歌ってマスール(9)

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ライト文芸

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(8)

『もうすぐ修学旅行だっけ?』

 そんな言葉が誠から送られてきたのは、出発の十日前のことだった。

 他愛のないやりとりは、普段は望美の健康を気遣う言葉が多く、学校行事に言及することはなかった。

 興味もないだろうし、自分のときのことは忘れているだろう。誠は東京生まれの東京育ち、学校行事のカレンダーにもずれがある。

 修学旅行について、教えてたっけ?

 特に学校行事に思い入れがないから、逐一報告をしたりしないのだが、話の流れで言ったのかもしれない。

 あるいは、たまたま向こうで、修学旅行を楽しんでいる学生を見て思い出したとか。

『そうです。二十一日~四泊五日で。東京は四日目です』

 海外とは言わないけど、沖縄くらい連れていってくれればいいのに、とクラスメイトは愚痴を言う。

 文化祭後のロングホームルームは、京都と東京で一日ずつある自由行動の日の予定を組むのにあてられていた。文句は止まらないが、ガイドブックをめくる手も止めない。

 私立の高校にしては質素な、広島~京都~東京の旅。市内にあるもうひとつのミッションスクールは、海外研修らしい。

 正直な話、望美は沖縄じゃなくてよかったな、と思っている。移動は多い方がいい。飛行機や新幹線の中では、耳栓をして眠っていれば、ひとりぼっちを気に病まなくて済む。

『楽しみだね』

 スタンプとともに送られてきた文章に、望美はわずかに顔をしかめた。

 楽しみ、か。

 修学旅行といえば、学校生活最大のイベントと捉える人間が多い。中学のときは、まだ兄も健在だったし、母や祖父母ともここまで関係をこじらせていなかったから、土産を選んだりした。

 だが、必要最低限の投資しかしないくせに、世間体のために月一で実家に戻るよう要請してくる祖父母の元に、わざわざ自分のバイト代を使いたくない。

 母には買って行ったところで、そもそも無駄だ。今は入院中だし、食べ物は受け取ってもらえない。

 それに、クラスでの立ち位置も中学時代と比べて微妙だ。

 あの頃は、おとなしい子たちと同じ班で行動し、夜にはお喋りをした。今、彼女たちは別のクラスで、新しい友人たちに馴染んでいる。

 自由行動の班は、京都・東京で同じだ。クラスを超えて組んでもかまわないとのことだったが、部活もやっていない望美が、他クラスの生徒と親しいわけもない。

 結局同じクラスでグループになるわけだが、周りは自然と「いつメン」というやつで組んでいく中、余っていた。

 最終的には、ぽつんとしている望美を見かねた愛理が声をかけてくれてグループには入ることができたものの、メンバーがよくない。

 文化祭の準備期間中に対立していた香川と田辺。それこそいつもの友人たちと組んで回ればいいのに、なぜだ。

 ふたりは文化祭当日を通じてなんとなく和解に至った様子だった。だが、両方にいい顔をしようとした望美に対しては、よそよそしい。

 はっきりと悪意を向けられているわけではないから、勘違いだと言い聞かせつつ、望美は愛理に、それとなくふたりを同じグループに誘った理由を尋ねた。

「京都では、勉強熱心で歴史好きな香川さんに解説してもらったら楽しい旅になりそうだし、東京では最新の流行スポットを田辺さんと回ったら、楽しそうだと思って」

 なんて、本当はあたしが、ふたりに仲良くしてもらいたいだけなんだよね。

 愛理は頭を掻く。ボーイッシュなショートヘアと相まって、彼女は本当に、憎めない男の子みたいだった。

 愛理に他意はない。本当に、お節介を焼きたいだけ。香川と田辺の仲を取り持つのも、ぼっちの私を引き入れたのも、クラスの雰囲気をよくしたいと願っているだけだ。たぶん。

 だから。

「東京では、別行動してよ」

 と、田辺たちに言われたのは、愛理の差し金ではないはずだ。

 ふたりは望美を呼び出すと、誰もいない空き教室で、「修学旅行の件だけど」と切り出した。

 望美には特に行きたいところもなく、すべてを三人に任せていた。最終確認をしたいのかと思っていたところに浴びせられたのは、堂々たる仲間はずれ宣言だった。

「どうして」

 香川は眼鏡の位置を直しつつ、「だからさあ」と、要領を得ない田辺を遮り、意図を解説した。それでもやっぱり、望美には理解しがたかった。

「私たち、文化祭準備でのあなたの言動が、すごく気に障ったのよね」

 香川の言い分は、こうだ。

 勉強をしたいから行事なんて知らないと最初に突っぱねたが、楽しそうに準備をしているクラスメイトたちを見て、その輪の中に入りたいと思い直した。

 けれど、自分から「やっぱり仲間に入れて」と言うのは、プライドが許さなかった。

 そこに怒り狂った田辺が、「手伝え」と突っかかってきたから、これ幸いと乗れば、プライドも保たれるし、文化祭にも参加できる。

 タイミングを見て、「そこまで言うのなら」と諦めたフリで了承する予定だった。

 なのに、望美が学級委員の訳知り顔で首を突っ込んできて、喧嘩両成敗と沙汰を取り決めてしまったのが、気に入らなかったのだという。

 そんな自分勝手な。一緒にやりたかったのなら、あのとき図書館になんて行かなければよかったじゃないか。

 望美の反論は届かない。田辺も田辺で、

「やる気ない奴を追い出したから、それでいいでしょって態度、ありえなくない?」

 などと望美を睨みつけてくる。

 それから、「その点、愛理はさ」と、文化祭当日までの間、彼女がいかにふたりに気を遣い、仲を取り持とうとしてくれたのかを話した。

 スカートを上げる作業は、お互いに悪態をつきつつも、暗黙のうちに取り決められた、友情を結ぶセレモニーだったのだ。

「修学旅行の班だって、愛理が『ぜひ』って誘ってくれたから楽しみにしてたんだよ。寺とか全然興味ないけど、こいつの話聞いてたら、ちょっと行きたくなったし」

「あら、ありがと」

「でも、あんたが一緒だったら、ぜんっぜん楽しめないじゃん」

 まさか、クラスメイトにそこまで嫌われているとは思わず、望美は絶句した。それ以上言い訳や反論をする気も萎えた。

「京都はみんな行くとこかぶっててバレそうだから諦めるけど、東京でもその辛気くさい顔を見ると思うと、うんざりするわ」

 ふたりはそう念押しをしてから、教室を出て行った。

「修学旅行、ほんっと楽しみだよね。吉村さんもどこか行きたいところあったら、ちゃんと言わなきゃダメだよ」

 その日の夕飯時、食堂で顔を合わせた愛理は、本当に何も知らないように見えた。

「うん……」

 曖昧に微笑み打ち切った望美の食は、進まなかった。

 行く前から、散々な結果になるのが目に見えている修学旅行である。誠になんと返事をすればいいのかわからないまま止めていると、追加の文面を受信した。

『もしも時間があったら、久しぶりに望美ちゃんに会って話をしたい』

 おニャがいします、という猫のスタンプが、ヘタカワな癒やし系で、望美のささくれた心にじんわりとしみる。

 誠とは、兄の葬儀のときに会ったきりだ。ちょうど一年前のことになる。

 すぐに祖父母や母の態度がおかしいことに気づき、何かと心を砕いてくれた誠のことを、望美は兄と同じくらい――いいや、実の兄以上に慕う気持ちがあった。

 お兄ちゃんだって優しかったけれど、こんな風にマメにメールくれなかったし、なんだかんだ自分勝手なところがあったよね。究極的には、勝手に死んで私をしんどい目に遭わせているのも、お兄ちゃんなわけだし。

 望美は少しだけ悩んだ。外部の人間(想定されているのは親戚だ)と会うときは必ず、事前申請の上、泊まっているホテルのロビー限定だと言われていた。

 誠は兄ではない。許可は下りない。必然的に、内緒で会うことになる。完全にルール違反だが、望美は意を決して、「私も会いたいです」と返信をした。

 どうせ班からハブられて、暇になるのだ。その間、こっそり会いにいってもいいだろう。都内二十三区、同じ学校の生徒はてんでばらばらに動く。場所を選べば、まずばれない、はず。

 東京の地理はまったく詳しくないから、その辺は誠にお願いしないとな……と考えていた矢先、手に持ったままの電話が鳴った。誠からの着信だった。そのまま落としそうになる。

「は、はい。もしもし」

 声が上擦る。文章上での付き合いはあっても、通話は初めてのことである。ドキドキしながら電話に出ると、「望美ちゃん。今、大丈夫?」と、久しく聞いていなかった男の声がした。

 大丈夫? は、通夜や葬儀の合間、終わった後に、何度も彼からかけられた言葉だった。家族はみんな、自分のことにいっぱいいっぱいで、誰からも構われなかった望美を、誠だけが忘れずに話しかけてくれた。

 そのときの喜びを思い出して噛みしめながら、望美は「大丈夫です」と応えた。

 ほんのりとした憧れを抱いていた。良亮と同い年の、大人の男性。地元ではお目にかかれない、洗練された人だ。

 兄の葬儀で会ったときから、「これからは僕のことをお兄さんの分まで頼ってほしい」と連絡先をくれたときから、望美はこの人のことが好きだったのだ。

 秘密のデートの約束をしていると、ストンと自分の本心がわかった。

 望美はスマートフォンを持つ手を変えた。もうすでに誠は、望美を連れていきたいところが決まっているらしい。

 班の人間とは最初から別行動をすると言えば、望美ちゃんは意外と悪い子だね、と笑われた。はぶられた結果の単独行動だが、「悪い子」の響きは悪くないと思う。

 そう、「悪い子」になるのだ。いい子にしていたって、何もいいことはないんだから……。

「はい、はい。ええ、わかりました」

 告げられた待ち合わせ場所と時間を、手帳にメモした。どこへ行くのかと聞けば、それは当日のお楽しみなのだと笑う。そういうところもスマートだ。

「修学旅行、楽しみです」

 初めて本心からそう言うと、誠は「俺もだよ」と電話の向こうで甘く微笑んだ。

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