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<8-1話
秀雄高校は中高一貫の男子校だ。千尋や靖男より二学年下の御幸のことを知っているかどうか、それはひとつの賭けだった。もし知らなかったとしても、他に秀雄高校出身の人間を教えてもらって、それを辿っていけばいい。
女装コンテストエントリーのための写真をコピーして、靖男は学食で佐川と待ち合わせをした。好きなの奢りますよ、と言うと「後輩に奢ってもらうなんて、なんだか悪いけど……」と言いつつ、彼はコーヒーを注文した。
「で? 聞きたいことって?」
「佐川先輩、秀雄高校出身ですよね? 京都の」
「ああ。それが?」
写真を見せて、見覚えありますか? と靖男は尋ねた。佐川は写真の中のツンとした御幸を見て、唸った。
「御幸恭弥っていうんです。今年一年なんで、佐川さんとは高校ではかぶってないから、面識ないかもしんないんですけど……」
「御幸……みゆき……ああ!」
佐川はぽん、と手を打った。思い出した、とやや興奮した口調で言う。
「後輩たちがみゆき姫みゆき姫って騒いでたなぁ!」
「男子校の姫ポジションって……」
けれどそれであの生意気さにも説明がつく。今であれなのだから、中学入学時はどれほどの美少年……いや、姫という称号から考えれば美少女っぷりを発揮していたことか。周りにちやほやされた結果が、あのわがままだ。
「で、その姫と五十嵐ってなんか関係あるんですか?」
「千尋と? いや、何にも」
「本当に?」
ああ、と佐川は頷いた。勿論自分が卒業した後のことは知らないけれど、と前置きしたうえで、千尋と特別な何かがあったという話は聞いていない、と保証した。それでは彼の、あの千尋への執着は片思いということなのだろう。そう思うとなんとなく、憎めない気がした。
恋は人を、どこかおかしくする。御幸だけじゃない。千尋もだ。好きだと言いながら、忘れろという矛盾。付き合った女はたくさんいた。けれど靖男は、そういう風におかしくなるほどの恋はしたことがない。
そんな風に思って黙っていると、目の前に座った佐川がにこにことこちらを見ていた。
「なん、ですか」
「千尋にも、いい友達が出来たんだなぁ、と思って」
兄を通り越して父のような表情と口ぶりで、佐川は言った。目を細めている様は、千尋とともに過ごした高校時代に想いを馳せているのだろう。
「あいつの家、病院なのは知ってるだろう? 姉さんが三人いるのも」
「ええ」
「病院、継がなくていいのかって思ったことはないか?」
それは、と靖男はまごついた。実家が病院だと千尋は決して自分から話そうとはしなかた。同じく京都出身の学生が飲み会の席で暴露したのがきっかけだった。
千尋は医学部ではない。和桜大学には医学部は存在しないから、転学部するという選択肢もなかった。仮面浪人だったら、忙しい学園祭実行委員会になど所属しない。千尋がしているのは医学部に入り直すためでなく、大学院に進学するための勉強である。
「あいつもおんなじように考えてる」
元々は医学部志望でガリガリ勉強をしていたという。部活動は必修で、弓道部に所属していたが、そこでの成績もそこそこよかった。絶対に医学部に行くんだ、行かなければ今まで育ててくれた親に申し訳ない。どうしても、医者にならなければ、というプレッシャーに、千尋は負けた。
「医学部はひとつも合格しなくて、うちの理学部の補欠に引っかかって、悩みながらも進学したんだよ、あいつ」
彼にとってそれは、どれほど深い悩みだっただろう。そういえば一年のときには委員会にいなかった。千尋が委員会に入ったのは、二年のときだ。そのときも佐川に連れられてきたのだ。徐々に思い出してきた。
「本当は二番目のお姉さん……まぁ俺の彼女でもあるんだけれど、彼女が医者になっているし、ご両親も別に自分の子供たちが必ず継がなければならないとは思ってない」
「でも、五十嵐はそうは思っていない?」
「ああ」
父は自分に幻滅しただろう、と。だから帰省しても父と二人きりになろうとしないし、自室に一人籠っていることが多いと聞いて、千尋が周囲を穏やかに遠ざける理由のもう一つが理解できたような気がした。
イメージと違う、と言われて勝手に幻滅されることが怖いなら、最初から近づかなければいい。でも、本当に一人になるのは寂しいから、深入りしない距離で、外から人々の輪を眺めていれば、楽しい。
「そんなあいつが、神崎のことは特別に想ってるみたいだから、俺は嬉しい。だから、頼むな」
「……はい」
ずっと近いところで千尋のことを見てきた佐川に対して、見当違いの嫉妬をしていた自分を心底恥ずかしいと思った。だが、いきなり謝罪するのもおかしいから、靖男は神妙な顔で頷くにとどまった。
>9-1話
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