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<7-1話
「五十嵐!」
鍵はかかっていなかった。もどかしくも靴を脱いで、部屋へあがった靖男は、
「神崎……」
と、ひらひらした布に囲まれて泣きそうになっている千尋を見て、目が点になった。
「千紗ちゃんが、遊びに来るんだ」
千紗ちゃんって誰、彼女? と不機嫌に聞こうとした靖男に対して、表情から言いたいことを察したのか、千尋は首を横に振って、
「千紗ちゃんってのは、俺の姉さん」
「お姉さん? 何番目の?」
五十嵐千紗という女性が千尋にとってはすぐ上の姉であり、普段は大阪で美容師をしているというところまで聞いて、靖男は千尋の持っている布の数々に目をやった。
「……なんか、増えてねぇ?」
靖男の独り言に、千尋はわっ、と顔を伏せた。
ストレスが溜まっていたのだという。夏期講習は一番の稼ぎ時だ。、新入りの生徒に少し注意しただけで泣かれ、果てはそれを母親に告げ口されて、モンスター母に電話で怒鳴られる。
時給が上がるわけでもないのに社員の雑用を引き受けて、真面目にこなしてしまう千尋は、多大なるストレスを溜めていた。
「で、そのストレスが物欲となって……」
「はい。収納スペースのことを考えずに、買ってしまいました……」
正座をしたまま二人で膝を突き合わせて千尋は「反省しております」というポーズを取る。普通の一人暮らしよりは広いとはいえ、収納はごく普通の衣装ケースくらいしかないので、これ以上は入れられない。
そして女兄弟は男以上にデリカシーがなく、すぐに家探しをする。どれだけケースの奥に隠していたとしても、必ず奴らは見つけて、男の純情な秘密を暴いていく。
「姉ちゃんいつ来るんだよ」
「……もう品川駅着いたって……」
「はぁ? なんでそんなぎりぎりに……!」
「驚かせたかったんだって……」
いらないよな、そんなサプライズ……と、力なく笑う千尋はすでに現実逃避を始めている。靖男は時計を確認する。品川駅からだと、ここまで三十分足らずで着いてしまうではないか。
「……もう諦めて、全部話したら?」
新しいケースを買ってくるとか、誰かに事情を説明して預かってもらうとか考えたけれど、時間が足りなかった。結局うまい解決法が見つからずに、靖男は最後の手段を提案する。
すると意気消沈していた千尋がキッ、と靖男のことを睨みつけて、「全部ってなんだよ!」と怒鳴る。
「怒るなよこんなことで! っていうかお前に助けてって言われたから俺来ただけだし!」
喧嘩していたはずの相手に助けを求めておいて、その扱いはないだろうと靖男は訴えるが、千尋は聞く耳を持たない。
「全部話せってことは、俺が女装してオナニーするのが趣味のど変態で、この間神崎とセックスしたってとこまで話せって?」
「誰もそこまで話せとは言ってねぇだろ! つーかそれ全部事実だからな! 半分は俺が悪いけど、女装趣味なのはお前元からだろ! 全部俺のせいにしようとしてない?」
うるさい最低男、と千尋が叫んで、持っていたワンピースを靖男に投げつけた。確かにそうだけどその最低野郎しか頼れないのはどっちだ、と投げ返そうとした、そのときだった。
「……あんたたち、鍵もかけないで何してんの?」
心底呆れかえった、という調子の、高い女の声が室内に聞こえた。一瞬のうちに静寂に包まれ、千尋は真っ青になり、ぎこちない様子で声の主を見た。
「ち、千紗ちゃ……ん……は、早かった、ね?」
ふん、と腰に手を当てて仁王立ちをする五十嵐千紗は、顔はまったく似ていないのに、靖男の妹とよく似ていた。
>7-3話
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