そう、自分だけじゃない。スマホで何でも調べられる時代なんだから、それでいい。なんだって時短が大切なのだ。

「もう、全然日本語にも見えなかった。注がついてたから、何度も行ったり来たりしたし、国語辞典なんて引いたの、小学生ぶりかなあ」

 恥ずかしそうな告白は、望美に相づちを打つことすら忘れさせた。

 菜々に貸した国語辞典をはじめ、望美の机の上には、各種辞典が揃っている。兄が買い与えてくれたものだったから、入寮のときに持ってきたのだ。

 だが、使った記憶はほとんどない。スマホ一台あれば英単語も調べられるし、歴史も化学も、なんだってわかる。

 読書慣れしていない鏡花は、何日もかけて短編小説を読み切った。おかげで寝不足で、朝のミサでうとうとしかけて、マスールたちに大目玉を食らったと言う。

「訳わかんなくてしんどかったけど、読み終わったら、なるほどな! って思った。姿を変えられてんだから、やばい女ってのはわかってんのに、それでも離れられないって、男は哀れなもんだなあ、って」

 望美は最後まで読んでいないから、彼女の感想が的を射ているのか、それとも見当違いなのか、わからない。得意げな鏡花の目をじっと見つめる。

「その……ネットでいくらでも調べられるのに、ちゃんと読んだんですか?」

 スカートの裾をもじもじと弄り、それでも望美は鏡花に確かめたかった。

 本当は、ネットで調べたんでしょ? だって、私ですら読めなかったんだから。

 鏡花は不思議そうな顔で、答えてくれた。

「だってさ、泉鏡花って人が命賭けて書いたもんでしょ? それなら大切に読まないと、失礼じゃない? ネットでオチだけ調べたって、作者は喜ばないでしょ」

 彼女は、望美がずるをしたことを知らない。煽っているのではなく、本心で言っているのだ。だから余計に、羞恥が引き出される。

「っ」

 そんな風に思ったことはなかった。

 泉鏡花は、織田信長やナポレオンみたいに、歴史上の人物で、その人が生きて、小説をどんな思いで執筆していたのかなんて、想像をしたこともなかった。

 今も生きていて、〆切と戦っている小説家ならわかるけれど、泉鏡花は死んでいる。

 だから、その苦労した秘話なども語られない。自分とは無関係だ。

 そこまで考えて、愕然とした。

 泉鏡花が死んでいるのと同じで、お兄ちゃんだって、死んでいるじゃない。

 故人の作品を大切に扱わない自分が、良亮の――ぽてさらPの遺したものに敬意を払えと主張するのは、おこがましい。

 自分の幼くて愚かな思考が恥ずかしくて、望美は席を立つ。

「吉村さん?」

「あの、私、やっぱり後片付け行ってきます!」

 鏡花の前にいると、取り繕った化けの皮がすべて剥がされる錯覚に陥る。

 慌ただしく寮を出て行く望美の背に、「無理はしないで」と、彼女はあくまでも優しく声をかけた。

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